【一】直接対峙






「出現しました、異邦神です。粒輝域を展開しました」

 街をモニタリングしている管制係のファレルが声を上げた。室内の視線が集まる。正義の味方であるハルキが、まじまじと街を映し出している画面を見ている。その隣で、ガイは腕を組んだ。小型――とはいうが、軽自動車と同じくらいの大きさの蟻型の異邦神が、粒輝域の中で、地面も建物の側面もどんどん覆い尽くしていく。数が多い。これは一時間では倒すのが困難かもしれない。その場合、今のように異邦神が出現すると街に自動的に展開する装置によるものではなく、粒輝力を持つ個人が、自力で粒輝域を発生させて、時間を稼ぐしかない。

 人出は多い方がいいと判断したガイは、己も現地に行くことにした。

「俺も行く」
「先生が来てくれるんなら安心だな」

 目に見えて、ハルキがホッとした顔をした。その頭をポンと叩いて、元気づけるようにガイは笑う。ハルキから見ると、ガイは人の良いイケオジだ。

「行くぞ」

 こうしてガイが先に扉へ向かった。ハルキがその背を追う。
 本部から外に出て、市役所のエレベーターで、一階へと向かった。ガイは白衣姿のままだ。この白衣は、特殊な素材で出来ているので、温度調節が可能だ。ポケットには、粒輝力を用いてはいるが、喚具化で出現させるのではなく、常に物理的に取り出すことが可能な、様々な暗器を忍ばせてある。

 場所は非常に近かったので、二人はアスファルトの上を疾走した。
 暫く走って左側に曲がると、粒輝域の気配を察知する。外から見ている分には、何も起きていないように見えるが、一歩中に入れば、そこには独特の時間の流れがある。なお、一般人は入れない。

 二人がそちらに向かおうとした、その時だった。
 黒づくめの、悪の組織の人間達≠ェ、左右の路地から粒輝域との境界に向かい走り出て、二人の進路を阻んだ。異邦神ではない、闇青国ドゥルンケルハイトから来た人々は、皆軍人だ。その正装が、黒いハイネックコートじみた戦闘服と、ネックウォーマーじみた口元までを覆う布だ。さらには、フードがついていて、それを被っている上に、専用の視覚補助装置を身につけているから、彼らの顔は見えない。

 そこに向かって左手から、手にバインダーのようなものを持った、フードを外している色素の薄い髪をした青年が姿を現した。

「エリル……」

 ハルキが呟く。するとチラリと彼が視線を向ける。だがすぐに中央付近まで進んでから立ち止まり、粒輝域の方向を見た。すると、粒輝域から、一人の青年が出てきた。こちらもフードは被っておらず、視覚補助装置もつけていない。黒い髪に、切れ長の目をした青年だ。それを見て取り、いつもの快活さが嘘のように、ガイの顔が険しく歪んだ。

「リオン」

 ガイの声に、リオンは顔を上げると、嘲笑するように口角を持ち上げてから、ネックウォーマーのような布を、鼻まで引き上げる。いつものように、表情が見えなくなった。

「お前がお出ましとは」
「……」

 リオンは何も言わない。ガイは苛立つように息を吐いてから、余裕ある笑顔を取り繕う。白衣のポケットに手を入れたガイは、小さな蹴鞠のような球体を手に握り、それとなく後ろに放った。それからハルキを一瞥する。

「ハルキ、ここは俺が対処する。だから先に粒輝域の中へ行け。お前なら、殲滅できるはずだ」
「お、おう!」

 必死にハルキが頷く。それを見て笑顔を返してから、ガイはポケットに手を入れて、アイスピック型の武器を取り出した。右手に構えたその武器を、ガイが右側にいる悪の組織の末端達に向かって揮った。するとガイが攻撃する直前に粒輝域が展開された。展開したのはリオンだ。リオンは展開を優先したので、第一撃を末端の部下達が喰らうのは、見過ごした。何故ならば、粒輝域を展開せずに殺されていたら、彼らは命を落とす。だが、粒輝域の中であれば、それが消えた時に生きた状態に戻る。

 今は、青い粒子に変わって空に溶けていったが、それは粒輝域が消失するまでの一時間だけの偽りの死だ。

「行け、ハルキ」

 最初に構築されていた粒輝域への道を開いたガイの声に、ハルキが走る。それを阻もうと、リオンがこちらも物理的に所持できる拳銃型の武器を取り出した。ただし弾丸の代わりに、己の粒輝力を込めて撃つ代物だ。殺傷能力が非常に高い。銃把を握ったリオンが引き金を引こうとした時、その右腕をガイが暗器で抉るように突き刺した。リオンが飛び退く。

「弾切れさせてやる」

 ガイが余裕在る素振りで笑ったが、そのこめかみには冷や汗が浮かんでいる。
 ――リオンは、強い。
 対峙しているだけで、独特の威圧感を身に受けたように思える。

「弾切れ? 粒輝力を拡張している俺の体から、粒輝力が完璧に無くなる事などあり得ない」

 粒輝力の拡張とは、本来人には所持できる粒輝力が決まっているのだが、その制限を訓練などにより二倍、三倍、と、本来持ち得る以上の粒輝力を所持可能にし、己の身に得る手法だ。悪の帝国の軍人の一部は、それを行っているという知識は、ガイにもあった。他に代表的なものとしては、痛覚遮断コントロールなども挙げられる。そちらは、痛覚を麻痺させて、痛みを感じない状態で活動する術だ。現に、血が滴っているというのに、リオンは右腕に痛みを感じている様子は無い。

「何故、わざわざ悪の組織の幹部様が、ここへ?」

 時間を少しでも稼ぎたい。そう考えて、ガイが話を振る。
 すると首を僅かに傾げてから、リオンは瞬きをした。目元だけでも、端正な顔立ちだというのは、ガイにも分かる。ガイは男前が好みだが、敵には敵意しか沸かない。

「無駄なお喋りは好きではないんだ」

 そう言ってリオンが特殊な銃を構え直す。こうして、二人の本格的な戦闘が始まった。

 ガイが地を蹴り、右手で握った暗器を斜め下に振り下ろす形で攻撃しながら、避ける事を見越して、左膝をたたき込もうとした。しかし予想に反して、暗器を銃で受け止めたリオンは、ガイが一瞬息を呑んだ隙に、銃を捨て、黒い手袋を嵌めた手で、暗器を持っていたガイの右手首を掴んだ。そして捻じり上げる。ガイの手からアイスピック型の暗器が地に落下した。舌打ちしたガイが、手を振り払おうとした直後に、リオンはその手首を引いて、体勢を崩したガイの腹部に、膝をたたき込む。

 ―― |殺《ヤ》るはずが、|殺《ヤ》られた。

 肋骨が折れた音が響いた。ガイの側には、痛覚遮断コントロールなどない。
 折れた骨が、肺を傷つけたようで、ガイが咳き込むと、鮮血が口から溢れた。
 リオンが手を離したので、ガイは無意識に両手で腹部を押さえる。その間も、ずっと口からは血が零れていた。

 しかし、このままでは、終われない。ハルキのためにも、街のためにも、国のためにも、ここで負けるわけにはいかない。眉間に皺を寄せつつ、手の甲で血を拭ってから、ガイは無理に笑う。そして宣言した。

「俺の勝ちだな」
「負け惜しみか」

 リオンが冷酷な声を放った、その時だった。
 粒輝力の持ち主にしか聞こえない爆発音が響き渡った。虚を突かれたリオンも他の悪の組織の面々も、そちらを見る。するとそこには、希聖国ポラールシュテルンの国軍が用いる、粒輝力兵器が出現していた。先程蹴鞠のような球体の形でしまっておいたその兵器を、ガイは背後に設置していたのである。

「あれは……」

 大砲型のその兵器は、粒輝力の無効化をすることで根本的な抵抗力を奪う、非人道的な兵器だ。一瞬動きを止めたリオンだったが、それからすぐにエリルを見る。

「総員待避だ。全員連れて、先に戻れ」
「リオン様はどうなさるおつもりですか?」
「そこの死に損ないを殺してから戻る」

 冷淡なその声に、仲間であるのにエリルまで身震いした。
 こうして、悪の組織の者達は粒輝域から出て行き、その場には、リオンとガイのみが残された。粒輝力が無効化された今、できる事と言えば、それこそ肉弾戦くらいだ。リオンは忍ばせていたナイフを取り出す。ガイは、物理的な武器としても使えるアイスピック型の暗器をさらにポケットから取り出した。

 先に踏み込んだのは、リオンだ。ガイが、そんなリオンに足払いを仕掛ける。だが華麗に避けたリオンは、ナイフを振りかざし、ガイの首元を切り裂こうとした。間一髪のところで、暗器でそれを阻止したガイは、もう一方の手に、ポケットから取りだしたスタンガンを持っていたので、迷わずそれをリオンに突きつける。

「っ」

 一瞬衝撃が走ったものの、黒づくめの戦闘服は、その程度では傷すらつかない。なので息を少し詰めただけで、すぐにリオンは体勢を立て直して、距離を取る。そこに今度はガイが踏み込み、リオンの腹部を狙って、暗器を揮う。

 それを繰り返す内、双方細かい傷も増えていった。
 かつ、ドバドバと吐血しているガイは勿論、腕から酷い流血をしているリオンも、二人、共に、貧血状態になりつつあった。

 指先が冷たく、体が震えるのに、冷や汗が停まらず、体自体は熱い。
 苦しそうに咳をしながら、ガイはその状態を冷静に確認しつつ、チラリとうで時計を見た。銀色の高級時計は、あと三分で、粒輝域が消失すると示している。

 ハルキの方は、既に消滅している頃合いだ。あちらは、管制係のファレルが指示を出していると考えている。ガイが交戦している場合は、指揮権はファレルに委任することになっているからだ。

 あと、二分。

 その時また、リオンが踏み込んできた。

「しつこいな、お前も」
「――さっさと諦めて死ねばいいものを。そうすれば楽になれる」
「うるせぇよ」

 あと一分。ガイは、ナイフを腕で受け止めた。肉に突き刺さる銀色の刀身。肘から手首の方にかけて切り裂かれたが、首を殺られて絶命するよりはマシだという判断だ。またナイフを突き刺している状態の時、リオンは動けなくなる。ガイは、左手に持ち直したアイスピックを躊躇うことなく、リオンの向かって左の脇腹に突き立てた。

「ッ」

 リオンが衝撃からか、息を呑む。痛みは遮断しているとしても、刺される感覚自体が消えるわけではない。

 ――あと三十秒、十五秒、九、八……三、二、一。

 粒輝域が消滅した。二人とも、既に傷はない。
 残存ダメージがあるため、負傷した箇所は暫くの間痛むが、命に別状はない。ガイの肋骨や肺も勿論無事だ。

「リオン様!」
「ガイ先生!」

 そこへエリルとハルキが駆け寄ってきた。ガイがハルキを見る。

「異邦神はどうなった?」
「やったよ、俺。全部倒した!」
「さすがだな」

 ガイがハルキに笑顔を向ける。その時、声が聞こえてきた。

「リオン様、お怪我は? 残存ダメージ部位は?」
「問題ない。行くぞ」

 リオンが歩き出す。そして少し進むと、姿が消失した。これは、青闇国が開発した、個人の転移技術による。一部の軍人のみが使える粒輝力を用いた技術だ。続いたエリルもすぐに消えた。エリルが待避させたため、既にその周囲には、悪の組織の者は誰もいなくなっていた。

「ガイ先生、どうなったんだ?」
「あー、なんというか、あれだな。時間切れで、引き分けだ」

 実際には、分が悪かったのは、己だ。そう思いながら、ガイは苦笑する。
 このようにして、一つの戦闘が、終わったのである。