【五十三】仮面舞踏会
仮面舞踏会が行われたのは、新月の夜の事だった。夏の闇夜の中、俺とシュトルフは仮面をつけて馬車に乗った。仮面越しに目が合うと、なんだか楽しい気分になる。何も悪い事はしていないのだが、ワクワクしないといったら嘘だった。物珍しい。
ミズワード伯爵家につくと、こちらも仮面の使用人が中へと案内してくれた。この場においては、階級は暗黙の了解で気にしない事になるらしい。薄暗い会場に入ると、シャンパンタワーが視界に入った。俺がキョロキョロとしていると、シュトルフが俺の腕を取った。腕を組む形になり、過保護だなと苦笑してしまう。
その後、隣室から音楽が響き始めた。そちらで音楽家達が演奏をしているらしい。すると広間の中央でダンスが始まった。俺とシュトルフも、その輪に加わる。そうして一曲・二曲と踊ってから、輪から外れた。
「喉が渇いたな」
俺が述べると、シュトルフが頷いた。
「シャンパンを取ってくる」
そう言って俺の腕から手を離し、シュトルフが入口そばのシャンパンタワーへと向かった。大人しく俺は、壁際でそれを見送っていた。
――停電したのは、その時の事だった。
元々薄暗かった室内が、完全に暗闇になった。方々で悲鳴が上がっている。
「っ」
俺が後ろから誰かに口を布で覆われたのは、その時の事だった。瞳を動かし後ろを見ようとすると、そこにゆらりと影が見えたのだが――俺は布から漂ってきた苦い臭いにあてられたようになって、そのまま眩暈がし、直後意識が暗転した。
――ひたり、またひたりと音がする。
水が垂れる音のようだと認識し、薄っすらと目を開けた俺は、最初自分が何処にいるのか分からなかった。周囲を見渡すと、どうやら半地下にいるようで、星明りが、上部の小さな鉄格子がはめられた窓の向こうに僅かに見えた。黴の臭いがしていて、天井から床に、時々水が落ちてくる。
俺は動こうとして、それが出来ない事に気が付いた。
足首と手首を布で縛られていて、口にも布を噛ませられている。
そこで思い出した。俺は仮面舞踏会で、誰かに気絶させられたらしいと。
ゆっくりと正面に視線を戻して、まじまじと見れば、そこには一人の青年が立っていた。手に燭台を持っているから、その人物の顔だけがよく見える。
あ!
俺は口布が無かったら、声を出していただろう。
そこにいた人物に見覚えがあったからだ。なお、現世で、知った顔ではない。初対面だ。そこにいた人物の深緑色のローブのような外套と、その下に着ている服、何より顔を、俺はざまぁ小説で見た事があったのである。
――クリスティーナを巡る恋の戦いの中に出てくる当て馬の一人だ……!
この青年は、確かソーディスという名の暗殺者である。敵ながらにクリスティーナに惚れてしまうという役回りだった。なお、原作ではクリスティーナが拉致される。仮面舞踏会でなく、別の夜会の会場からだが。どういう事だ? これは偶然か? それともクリスティーナに起こるはずの事が、本当に俺に起きているのか? 俺は必死に思考を巡らせる。
目的が分からないから、答えが導出できない。
それはそれとして、クリスティーナは捕まった時、果たしてどうやって抜け出したのだったか……?
「クラウス殿下。その心臓を差し出してもらう」
その言葉に俺は背筋が冷えた。
そうだ、思い出した。ツァイアー公爵家の人間も王族の血を引くから、その血肉に不老不死……まで行かずとも長寿の力があると思われて、クリスティーナは狙われたのだった。直系の方が力が強いとされるから、俺なんて最高の標的だろう……。
同時に俺は思い出した。
確かクリスティーナは――……。
「大丈夫か、my推し!?」
その時大きな声がして、目の前で当て馬が壁際に距離を取ったのが見えた。入ってきたのは、剣を構えているヴォルフ殿下だった。何故この場所が分かったのかと言えば――それは、彼の国、日の精霊を祀るファイアマギア王国の王族が、短期予知能力を持つため、という原作の設定があった。そう、原作でクリスティーナは、ヴォルフに救出される。当て馬ヴォルフの最大の見せ場の一つだ。
「何故ここが分かった?」
「説明してやるつもりはない。my推しになんて事を。許さん!」
ヴォルフが斬りかかると、暗殺者が躱した。そしてそのまま、扉を出て逃げていく。ヴォルフは追いかけるか迷ったようだったが、それはやめて、俺の方へと向き直った。そして屈んで、俺の拘束を解いてくれた。
「大丈夫だったか!?」
「あ、ああ」
小説知識があったため、自分でも驚くほど俺は冷静だった。
「気づく事が出来てよかった。俺が王族に転生していなかったら、助ける事は間違いなく出来なかっただろう……本当によかった」
「感謝する、ヴォルフ殿下」
「犯人は俺の知識によると、外を囲んでいる騎士に捕まるはずだ。安心してくれ」
「そうか」
頷き俺は立ちあがった。
「とにかくここを出よう」
そしてヴォルフ殿下に促されたので、その半地下の牢獄から脱出したのである。