【八】帰ってきたらしい僕
「バルトの場合は、いくら高威力でも数をこなせないだろうが。その点、俺とアルは、複数回魔術を放てる。その上、比較するならば、俺はアルよりずっと強く、バルトの一撃に近い威力の攻撃魔術を使用できる」
ジェイクが続けると、ヨル様が頷いた。
「それはそうだよ。リオンの領地であるペリドット・アンジェリカは、火のエレメントが沢山存在するから、日常的にジェイク様は魔力を体に得られる。初夏の終わりから秋までを包括する広大な領土もあるし、その上なんといってもリオン領は常夏だからね」
ヨル様はつらつらとそう口にしてから、バルトを一瞥した。
「その点、常に火のエレメントが欠乏しているサジテール領は、ただでさえ常冬だというのに、何かと闇庭の世界からの侵攻も多く戦闘での魔力消費も激しい。そんな中にあっても、ジェイク様より高威力の魔術を放てるだけでも、凄い事なんだけどね」
目に見えてジェイクが悔しそうな顔に変わったが、バルトは無表情のままだ。
「ジェイク様を伴侶として強い火の力をより強化する事になるのか、バルト様を伴侶として現状弱まっている火の力をより強化するのか、夏と冬の狭間に位置する常春のベリエを庇護してアル様を伴侶とするのか――それは、いずれカナタくんが決める事だ。これまでのように、神子が不在だからといって、三人の誰が王位に就くかを口論して争う時期は既に越えている事は忘れないようにね」
そう締めくくったヨル様の言葉に、僕は三人をそれぞれ見た。
僕がいない時の彼らは、言葉で王位を争っていたのだろうか?
それすら僕には分からない事情だ。
「ただ親睦を深める為に出かけるのは、良いね。今日は、僕とバルト様は、箱庭の世界に行ってきてから一睡もしていなくて疲れているし、カナタくんも分からない事ばかりだと思うから休んでもらうとしても」
ヨル様は小さく頷いてから僕に視線を向けた。それを確認して、僕は再度バルトに顔を向ける。もしかしてバルトは、眠いから塩対応なのだろうか? 僕だって激務が続くと、周囲への対応が投げやりになりそうになるから気持ちは分かる。
「ご紹介有難うございました」
僕が頭を下げると、にこやかにヨル様が頷いた。
「それじゃあ、今後カナタくんが過ごす奥の私室に案内するよ。他の者は、解散。今日のお披露目はこれで終わりとするよ」
その言葉を合図にした様子で、周囲の人々が移動を始めた。ヨル様は、再び僕の腕の袖を掴んだ。
「さて、行こうか! 案内するよ!」
僕は大きく頷いた。
叡智の間の奥に扉がいくつかあって、ヨル様はその内の一つを開けた。中を見ると、豪奢なソファとテーブルのセットがあり、室内には更に複数の扉がある。ヨル様に続いて中に入ると、毛足の長い絨毯が目に入った。ちなみに僕達は土足である。僕はトパーズ宮で着替えた時に、新しい靴を与えられた。
「ええとね、右の扉が寝室、左の扉が浴室」
「トイレは何処ですか?」
「トイレ? ああ――箱庭の世界とは自然の摂理が異なるとは話したと思うけど、清浄化の星魔術がかかっているから、排泄行為をする事は無いよ」
「え」
「入浴も本来、星魔術で浄化されるから必要は無いんだけど、ソラノの一族から広まった文化で、気分的なものとして入浴は好まれるんだ。魔術でも汗なんかを綺麗には出来るけど、お湯は魔術が無くとも体を清潔にしてくれてるし、この文化は魔力を持たない一般の民にも根付いているよ」
まだまだ知らない事が沢山ありそうだなと僕は感じた。
そもそも、一番分からない事がある。
「所でヨル様」
「何?」
「伴侶って、何を基準に選べば良いんですか?」
神子としての僕の仕事は、まずは国王陛下の選定に関わる結婚関連なのだと思う。そこを明確化し、基準を知っておかなければ、僕にはどうにも出来ない。王位争いなんて言われてもさっぱりだ。
「きっと、火の叡智紋が教えてくれるはずだよ!」
「え? そんな……漠然としすぎじゃ……」
「自ずと分かるよ」
「本当に?」
僕の声は怪訝そうなものになってしまったが、ヨル様は相変わらずの笑顔だ。
「うん。本当」
「根拠は?」
「僕はこれでも、ソラノの一族の長老で、大賢者だからね。色々な事を知っているよ」
ヨル様は大きく頷いた。
それから室内の壁を見た。
「そうそう、あちらのクローゼットの中の衣服だとかは、全てカナタくんのために用意されているものだから、自由に使ってね」
「分かりました」
「他にもこの室内にある品は、なんでも自由にして良い。他に欲しいものや、必要なものがある時も、声をかけてね!」
「有難うございます」
「気を遣わないように。これからは、ここがカナタくんの家なんだからね」
曖昧に頷いてはみたものの、実感は全然わかない。
「それじゃあ僕は、昼食までの間は、少し一族の者や、王宮の関係者と話をしてくるよ。カナタくんは、ここにいて。もし何か困った事があれば、そこの鈴(ベル)をならせば、外に控えている侍従や護衛の騎士がすぐに来てくれるから、遠慮なくね」
視線で銀色の鈴を示してから、ヨル様は杖を片手に室内から出ていった。
それを見送ってから、僕は深々とソファに背を預けた。
「……なんだか、怒涛の急展開とでも言うしかないよなぁ」
一人、ポツリと呟いてみる。
実際、これまでの人生で見た事の無い場所にいる以上、夢では無いのだとは感じるが、たったの一晩で、色々ありすぎて、まだ思考の理解が追いついているとは言い難い。
「僕、本当にこれから、この世界で生きていくのかな」
不安しかない。
ヨル様が出ていった扉をじっと見据えてから、僕は腕を組んだ。
室内には他に、飴色の執務机や本棚もある。高級なホテルの一室と言われたらしっくりくる造りだ。
本棚に並ぶ書籍の活字は、日本語では無いのに僕は直感的に読む事が出来た。
会話に難も無いから、海外というより異世界という言葉の方がしっくり来る場所だと思うが――僕は、ここに帰ってきたのだという。
書籍の背表紙には、『星魔術と魔導具技術の発展』と記載されていた。
そのようにして暫く室内を見渡してから、僕は立ち上がり、クローゼットの前に立った。
扉を開けてみると、そこに並ぶ洒落たシャツや下衣等を見る。朝は着替えを手伝ってもらったが、一つ一つ確かめてみると、一人でも着脱可能そうな品も多かった。
「シャワー、浴びたいなぁ」
浴室はあると聞いたが、どのような構造なのだろう?
そう感じて今度はそちらを見に行く。すると白い浴槽と、シャワーに見える設備があった。ただ、科学製品かと言われると分からない。品物の構造と用途は同じだけれど、どうやって動作しているのかはさっぱり分からない。魔道具技術という言葉が、先程本棚にあった事を思い起こす。
「色々と覚えないと。本当に、これからここで生きていくのなら」
このようにして、僕の異世界生活――いいや、帰ってきた星庭の世界、イグニスロギアでの生活が始まった。