【五十五】不機嫌の理由
事件から二週間ほどが経過した。より一層暑くなった。シュトルフは俺の事を今もなお心配してくる。もう、というか、最初から大丈夫だったんだけどな。なんだかシュトルフは俺を大事にしすぎていて――事件の後から、まだ一度も手を出されていない。そんな状態で二人でベッドに入っているものだから、正直俺の方は欲求不満だ。
朝。
本日もシュトルフの腕の中で目を覚ました俺は、欠伸をかみ殺した。それぞれ着替えてから朝食の席へと向かうと、執事がシュトルフに何か話していた。それが終わると、シュトルフが俺を見た。
「今日は、フェリルナ侯爵令息のダニエル卿が見舞いに来るそうだ」
それを聞いて、俺は笑顔のままだったが、思わずピクリとしてしまった。ダニエル卿はシュトルフの事が好きなままだろう。即ち、結婚したとはいえ、俺の恋敵である。だが俺のために見舞いに来てくれるというのを、無下に追い返すわけにもいかない。俺の見舞いというのが、そもそもシュトルフに会うための口実だろうと判断してはいても、それは同じだ。俺はシュトルフに対して頷きながら、朝食を口に運んだ。
ダニエル卿が来たのは、午前十時の事だった。
俺は応接間で待っているように言われたのだが、玄関に迎えに行ったシュトルフが戻ってきたのを見て、イラっとしそうになった。だが王族スマイルで乗り切る。理由は簡単で、ダニエル卿がシュトルフの腕にそっと手で触れていたからだ。シュトルフも振り払えよ……。しかしまだ憔悴している様子のシュトルフを見ると、恋心が無くても慰めたくなるのは分からないでもない。俺は立ちあがり、ダニエル卿に向かって微笑を浮かべて見せた。
「クラウス様、もう宜しいのですか?」
「ああ。見舞いに来てくれた事、感謝する」
「いえいえ、これはつまらないものですが」
ダニエル卿はそう言うと、包装された箱を差し出した。執事のレクトスがそれを受け取る。ダニエル卿は長椅子に促され、シュトルフが俺の隣に来るタイミングで手を離した。そこへマークが紅茶を三人分運んできて、並べて置いた。
「しかし恐ろしいですね。ご無事で良かった」
そう言われて、俺は静かに頷く。実際俺は、迂闊だったと思う。この王国は基本的に安全だが、もう近衛騎士がそばにいないのだという部分を、俺は根本的に失念していた。どこかで開放感があるとすら思っていたかもしれない。
その後暫く話をし、昼食になる手前の時間に、ダニエル卿は立ち上がった。
「そろそろお暇します」
「送る」
シュトルフの声に、パァっとダニエル卿の顔が明るくなった。会話の最中も、俺の見舞いのはずであるが、熱心にシュトルフばかりを見ていたので、俺は何度も唇を尖らせたくなったが、そこは上辺の表情を保った。
「俺も行く」
「いえ。クラウス様は、まだ病み上がりです。お気遣いなく」
するとドきっぱりとダニエル卿に言われた。お前が決めるなと言いたかったが、俺は言葉に詰まった。一応気遣いを受けているからだ。そして悶々とした気持ちのまま頷いて、俺はその場に座っている事になった。シュトルフが立ち上がる。そうするとその隣に並んで、ダニエル卿が出ていった。俺は嘆息してから、窓際に移動した。この位置からだと門の方向が見える。見ていると、ダニエル卿がシュトルフの腕にまた触ったり、背中や肩に触れていた。ベタベタしているようにしか、俺には見えなかった。一気に俺の機嫌が悪くなった。馬車が来るまでの間、二人は何事か話しているようだった。シュトルフの顔は無表情だが、別に嫌っているようには見えない。全く……シュトルフこそ近寄ってくる虫をどうにかしろという話である。
そう思っていると迎えの馬車が来たようで、ダニエル卿が帰っていった。
俺が長椅子に座りなおして少ししたところで、シュトルフが戻ってきた。
「昼食にしよう」
「……ああ、そうだな」
俺は投げやりで不愛想な声を発した自信がある。それだけ苛立っていたのである。笑みを浮かべる気分でもない。するとシュトルフが不安そうな顔をして首を傾げた。
「クラウス?」
「ん?」
「――いや。行こう」
頷き俺は立ちあがった。
この日は白身魚のムニエルで美味だったが、俺はあまり食事を楽しめなかった。
食後は私室へと向かい、シュトルフは公爵家の仕事をするようだった。
暫くの間俺は部屋で、気分転換をすべく本を読んでいたのだが、どうにもモヤモヤが収まらない。なにか茶菓子でも食べようかと思ったのは午後の三時の事で、俺は扉から外へと出た。さすがに邸宅内では、既に護衛の姿は無くなった。少しの間回廊を歩いていったところで、俺は話し声が聞こえてきたから立ち止まった。角からチラリと先を見れば、シュトルフとレクトスが話をしていた。
「――クラウスは、俺にはやはり、もったいない相手だったのかもしれないな」
シュトルフが重々しい吐息をついている。
俺はその言葉に目を見開いた。
「高貴で、高潔で、勇敢で、俺が手に入れるなんておこがましかったのかもしれない」
冷静な声音だった。愚痴を言っているようには聞こえず、事実を述べている風に聞こえた。俺はポカンと口を開け、耳を疑ったが、気づくと角を曲がっていた。俺の足音に、レクトスが先に俺を見て、続いてシュトルフが振り返る。
「そんな事は無い!! シュトルフ、お前、お前……俺がどれだけシュトルフを好きか、分かっていないのか!?」
思わず俺が叫ぶように言うと、シュトルフが呆気にとられたような顔をした。
しかしそれから、唇を噛んで俯いた。
「だが今日だって、ずっと不機嫌そうだっただろう? 俺を不甲斐ないとクラウスは思っているんじゃないのか?」
「違う! それはお前がダニエルにベタベタ触らせていたからだ!!」
怒りが蘇ってきて、俺は強い語調で言った。
「えっ?」
「な、なんだよ?」
「クラウス、それはまさかその……嫉妬してくれていたという事か?」
「悪いか!?」
その権利が俺にはあると思う。俺は今度こそ唇を尖らせた。
だが――直後、シュトルフが情けないような顔をして笑ったのを見たら、毒気が抜かれた。
「嬉しい、いや、不機嫌にさせてしまったのは謝るが、そうか、嫉妬か……クラウスに嫉妬してもらえるくらい、愛されていたという事か」
「そ、そうだ! 今まで伝わっていなかった方が驚きだ!」
「俺の方が、好きが載る天秤の傾きが大きいからな」
「そんな事はない! 俺だってシュトルフに負けないくらい愛が重いぞ」
俺達がそんなやり取りをしていると、執事が咳払いした。
「不安が解消されて何よりです、シュトルフ様。そしてクラウス様。紅茶をお持ちしますので、どうぞ続きはいずれかの部屋にて。ここは廊下です」
無表情を貫いているレクトスの冷静な声に、俺は我に返って朱くなった。
すると歩み寄ってきたシュトルフが、優しく俺を抱きしめた。
「もっと聞かせてくれ」
こうして俺達は、仲直り(?)したのである。
この夜は、久しぶりにシュトルフは熟睡したようだった。