【六】転移鏡と叡智の間







 食後、僕はヨル様に先導されて部屋から出た。
 扉のすぐ外に立っていたバルトは僕を見ると――やはり一歩距離を取った。

「転移の間へ」

 ヨル様が告げると、バルトは頷きつつ片目だけを細くして僕を見た。その顔が、嫌そうに思えて、僕はちょっと困った。ただ何か言おうと考える前に、二人が歩き始めたので、僕もあわてて両足を動かす。

 トパーズ宮というらしいこの場所は、白い床の上に、金縁で緋色の長い絨毯が敷かれていた。等間隔に、半人半馬の彫像と燭台が並んでいる。窓の外は雪が吹き付けているから、何も見えない。僕は物珍しくて周囲をきょろきょろと見ながら進んだ。

 転移の間までは一本道で、その廊下の突き当りに、白亜の扉があった。
 正面に立っていた二人の槍を持つ人間が、こちらに気づくと恭しく頭を下げてから、扉を開けた。まずはヨル様が中に入り、続いて促されて僕が進む。最後にバルトが入った。

 部屋の中央には、巨大な鏡があった。

「これを通り抜けると、移動先の鏡の前に出るんだよ」
「なるほど。これも星魔術という技術ですか?」
「そうだよ。ただし、一定の魔力を持たなければ使用は出来ない」
「僕にはそれがあるの?」
「ソラノの一族の者は、皆生まれ持っているから心配はいらないよ」

 笑顔のヨル様は、僕の袖を掴むと、特に迷う様子もなく、鏡に向かって歩き始めた。そして吸い込まれるように姿が消えていく。動揺しつつも引っ張られる形で、僕も鏡を通過した。表面にぶつかると思った一瞬だけ目を閉じたが、何かに触れた感触すらなくて、瞼の向こうの光の加減が変わった時、ゆっくりと左目をチラリと開けると、既に僕は別の場所に立っていた。

 背後を見れば、鏡自体は同じで、そこからバルトが出てきた所だった。
 だが、内装が全く異なる場所にいた。
 白い床には金色の溝が刻まれていて、幾重にも魔法陣のような模様が描かれている。

 見上げた天井は、まるでプラネタリウムで、青い色の中に金や銀で星や月、太陽が描かれている。

 そこから巨大なシャンデリアがつり下がっていた。室内を見渡し、何より窓の外に雪ではなく初夏に見られるような木の青い葉がある事に気づいた僕は、本当に瞬間的に移動したらしいと悟った。

「ここがイグニスロギアの王都だよ。王宮の転移の間だ。今は、叡智の間――これから、カナタくんが滞在する事になる神子に与えられる場所に、皆が集まっているはずだから、まずはそこに行こう」

 ヨル様はそう述べると、小さな手で僕の腕を再度引っ張った。
 頷いて歩き出すと、今度はそのまま最後尾をバルトがついてきた。
 何度か僕は振り返ったが、目が合うと逸らされた……どうしてだろうか。

「どんな人が集まってるんですか?」
「まず紹介する事になるのは、残りの二つの民族の現在の長だね。バルト様とその二名の、合計三名が、君の伴侶候補だ。選ぶのはカナタくんだし、紹介は早い方が良いでしょう?」
「伴侶……それって絶対に誰かと結婚しないとダメなの?」
「ダメだね。こればっかりは、神子の義務だよ」

 転移の間を出て、こちらは銀縁に紺色の細長い絨毯の上を進みながら、僕はヨル様とそんな話をした。その後階段を下り、暫く長い廊下を歩いた後、ヨル様が立ち止まったので、僕も歩みを止めた。正面には、僕の腹部の痣によく似た――不死鳥の紋章が記された扉があった。

 腰に剣を携えた二人の騎士が開けてくれた扉を進むと、そこには大勢の人々がいた。ヨル様の服に似た黄緑色のローブ姿の者もいれば、僕が着ているような洋服じみたシャツにベストを纏っている者もいる。

 だが中でも目を惹いたのは二名の人物で、彼らは、バルトに似た、他の人々よりも上質そうな出で立ちをしていた。片方は、赤髪をした僕より少し若く見える青年で、もう片方は金髪だ。金髪の青年は、バルトと僕の中間くらいの年齢に見える。二十代半ばくらいだ。バルトは二十代後半くらいに見える。

 全員の視線がこちらに集中した時、僕の背後で扉が閉まった。

「その者が、火の叡智紋を持つ神子ですか?」

 すると濃い紫色の外套を羽織っている人物が歩み寄ってきた。三十代後半くらいに見える。ヨル様が一歩前へと出て、頷いた。

「そうだよ、宰相閣下」
「ご紹介を」
「――カナタくん、こちらはイグニスロギア王国の宰相閣下で、国王不在の現在、一切の政を取り仕切っておられる、ハロルド卿だよ」
「お初にお目にかかります、無事のご帰還何よりです」

 深々とお辞儀をされたので、僕も会釈をして返した。

「大至急、伴侶をお選び下さい。そして不死鳥の力の供給を。火のエレメントの不足が深刻です」

 宰相閣下はそう述べると、振り返って先程僕も着目した二名を見た。
 それから最後にバルトへと視線を向けた。

「バルト様は、既に供給を受けられたのですか?」
「いいや」
「拒否されたのですか?」
「そういうわけではない」
「……バルト様」

 バルトが顔を背けると、宰相閣下の目が据わった。僕は、何か供給するべきだったのだろうか。その後何か言いたそうな顔をした後、宰相閣下は肩を落とした。

「執務がありますので、我輩はこれにて失礼致します。ヨル様、後はお任せします」
「うん。きちんと伴侶候補者の紹介をしておくよ。バルト様の事も改めて」
「……改めて? まだ未紹介なのですか?」
「名前や身分は、無論伝えてあるよ。ただ、公平に紹介した方が良いでしょう?」
「それはそうかもしれませんね。それでは失礼します――神子殿、今後何か困った事があればお申し付け下さい」

 宰相閣下はどこか疲れたような目をしたまま、叡智の間から出て行った。

「よし、それじゃあ今度こそ改めて紹介するね。皆の者、注目するように。ここにいるのが、この世界に無事帰還を果たした、神子であるカナタくんです。たった一人の、火を司る不死鳥の神子だから、失礼が無いように。そしてお守りするように」

 ヨル様が僕を手で示しながら、よく通る声を放った。再び僕に視線が集中したので、おずおずと僕は頭を下げる。

「カナタと言います、宜しくお願いします」

 まだ全てを受け入れられたわけではないが、僕はそう挨拶した。
 その時、金髪の青年が一歩前へと出た。

 僕は見上げる形となった。バルトと同じくらい彼は背が高い。精悍な顔立ちをしていて、金糸で刺繍が施された服を身に纏っている。バルトがどこか冷徹そうな印象を与える凛々しいイケメンだと表するのならば、こちらはどこか肉食獣じみた風貌だ。鷹と獅子くらい印象が違う。そうだ、ライオンに似ているかもしれない。金髪だからそう思うのだろうか?

「そうか。お前が俺の伴侶となる者か」

 直後、片側の口角を持ち上げて、ニヤリと金髪の青年が笑った。