【十二】蔵書庫と距離
僕が見守っていると、バルトが嘆息した。
「……こちらだ」
「え?」
「魔導具関連の書籍は、東区画にある。ついてこい」
バルトが歩き始めたのを見て、僕は慌ててついていく事にする。
――冷たいように見えるが、やはりなんだかんだで、バルトは優しいと思う。それは、明るく話をしてくれるアルの優しさや、毎日盛大に僕を口説きながらプレゼントを贈ってくれるジェイクと比べると見えにくいが、僕はこちらの方が好きかもしれない。
「どんな魔導具の資料が欲しいんだ?」
「まずは生活に根付いている技術が知りたいと思って」
「そうか。では、イグニスロギア全土に普及している魔導具関連の資料が良いかもしれないな。目当ての本の名前はあるか?」
「さっきまで読んでいたのは、『王国史――魔導具編――』で、その巻末にあった資料を読んでみたかったんだけど……その本を持ってくるの、忘れちゃってました」
「……」
無言に変わったバルトを見て、僕は項垂れる。折角会話が続いたというのに、僕は目的の書物のタイトルをメモしてくる事さえ忘れていた。直接書架を眺めて、気になる本を選ぼうといった程度の認識だった事が大きい。
「おそらく、あの著者の別の文献だな。そうであれば、この十列目はそっくり、目的に近い本だと思う」
立ち止まったバルトが、顎を持ち上げ書架の高い位置を見た。僕もつられて見上げ、先程目にした著者と同じだと気づき、胸を撫で下ろす。
「有難う、バルト」
「いいや」
簡潔に答えたバルトは、左手に何冊かの文献を抱えている。
「あとは一人で大丈夫そうだ。助かった」
「そうか。すぐに選べそうか?」
「うん。全部借りたい」
「っ……そ、そうか。勉強家なんだな」
バルトが幾ばくか眼を細くし、棚と僕を交互に見た。
「早速借りる手続きをしないと」
「――持てるのか? それに、そもそも手が届くのか?」
「あ」
言われて初めて、僕は手を伸ばしても十列目に届かない事に気が付いた。思わずひきつった笑いを僕が浮かべると、バルトが真後ろにあった机に、持参していた資料を置いた。そして僕の隣に立つと、長い手を持ち上げる。指が長い。
ひょいひょいとそこに並んでいた十五冊ほどの文献を手に取ったバルトは、その後それらも机に置いた。目を丸くして僕はそれを見守っていた。
「台車を取ってくる。ここから動くな」
「う、うん」
おずおずと僕が頷くと、バルトが歩き始めた。そして少し進んだ先にあった黒い台車を手に戻ってくると、その上に書籍を載せた。やはり悪い人には思えない、というよりも、優しい気がする。
「送る。行くぞ」
「え? あ、自分で運べるけど」
「いくら場所を覚えて、王宮内部が安全だとは言え、護衛をつけないのは危険だ」
「!」
「何かがあってからでは遅い」
台車の上に、自身の資料も載せて、バルトが歩き出した。驚きながら、僕はその隣に並ぶ。
「何かって……安全なんだよな?」
「ああ、『他に比べれば』――王宮は、安全だ。特に王宮の屋内は、三民族のそれぞれが幾重にも結界を張り巡らせているから、染者もめったな事では侵入出来ない」
僕は当初、不審者に襲われた事を思い出した。ここ二週間程度が平穏すぎて、正直忘れかけていた。少し嫌な胸騒ぎを覚えつつ、こうして僕はバルトと共に歩き始め、蔵書庫から出た。
道を歩きながら、僕は何度もバルトの横顔を見てしまった。
会話は生まれない……。
無言で廊下を進みながら、チラチラと僕は視線を投げかけていた。
「なんだ?」
するとバルトが気づいたようで、細く長く吐息してから、抑揚の無い声音を出した。まぁ何度も見ていたから、気づかれて当然だろう。しかし、明確な距離を感じる。他の候補者のアルやジェイクとは、態度がやはり全然違う。
「バルトは……そ、その! 国王陛下にはなりたくないの?」
さりげなく聞いてみようかと思ったが、僕はあがってしまった。
「というよりも、僕の伴侶になるのが嫌なの?」
尋ねてから、あんまりにも直接的に問いかけてしまったと後悔した。
「……」
沈黙したバルトが、漸く顔を僕に向けた。そして端正な顔立ちに、特に感情を浮かべるでもなく、じっと僕を見据える。
「……好きでもない相手と結婚するのは、辛いだろう?」
それを耳にして、僕は胸が突き刺された気がした。それって要するに、バルトは僕の事が好きではないって意味だよな? 僕側だって別に現時点で誰かを好きだと、そういうわけではないけれど、はっきりと『嫌い』と言われている気分になって、それはそれで辛い。
「神子だからという理由だけで、カナタは結婚を迫られているわけだろう?」
だが、続いた言葉に驚いた。僕は目を丸くし、改めてバルトを見る。
「辛くはないか?」
「え、あ……」
それが仕事だと聞いて漠然と受け入れていた為、僕は戸惑った。与えられた仕事はこなさなければならないという社畜精神が根付いていたのかもしれない。
それにしても意外だったのは、まるで僕を気遣ってくれているような言葉だ。バルトは僕の境遇について、こんな風に考えていてくれたのか。そう思うと、胸がドクンとした。
驚いて何を言おうか考えている内に、再び僕達は無言に戻り、そのまま叡智の間が見えてくる。扉をそこにいた人々が開けてくれて、台車を私室の方までバルトが押して歩いてくれた。隣を歩く僕は、相変わらず言葉を探したままだ。
こうして到着して、私室の扉を開けると、勢いよくヨル様が顔を上げた。
「カナタくん! 一人で出ていたと聞いて心配して――……バルト様? 一緒だったの?」
「ああ。では、俺はこれで」
バルトは台車を私室の中に進めると、彼が持っていた資料のみ手に取り、踵を返す。
「あ、あの! 有難う!」
慌ててお礼だけでもと僕が声をかけると、静かに振り返ったバルトがこちらを見た。そして瞳を揺らすと、僕に言った。
「次からは護衛を必ず伴え」
そうして今度こそ帰っていった。
見送っていると、ヨル様が僕の腕の袖を掴む。
「そうだよ。カナタくん、確かに王宮は安全だけど、まだ単独行動はしない方が良いね。バルト様に会えたのは幸運だったとしかいえないよ。それにしてもこの台車……蔵書庫?」
「うん。蔵書庫に行ったら、バルトがいて」
「ああ、バルト様は宰相閣下と政務関連の書類仕事をする事が多いから、資料の渉猟にお出になる事が多くて、よくあちらにいるんだよね」
「そうなんだ?」
「そうそう。リオン領から各地へ輸出している品が多い話はしたと思うけど、実際にその手続きをしているのは、文官やその手伝いをしているバルト様が多い。バルト様はサジテールの民の長というだけじゃなく、今この王宮においては、無くてはならない人の一人だよ」
ヨル様はそう述べると、不意に背伸びをした。そして手を伸ばして、僕の髪に触れた。
「お勉強しようとしたカナタくんは偉いと思うけどね。もっと自分の周囲に気を配ってね」
「ごめんなさい」
「謝る事は無いよ」
それからヨル様は、床に立ちなおすと両頬を持ち上げた。
「まぁそういうわけでバルト様はご多忙だから、中々ここにも来られない」
「僕、嫌われてるんだと思ってた」
「どうして? そんな事は無いと思うけど?」
「一回も、この部屋にも来なかったし、なんというか……」
「うーん」
僕の言葉に、ヨル様が苦笑した。
「アル様とジェイク様が、もう少し書類仕事もしてくれるようになれば、バルト様にも時間が生まれると思うんだけどなぁ。あの二人、遊んでばかりだから、もうちょっと働いてほしい限りだよ」
ぼやいたヨル様は、それから腕を組んだ。
「カナタくんとの親睦の深め方は、褒めてもいいし――そこは逆に、バルト様に見習ってほしい限りだけどね」
冗談めかした言葉だったが、それらはヨル様の本音に聞こえた。