【四】旅行
俺は大きく息を吸い込み、それから首を振った。仮に過去にこの光景があったとしても、今俺は車の助手席で写真を見ているだけであり、何も恐怖する必要はない。
「僕はその事件の犯人を追いかけているんだ」
「そうか。俺とは逆だな」
全力で俺は、俺の家族を皆殺しにした犯人から逃げている。今もその犯人は捕まっていない。若狭さんは、一人生き残って入院していた俺の元へ、事情を聞きたいと言ってやってきて以来ちょくちょく顔を出すようになったのだ。父の同僚だったらしいから、心配してくれているのかもしれない。これまでは漠然とそう思っていたのだが、今過去を推理視して違うなと感じた。きっと何か目的があるのだろう。ただ残念ながら、俺にはそれを論理的に推理する能力がない。
「所で伊波くん、旅行でもどう?」
「どうって?」
「冬休みに、水無瀬高原まで。スキー場に用事があってね」
「寒いから嫌だ。俺は寒いのが嫌なんだよ」
「ウィンタースポーツは楽しいと思うけどな」
「スキーもスノボも俺はできない」
「雪国出身者がみんなできるわけではないよね」
そんなやりとりをしながら家まで送ってもらった。結局食料は買わなかった。
結局旅行には――出かけることになった。
十二月二十日、朝六時。俺は眠い目をこすりながら、マンションを出た。スポーツバックを横にかけ、マフラーをぐるぐると首に巻いて、若狭さんの車を待つ。待ち合わせは六時半なのだが、いつも若狭さんは早めに来ると知っていたので、俺も少し早く外に出たんのだ。手袋をしているのに、指先が震えた。左腕など感覚がなくなってきて、関節が痛む気がした。両足もそうで、つま先が冷たい。右の足首なんて凍りついている気分だ。早く来いと念じていると、丁度目の前に黒い車が止まった。急いで助手席に乗り込む。すると白いビニール袋に入った缶珈琲を手渡された。有難い配慮である。
奥会津町と会津深雪市の中間にある水無瀬高原までは、車で三時間ほどだ。中学時代に、俺も何度か出かけたことがある。水無瀬高原は全国的にも有名だ。理由は高原スキー場に、国内でも数少ないスノーパークがある事だろう。スノーボードに最適で、夏にも人工雪の専用施設が稼働している。また夏には避暑地としても、天然記念物の雪狩草を見られるので大人気だ。
途中で眠ったが、思いのほか早く到着した。
俺達の宿泊場所は、水無瀬高原スキー場の中腹にある夜啼ロッジだという。
「十一月に北欧から建物だけ移築されたそうだよ」
「わざわざ?」
「スキー場の一部に見えるけれど、あの中腹の一角は私有地らしいんだ。麓のホテルのオーナーの敷地だそうで、奥方の趣味みたいだね」
頷きながら俺は車から降りて、若狭さんが荷物を持つのを見守った。
二人でリフトに乗り、中腹へと向かう。ゲレンデの山頂方面や上級者コース、スノーボード専用のスノーパークなどがリフトからはよく見えた。
夜啼ロッジは三階建てで、プレオープンの今回は招待客しかいないらしい。俺は若狭さんの連れという扱いになった。「親戚の子です」と受付で若狭さんが口にしている隣で、俺は愛想笑いを浮かべるしかない。嘘をつくくらいならば連れてこなければ良いのになと思ったが、もう来てしまったので俺は黙っていた。