【五】初めての塩対応








「取り急ぎ、着替えと朝食の手配をさせる」

 バルトはそう言うと、じっと僕を見た。相変わらず、表情の変化は無い。元々の顔立ちが冷たく見えるだけで、別段怖い人物では無さそうだと感じる。

「宜しくお願いします」

 考えてみると、僕は昨夜から何も食べていない。最後に口に入れたのは、営業帰りに立ち寄った店の立ち食い蕎麦だ。仕事中は、ゆっくり食べる暇など無いのが常だった。

 僕は寝台から降りて、バルトの前に立とうとした。
 本当に背が高い……見上げる形になりながら、僕はそんな事を考えた。
 それから一歩前へと足を動かそうと試みる。

「近寄るな」

 するとバルトが険しい声を放った。そして一歩後退った。見れば眉間に皴を刻んでいる。あからさまに睨まれて、僕は硬直した。先程までごく自然と話をしていたから、突然の強い声音に困惑するしかない。

「え、えっと……」
「寄るな。こちらへ近づくな」

 繰り返しそう述べたバルトは、どこか忌々しいものを見るような眼差しに変化していた。

「……すみません」

 まぁ僕は異世界に来てしまったと感じるほどであるし、あちらから見たならば、ある種僕の存在は異質なのかもしれない。理性的にそう考えて謝罪をしたが、なんだか良い人そうだと思っていた分ショックで、僕は寝台に座りなおしながら俯いた。

「ごめんねぇ、お待たせ!」

 そこへヨル様が丁度良く戻ってきた。その事に安堵してしまう。

「服と朝食を手配させてくる」

 バルトはヨル様にそう声をかけると、部屋から立ち去った。それを見送ってから、ヨル様が下を見たままだった僕に歩み寄ってきた。そして小さな両手で、僕の肩をポンと叩いた。

「どうかしたの?」
「ヨル様達から見ると自分が不審者なのかと思ったら、なんというか……」
「不審者? 可愛い孫にそんな事を思うはずがないじゃないか!」
「でも今、バルトが『近寄るな』って」
「――ああ。ただでさえ、サジテールの民の、それも長で、強い力を使ったばかりだからね。仕方無いよ」
「え?」
「別にカナタくんを避けたわけじゃないと思うよ。保証する」
「じゃあどうして?」
「直接聞いてみると良いよ。僕が誤解を解くのは簡単だけど、これから君達は親睦を深めなければならないんだから、会話の糸口は多い方が良い」

 ヨル様は両頬を持ち上げると、明るく笑った。顔を上げてそれを直視してから、僕は引きつった笑みを返す。

「そういう気遣い不要なんだけどな。ただでさえ色々混乱中だから、分かりやすい方が良いに決まってる」

 僕が告げると、ヨル様が肩を竦めた。
 それからすぐにノックの音がして、僕達は揃って視線を向けた。
 白いシャツ姿の青年が数人入ってきた所で、手には衣類を持っていた。

「お着替えをお持ちいたしました」
「お召し変えを」
「お手伝いさせて頂きます」

 口々にそう言われ、僕は今更ながらに言語が通じる事にホッとした。

「カナタくん。彼らは、このトパーズ宮の侍従だ。サジテール領である、ここアメジスト・ジュニパーに暮らしているのは、みんなサジテールの民で、ここにいる三名もそうだよ」
「……サジテールの民なのに、近寄っても大丈夫なのか?」

 先程の言葉を思い出し、さりげなく僕はヨル様に問いかけた。
 ヨル様は不思議そうな顔をした。

「うん? どんどん親しくなると良いよ? 皆、君に良くしてくれると思うけどな」

 自分の放った言葉をヨル様は忘れているのだろうか?
 そんな風に思いつつも、即ち『一般的なサジテールの民』にならば近づいても良いと、僕は脳裏でメモした。ならばバルトに近づいてはならない理由は別にあるのだろう。そう考えていくと、やっぱり不審に思われていただけのような気がして、鳩尾付近が重くなってきた。

 その後、手伝ってもらいながら着替えた僕は、首元のリボンタイに触れた。人生でこんな服を身に纏った記憶は一度も無い。

 その後隣室へと案内されて、僕はそこに並んでいる食事を見た。
 白い陶器の中に、ミネストローネらしき豆とパスタのスープが入っていた。
 メインはそのスープのようで、味も僕が知る限りミネストローネとしか言いようがなかった。僕の正面には、ヨル様が座っている。椅子が高いので、足が床についていない。

「サジテールの民の主食は、乾燥させた豆とパスタなんだよ。この寒い土地でも何とか育つ魔法植物が、豆と小麦なんだよ」
「そうなんですか」

 他にはこちらも僕の認識だと、スクランブルエッグと呼べる卵があった。塩味だった。他には、レタスとツナのサラダがある。食生活は、あまり元々いた世界と変わらないようだ。

「美味しい。良かった」
「大切な神子だからね、君は。それに、ここはサジテールの民の宮殿だから、それなりの食事が出てくるよ」

 個人的にはファミレスの朝食セットの方が美味しいと僕は思ったが、それは言わない事にした。僕は好き嫌いがない。大体なんでも食べられる。養護施設にいた頃から、食べられる事に感謝するようにとしつけられた結果かもしれない。

「食事をしたら、イグニスロギアの王都に移動するよ。そこに王宮がある。今後は、そこに滞在する事になる」
「王宮……」
「そこで、伴侶となる国王陛下の選出に立ち会ってもらう事になる。安心して。各民の宮殿から王宮までは、星魔力を用いた転移鏡という移動用の魔術で移動できるから、外の大雪の中を歩く必要はない」

 この部屋には窓がある為、僕はチラリとそちらを見た。確かに窓全体に雪が吹き付けていて、大吹雪だと分かる。僕はあまり雪が降らない土地で育ったので、見ているだけでも寒く感じてしまう。

「それに王宮までは、バルト様が護衛をしてくれるし、その後も国王候補だから暫くは滞在してくれる」
「護衛が必要なの?」
「染者は、箱庭の世界にはめったな事では行けないけれど、こちらの星庭の世界には定期的に忍び込んでくるからね。念のためだよ」

 少し遠くを見るような顔をした後、ヨル様が僕を安心させるように微笑した。
 頷いてから、僕はスプーンを動かした。

「今も部屋の外には、バルト様がいるし」
「え? そうなのか?」
「そうだよ」
「何で中に入ってこないの?」
「ああ、トパーズ宮を暫く空ける事になるから、配下の者に仕事の指示を出しているんだよ」
「あ、そういう理由か」

 それを聞いて、僕は思わず安心した。避けられているのかと思ったのだが、気のせいなのかもしれない。あまり気にしすぎは良くないだろう。

「バルト様の事が気になるの?」
「そりゃあ、助けてくれたし、護衛までしてくれて、この食事も服も手配してくれてるんだろう? 気にならない方が無理じゃない?」

 端的に言えば、良い人だ。そう考えて、僕は一人何度か頷いた。

「カナタくんは良い子だね。さすがは僕の孫だ」
「育てられた記憶一切ありませんけどね!」
「僕だって苦渋の決断だったんだよ。兎に角、君を失うわけにはいかなかったんだ」

 ヨル様がわざとらしく嘆くような顔をした。僕は今もまだ、この少年が己の祖父だとは信じられないので、曖昧に笑うしか出来ない。