【十一】花が咲く庭B
するとゼルスが、僕の手を握る指先に力を込めた。そして僕に向き直った。
「キルト。陛下の許しも得た。無論、仮に得られなくても、俺の気持ちは変わらないが、俺は家族にも祝福されたかったんだ」
「気持ち?」
「ああ。俺と結婚してくれ」
そう述べると、ゼルスがポケットから、青灰色のヴェルベット張りの小箱を取り出した。そして箱を開けると、そこには百合と剣を象った意匠つきの、イヤーカフスが入っていた。
「これは?」
「誓約の百合という。王族は、生まれてすぐに、運命の番が現れたら渡すようにと、これを特注するんだ。結婚指輪のようなものだが――もっと深い繋がり、運命を指し示す品だ。これは俺が、俺だけの運命の番に渡すべく作られた誓約の百合だ。俺の百合だよ。キルトに貰って欲しい」
「……誓約の百合」
「身につけてくれないか? そして俺と結婚して欲しい」
結婚をするという事が、僕はどういう事なのか、いまいち分からない。ただ、家族になるという意味なのだとは思う。ゼルスが僕の唯一となるという事だ。運命の番は存在しないと習ってきたが、ゼルス達の中では存在するらしい。
「本当に僕は、運命の番なの? ゼルスの家族になって良いの?」
「ああ。キルトは俺の運命だし、俺はキルトと家族になりたい」
「家族になったら、ずっと一緒?」
「そうだな」
「僕もずっと一緒にいたい」
挨拶は上手く出来なかった僕だが、ゼルスを前にすれば、素直な気持ちを話す事が出来た。ゼルスは微笑すると、誓約の百合を手に取った。
「つけても良いか?」
「うん」
僕が頷くと、ゼルスが僕の左耳に、イヤーカフスをはめた。すると国王陛下が、穏やかに笑った。
「ここに私が二人の婚約の成立を認める。結婚式の日取りは、国の行事ともなるから改めて検討しよう。まずは仲睦まじく、幸せに過ごすようにな。私と王妃のように」
こうして、僕とゼルスの関係は、国王陛下に認められ、玉座の間にいた人々にも知られる所となった。
「そのカフスをはめていれば、キルトは王家の一員となったと、皆が分かる。例えば、王家の人間しか立ち入り出来ない場所へも入る事が出来る」
ゼルスはそう語ると、改めて僕の手を握り、持ち上げた。
「見せたい景色が沢山あると話しただろう? それはこの王宮でも同じだ。そうだ、庭園へ行こう。王家の人間しか――そのカフスにこもる魔力を感知して、立ち入りを制限している、特定の人間しか立ち入る事の出来ない庭園がある。そこに咲き誇る魔法植物や自然の花も麗しいんだ。キルトに見せたい」
それを聞いて、僕は頷いた。僕も、ゼルスが好きな風景を見てみたい。ポケットからもう一つ小箱を取り出したゼルスは、己の耳にも、僕にくれた品と同じカフスを身につけた。お揃いだ。
「婚約指輪や結婚指輪は、後で用意しよう。少し、今日は歩こうか」
「うん!」
「――では、父上。失礼致します」
僕の返事を聞くと、ゼルスが国王陛下を見た。国王陛下は目尻に皺を刻んで、優しく笑っている。一見すると怖そうだが、僕には穏やかそうな性格に思えた。
「失礼致します、国王陛下」
ゼルスの言葉を、僕は真似した。国王陛下が頷いて、僕達を送り出してくれた。
僕の手を握って謁見の間を出ると、ゼルスが入り口を目指して歩き始めた。昨日も通った道だから、僕は覚えていた。
「どこへ行くの?」
外へ行くのは間違いない。僕は胸を躍らせた。するとゆっくりと歩きながら、ゼルスが柔和な笑みを浮かべた。
「早速庭園へ行こう」
「庭園……それは、どんな所? 温室に似てる?」
「そうだな。花が咲き誇っているという意味では近いだろうな。これからは、分からないものは実物を見れば良い。俺が叶う限り、何処へでも連れて行くからな」
ギュッと指に力を込め、ゼルスが僕の手を握り直した。僕の胸がほんのりと温かくなる。ゼルスの言葉は、体温と同じくらい優しい。指と指の間にあるゼルスの手を、僕も握り返してみる。するとゼルスが笑みをより深くした。
「悪いな、俺は浮かれている。君と一緒にいられる事にも、君と結婚出来る事にも」
嬉しそうなゼルスを見ていると、僕もまた笑顔になってしまう。僕はゼルスが喜ぶと幸せな気持ちになるみたいだ。僕は、これまでの人生で、『誰かを喜ばせたい』と明確に思った事は、一度も無かった。だからそんな自分の気持ちの動きが、不思議でならない。
「必ず幸せにするからな」
「僕はもう幸せだよ」
「塔から出られたからか?」
「ううん。ゼルスが明るい顔をしてると、幸せになるって、今分かったんだ」
僕が素直に答えると、ゼルスが虚を突かれたような顔をした。短く息を呑み、目を丸くしている。それから、不意にもう一方の腕で、僕を抱き寄せた。
「俺の表情、か。そうか。有難う、キルト」
「どうしてお礼を言うの? 幸せにしてもらったのは、僕なのに」
「……キルトは、幸せの沸点が低すぎる。もっともっと幸せにすると誓う」
「沸点って何?」
「沸点というのは、液体が沸騰する温度の事だ。水がお湯になるのは分かるか?」
「お湯は魔導具で温かくなるんでしょう?」
「科学では、例えば火を用いて水を湧かす。そして液体によって、沸点は変わるんだ。沸点が低ければ、その分すぐに沸騰する。幸せの沸点は比喩だ。小さな幸せを噛みしめるだけではなく、もっと大きな幸せでなければ満足出来ないほどになるくらい、俺は君を大切にする。慈しむと誓う」
僕には難しいお話だった。すぐに沸騰――幸せになれる方が、僕には素敵な事に思えた。沢山の幸せが無ければ満足出来なくなってしまったら、それは贅沢というものではないかと思う。僕はゼルスのそばにいられるだけで、今、とても幸せなのだから。
これ以上の幸せなんて与えられたら、僕の頭はもっといっぱいになってしまうかもしれない。ただでさえ最近は、ゼルスの事ばかり考えていたというのに、ゼルス以外の事が考えられなくなってしまうかもしれないではないか。
「行こう。庭園は、王宮の裏手にあるんだ。第二塔との間にある」
「うん。空も見える?」
「見える。今日は幸い快晴だな」
こうして僕達は歩みを再開し、王宮の外へと出た。