【三十】ツァイアー城
ツァイアー公爵領地の山側に、ツァイアー城は存在している。
湖と山の狭間に聳え立つ厳かな城の外観を見て、俺は目を瞠った。俺とシュトルフが乗る馬車は、現在城の敷地の橋を渡っている。橋がかかる湖には、城の外観が映りこんでいる。いくつもの塔がある城で、歴史を感じさせる。元々は、前国王だったお祖父様の城の一つで、それが、リュゼル叔父上が公爵になった際に、与えられたらしい。
その後も馬車は進み、城の玄関の前で停車した。御者が扉を開ける。その後俺はシュトルフに誘われて、馬車から降りた。地に足をつけて見上げた城は、やはり美しかった。幼少時に見たきりだった城は、何も変わっていないように思える。
「おかえりなさいませ、シュトルフ様。ようこそおいで下さいました、クラウス殿下」
到着すると出迎えてくれた使用人を代表し、侍従長に挨拶をされた。その隣には、別の馬車で王都からついてきた執事がいる。領地と王都の邸宅で執事をわける貴族も多いが、シュトルフはこのレクトスという執事をいつも従えているようだ。
「滞在中は何かと世話になる。よろしく頼む」
俺が笑顔で返すと、皆が腰を折った。
「疲れただろう、クラウス?」
するとシュトルフが俺の肩に触れた。そちらを見ると、シュトルフはいつもより優しい顔をしていた。
「今日から三日程度は休息して、四日目から本格的に領地を回る。まずはゆっくり休もう」
それを聞いて、頷きつつも俺は意外に思った。てっきり明日からもう領地の視察は始まるのだと勝手に想像していたからだ。領地の視察時には、他に領民への挨拶や、統治者としての演説なども行うというのは聞いている。
「何より、今後何かと足を運ぶ事になる家だからな。クラウスにも慣れて欲しい」
「ああ」
「滞在中――ではなく、これからは、ここが帰る家となるんだ」
シュトルフの声に、俺の胸がドキリとした。確かにその通りだ。無意識だった。
「まずは食事にしよう」
こうして俺は、ツァイアー城の中へと促された。荷物は、侍女や侍従達が運んでいく。真っ直ぐに俺は、シュトルフと共に食堂へと案内された。そこで振舞われたのは、ツァイアー公爵領地の名産品が半分、俺の好物が半分というコース料理だった。
「美味いな」
俺が笑顔を浮かべると、対面する席でワイングラスを片手に、シュトルフが頷いた。
「特に採れたての野菜料理が美味だな」
「そうだな。でもシュトルフは、トマトが嫌いなんだろう?」
「……トマトだけが野菜ではないだろう?」
嫌いという部分を、シュトルフは否定しなかった。しかし考えてみると、直接食の好みを聞いたのは、初めてかも知れない。なお、俺は俺の好みを語った事が勿論無い。
食後は、浴室に案内された。大きな白亜の浴槽に、白い色の湯が張られていた。浸かっていると、旅の疲れが溶け出していくようだった。そうしてじっくりと体を洗ってから、俺は再び湯船に浸かる。広いそのお湯の中で、手足を伸ばした。
城には何箇所か浴室があるそうで、シュトルフも別の場所で入っているらしい。
入浴前に、合流する予定の寝室の場所は聞いた。当然のように、寝室はシュトルフと一緒であるし、寝台も見た限り一つだった。ただ、とても大きかった。
お風呂を出た俺は、寝室を目指した。そして、部屋に入り、ソファに座ってテーブルを見た。
……魔法薬茶が置いてある。
ちらりと振り返れば、扉があって、あの向こうには巨大なベッドがある。
いい加減、限界だ。俺は後悔した。
今、何故風呂で抜いてこなかったんだ、俺は……!
「クラウス? 入るぞ」
「!」
煩悩まみれだった時に、不意に扉が開いたものだから、俺はビクリとしてしまった。
「シュトルフ……ええと……」
「ん? なんだ?」
シュトルフは俺と対面する席に腰を下ろすと、テーブルの上にあったグラスをひっくり返して、傍らにあった檸檬水を注いだ。それを飲みながら、シュトルフが紫色の瞳を俺に向ける。
「……、……別に」
俺は小心者だった。はっきり言って、何故抜いてこなかったのかという問いに自分で答えを出すと、シュトルフとの夜を期待していたからにほかならない。しかし小心者ゆえに、そのような素振りは見せられない。恥ずかしくて死んでしまう。
「長旅、疲れただろう?」
「そ、そうだな」
「よくついてきてくれたな、クラウス」
「婚約者なんだから、当然だろう?」
真面目な顔を取り繕って、俺は笑った。するとグラスを置いたシュトルフが立ち上がった。
「今日は早めに休むか?」
「っ、あ、ああ。そ、そうするか? いやぁ、俺は全然平気だけどな。快適な旅だった」
「それは良かった。気を配った甲斐がある」
シュトルフは優しい声でそう言うと、寝台がある部屋の扉を開けた。俺もお茶の入ったグラスを置いて立ち上がる。そして先に中に入ったシュトルフに続いて、そちらへ向かった。本当にベッドは巨大だ。また、大きな窓があって、そこからは月の光が見える。目が慣れてきた所で顔を向けて外を見れば、湖に月と城が映っているのが分かった。
そんな俺の隣で扉を閉めたシュトルフは、それとなく鍵をかけたが、宿でも毎晩かけていたので特に意味は無いのだろう。ただの防犯意識の問題に違いない。
「クラウス」
「ん、うん? あ、ね、寝るか?」
しかし俺は別の意味で意識している。意識のしすぎだろう!
「キスがしたい」
俺はもっと先をしたい!
と、言いかけたが、その言葉を耳にした瞬間、赤面してしまい、声は出てこなかった。
「……聞かなくて良いって言っただろう?」
小声で俺が答えると、シュトルフが俺を隣から抱きしめた。思わず顔を上げた直後、深く唇を奪われた。シュトルフの舌が俺の口腔に入ってくる。今までのキスよりもどこか性急に舌を絡め取られ、引きずり出され、甘く噛まれた。それだけで、俺の体が熱を帯びる。
「っ、は」
長いキスが終わると、俺とシュトルフの間には、唾液の線が出来ていた。やはり、シュトルフのキスは上手い。余韻に浸っていると、頬に手を添えられ、じっと見つめられた。
「愛してる、クラウス」
「俺も……俺も、シュトルフが好きだ」
俺の言葉を聞くと、シュトルフが微笑した。そしてチラリと寝台を見た。
「この城の壁は厚い。宿とは違ってな」
少し掠れたシュトルフの声が、耳元で響いた。ドキリとしながら、俺は小さく頷いた。