【十二】花が咲く庭C





 外へと出て、道を歩きながら、僕は長く吐息した。見上げた空には、雲が無い。本の挿絵には、大体雲が描いてあったから、僕は不思議だった。

「ねぇ、ゼルス。雲は無いの?」
「快晴というのは、雲量が一割以下だと気象魔術師が判断した日の事で、今日の新聞にはそう書いてあったから、あまり無いはずだ」
「気象魔術師? 魔術師はいっぱいいるの?」
「ん? ああ。医療魔術師もいれば、検察魔術師、警察魔術師、様々な職の魔術師がいる」
「そうなんだ。ゼルスは魔術師? 前に、この薔薇に、魔術を込めたって言ってたけど」

 僕は首から下がる青銅色の薔薇に、片手で触れた。すると、僕を一瞥し、小さくゼルスが頷いた。

「スヴェーリア王族は、皆が魔術師だ。尤も平時は、王宮の公務の他は、俺は外交官として働いているから、あまり魔術を使う機会は無いが」
「それは何魔術師?」
「俺であれば翻訳魔術師が本業と言えるのかもしれないが、王族は、あまり職業魔術師名では呼ばれない」
「そうなんだ。ねぇ、ゼルス」
「なんだ? 何でも聞いてくれ」
「――雲は、何色?」

 僕には、分からない事の方が多い。それは塔を出ても変わらない。すぐには変わらないだけなのか、これからは変わるのかも、まだ分からない。

「白や灰色、橙や紺、紫色が多いと俺は思ってる。空は、毎日表情を変えるんだ。何色に見えるか、これから自分自身の目で見てみると良い」

 ゼルスは穏やかに笑うと、僕の腕を引いた。

「よし。ここが庭園の門だ。大丈夫か? 足は痛くないか?」
「大丈夫。これが、門……。白い煉瓦を門と言うの?」
「敷地と出口を区切る場所、出入り口を門と言うのだったか――目印の一つだ。門には様々な形態がある。しかし難しいな。キルトと話していると、自分の知識の漠然としている部分に気づかされる。俺はもっともっと勉強しておく事にする」

 喉で笑ってゼルスが、僕を門の中に促した。足を踏み入れた瞬間、僕の身につけたイヤーカフスが光り輝いた。また、そこから先には、後ろを歩いていた近衛騎士がついてこなかった。ゼルスのカフスも輝いていた。

「ねぇゼルス。今の光は?」
「ああ。王家の一員であると認識する魔術だ。結界が判別した光だ」
「? あの、僕が聞きたかったのは、何色かって事で……沢山の色があったよ」
「虹色だ。いつか説明しただろう? そうだ。今度、よく似た色を見せるシャボン玉を見に行こうか」
「シャボン玉? それは、お風呂の泡で作るのと同じ?」
「もう少し大きい。王都の大通りで、シャボン玉を飛ばす道化師がいるんだ。彼は一流の芸術家だと俺は思っている」

 ゼルスは本当に様々な事を知っている。頷き、僕はその日を楽しみにしていようと決めた。

「暫くは、襲撃の危機があるから、王宮に滞在する事にはなるが――……やはり、俺のせいだったのだろうか」
「ゼルスのせい? どうして?」
「俺が君を欲しいと望んだ。運命の番でなくとも現行法では結婚可能であったからな、俺には政略結婚の話も絶えなかったんだ。君を誰かが排除しようとしたのかもしれない。もし俺のせいで君が危険な目に遭ったのだとすれば……俺は自分が不甲斐ないという思いよりも、『敵』に対する怒りの制御に苦労しそうだ」

 その時、ゼルスが初めて見せる顔をした。どこか氷のような瞳で遠くを見ていた。僅かに僕の背筋が、ゾクリとした。冷や汗が浮かんでくる。ゼルスが、いつもとは違う人に見えた。僕の知らない人に、見えたのだ。

「――ああ、悪い。なんでもない」

 しかしすぐにゼルスはいつもと同じ優しい顔に戻り、それから怯えている僕を見ると苦笑した。

 片手で僕の頭を、ゼルスが優しく撫でる。

「怖がらせてしまったようだな」
「……うん。怖かった」
「ごめんな。ただ、俺は、俺だから。怖い俺もいる。それは覚えておいてくれ。それとも怖い俺を見たら、嫌いになってしまうか? それならば、俺は全力で――」
「嫌いにはならないよ。ゼルスはゼルスだから。でも……僕は優しい顔のゼルスを見ていると幸せになるけど、他はまだよく分からないんだ。ゼルスの……色々な顔を知りたいけど、それは、幸せかな?」
「そうか。俺も、俺の全てを君に知って欲しいから、ならば偽る事はしない。キルトに誠実でいると誓う。まぁ俺も、キルトの泣き顔を見たら、幸せだとは言い切れない。が、全部を知りたいから同じだな」

 ゼルスはそれから、僕の頭をポンポンと二度叩いた。その感触が擽ったい。そうして立ち止まると、ゼルスが緑の茂みを見た。

「朝薔薇(アサバラ)の茂みだ」

 そこには、真っ青な小さい薔薇が無数に咲き誇っていた。僕は空と薔薇を交互に見る。

「同じ色だ」
「そうだよ。この薔薇は、空に合わせて色を変えるんだ。特に朝の青の時が美しいとされている。今度はもっと早い時刻に、見に来よう」
「うん」

 小さな青い蝶と黒い蝶が、ひらひらと飛んでいた。僕が茂みに手を伸ばそうとすると、その指先を握って、ゼルスが首を振る。

「棘があるんだ。温室の魔法植物とは異なり、この薔薇は自然界の薔薇に近い。手を伸ばせば、怪我をしてしまう」
「そうなんだ」
「次はあちらの白百合を見よう。棘も無い」

 僕の腰に触れて、ゼルスが先へと促した。その後、ゼルスの案内で、僕は庭園の各地を回った。

「この庭園には、植物を維持する魔術がかかっている。そして王家の者しか入れない。聖域なんだ」
「聖域……」
「ずっとこの風景を、キルトに見せられたら良いと願っていた。二人で見られるというのは、今日のように、俺の伴侶となる事をキルトが受け入れてくれた日という事だったからな」
「僕も見られて嬉しいよ。ゼルスの家族になったから、見られたという意味でしょう?」
「そうだ。その通りだ。もう君は俺の家族だし、じきに公的にも結婚式をする事になる」

 最後に門の前に戻ってきた所で、ゼルスがそう口にした。僕には、結婚式がどんなものなのかはまだ分からなかったが、頷いてみる事にする。ただ一つ、不安な事がある。

「本当に、僕は欠陥品じゃないのかな?」
「何故?」
「今まで発情期が来なかったのに、僕はきちんとゼルスの子供を産めるのかな?」
「前にも告げたが、仮に子が産まれなくとも、俺は君を離すつもりはない。しかしそうだな――王宮からは、発情期を促す科学薬の摂取を求められる可能性は高い」
「それを飲めば、僕にも発情期が来る?」
「ああ。王家に伝わる秘薬でもあるからな。王家の他にもごく一部に類似の科学薬が出回っているだけの貴重な品だ」
「僕はそれを飲んで良いの?」

 貴重なものをお願いするのは、悪い事かもしれない。そう考えていると、不意にゼルスが僕の顎を持ち上げた。

「無理に飲む必要は無い。俺が欲しいのは、子供ではなく、君の気持ちだからな」
「僕の気持ち?」
「ああ。もっともっと、俺を好きになってくれ。キルト、愛している」