【十一】白米と勉強






 勢いよく扉が開いたのは、その時だった。ハッとして顔を向けると、そこには慌てた顔をしたヨル様が立っていた。

「大丈夫!? カナタく――……!? なに、この薔薇!?」

 部屋中を満たしている薔薇の花束を見た瞬間、ヨル様が呆気にとられたような表情に変わった。僕は目を瞬かせる。

「こちらの世界の文化なのかと思ってたんだけど、そういうわけじゃ?」
「う、うん? 僕は寡聞にして知らないかな」

 視線を彷徨わせた後、ヨル様が気を取り直したように、僕の隣に座っているジェイクへと視線を向けた。

「ちょっと距離、近いんじゃない? それとも、まさかとは思うけど、僕はお邪魔をしてしまった?」

 するとジェイクが大きく顎で頷いた。

「ああ、邪魔だ」
「全然邪魔じゃないです!」

 僕は間髪おかずに否定する。変な勘違いをされては困る。しかし内心では、話が変わった事にちょっと安堵していたのだったりもする。

「……」

 不服そうなジェイクから距離を取り、僕は急いで立ち上がった。そしてヨル様の隣まで足早に進み、何気ない素振りで天上を見上げて、二度ほど咳払いをした。

「そ、そう? それなら良かった。ジェイク様がカナタくんに無理強いしていたらどうしようかと、来訪の知らせを聞いた瞬間から走ってきたんだけど……」
「有難う、ヨル様!」
「おいおい、次期国王たる俺をそんな風に邪険に扱うのがソラノの一族の総意なのか? 即位したら、覚悟しておけよ」

 ジェイクが頬を引きつらせて、怒ったような顔で笑っていたが、僕は気にしない事に決める。ヨル様は小さな腕を組むと、僕とジェイクを交互に見た。

「まぁ……親睦を深めてもらう事に否はないよ。そうだね、一緒に昼食にする?」

 ヨル様の言葉に、当然だというようにジェイクは大きく頷き、僕はそれを眺めていた。

「さっさと運ばせろ」

 ジェイクが言うと、聞こえていたのか、外に控えていた侍従達が食事を運んできた。銀の台の上には、ライスの皿がある。僕は目を丸くした。

「ご飯! 白米!」
「カナタが来たという箱庭の食文化は、米らしいな。リオン領と同じだ」

 小麦製のパンやパスタが主食なのだと勝手に思っていたため、僕は嬉しくなってしまった。並べられていく料理をまじまじと見据える。美味しそうなステーキが運ばれてきた。いずれも焼きたてだ。

「リオン領から取り寄せた品だ。尤も、ベリエにもサジテールにも、輸出をしているのは俺のリオン領ペリドット・アンジェリカだがな」

 当然の事のようにジェイクが述べる。その後僕達三人は、リオン領やリオンの民についてジェイクの口から聞き、時にヨル様がツッコミを入れる形で、食事を楽しんだ。思いのほか、充実したひと時だった。

 食後、ジェイクは帰っていった。
 そして改めてヨル様が僕を見た。

「これからは、昼食後はお勉強の時間だと話したと思うけど」
「うん」
「気候や風土もそうだし、輸出入に関してや、各領地の力関係なんかも学べると良いかもしれないね」

 先程ジェイクから聞いたリオン領の事などを思い出しつつ、僕は頷いた。
 やる事が何も無いというのは暇だから、本当に助かる。

 この日は早速、その流れから、各地の主食についての話になった。
 ベリエ領はパン、リオン領はライス、サジテール領はパスタらしい。原料はいずれも、リオン領から輸出しているとの事だった。同じ国内でも、文化や神話にも差異があったりするらしい。

「この王都フラムが、それらの管理をし、国に全てが行き渡るようにしてるんだよ」

 ヨル様の説明は分かりやすく、僕の机の上にはどんどん参考文献が積み重ねられていった。空き時間には、これらを読めばいいらしい。

 夕食までの間はそうして勉強し、この日は二人で食事をした。



 ――翌日からも、それは同じだった。こうして始まった日々の中で、主に勉強前の時間や、時折夕食時には、アルやジェイクが顔を出してくれるようになった。侍従や騎士達の顔も、僕は少しずつ覚え始めた。やはり夢が覚めるといった事はなく、僕はこちらに『帰ってきた』らしい。なお、バルトは一切顔を出さない……。

 二週間ほど、そんな生活を送った。
 次第に僕は、王宮の内部についても、どこに何があるのか程度は把握した。簡単な移動ならば、一人でも可能だと自負している。

「うーん」

 この日、午後からヨル様が会議らしく、僕は自主学習をしていた。参考文献を読み終えた所で、もう少し詳細な資料が欲しくなった。この世界のある種の科学は、魔導具という品らしいのだが、まだピンと来なくて、それについてより深く知りたいと思っていたからだ。

「他の文献も読んでみたいなぁ」

 呟きながら、僕は立ち上がった。そして扉に歩み寄り、静かに開ける。すると侍従の姿はあったが、護衛の騎士はいなかった。顔ぶれは日によって違うのだけれど、誰もいないのも珍しい。

「どうかなさいましたか?」
「ちょっと蔵書庫に行きたくて」
「あ……今、護衛の者が外しているのですが……」

 困ったように侍従が頬に手を添えた。それを一瞥してから、僕は微笑する。

「すぐに戻るから出かけてきても良いかな?」
「え、ええ。神子様の行動を制限する権利は、僕にはありません」

 それを聞いて、若干居心地の悪さは感じたが、僕は頷く事にした。

「じゃあ出かけてくる」

 そう告げてから、僕はそのまま叡智の間を通り抜けて、蔵書庫を目指した。道行く人々も、当初以上に僕の存在を気にしなくなっている様子で、視線が飛んでくる事もほとんどない。だからあまり緊張したりもしない。これならば、客先で営業をしていた時の方がプレッシャーを感じたほどだ。

 以前アルに案内してもらった事がある蔵書庫には、それからすぐにたどり着いた。
 扉を開けると薄暗く、吹き抜けの広い空間には書架と長い梯子が沢山並んでいる。

「何処にあるんだろう」

 司書さんや、検索システムのような品は存在しない。僕は適当に歩きながら、主に仕事の資料を得る為に訪れているらしい文官達を見た。声をかけて仕事の邪魔をするのも申し訳ない。紙の良い匂いに浸りつつ、僕は周囲を見渡しながら、とりあえず奥へと進んだ。

「っ」

 すると誰かが、僕の目の前で息を呑んだ。驚いて顔を上げると――そこには、書架に手を伸ばしているバルトの姿があった。

「あ」

 思わず僕が一歩歩み寄ると、バルトが後退る。これ、やっぱり塩対応されているというか……もしかして、会いに来られる事も一度も無かったし、僕は避けられていたのではないのだろうか?

 暫くそのまま無言で視線を交わしていると、バルトが眉を顰めた。

「……ここで、何を?」
「その……魔導具の文献を読みたいと思って」
「護衛は?」
「不在だったので、一人で来たんだけど……」
「……」

 バルトは無言だったが、その瞳には険しい色とどこか呆れたような色が浮かんでいる気がした。