【九】パスタ店
俺はキノコとベーコンのパスタを頼み、キースはミートソースを頼んだ。
ぜんまい族の立ち入りを規制している店は少ないので、キルトは俺の隣の椅子に座っている。カット檸檬の入った水を飲みながら、俺達は届くまでの間、雑談をしていた。主に王立学院の話で、共通の話題を見つけては、俺はほっとしていた。例えば先生のカツラの話であったり、学院に伝わる七不思議であったり。料理が届いてからは、そちらを食べつつ、俺は時折視線を上げて、キースを窺った。キースは、話しやすい。すると目が合った。
「味はどうだ?」
「美味しいです」
「それはよかった。評判の店だしな」
喉で笑ったキースの表情は柔和で、俺はふと思った。デートとは、こういう感じなのだろうか? 学院時代はアルマ殿下につきっきりであったし、卒業後はほぼずっと家に居るから、俺には恋愛経験というものはない。だが、こうして初めて食事をしているだけで、そんな空想をしていると知られたら、きっと笑われる気がした。
「ところでジェイス」
「はい?」
「本当にアルマ殿下とは、恋仲ではないのか?」
「んん……まぁ、そりゃあ、お互い中年まで独身だったら、王家の務めとしてアルマ殿下は結婚しないとならないかもしれないし、俺を選ぶこともあるかもしれないけどな」
そうは述べたが、そんな未来は来ないと思う。仮に一生独身だとしても、アルマ殿下は悔いが無さそうだ。過去に、この件についてばかりは、俺に無理強いしてきたこともない。それだけアルマ殿下はブラコンである。ただ、近親婚は認められていないので、さすがにユクス殿下と結婚するわけにも行かないから、アルマ殿下が今後どうするのかは、実は俺も気になってはいる。
……近親婚、か。
ふと、俺の脳裏にグレイグ兄上が過った。慌てて頭を振って打ち消したが、思わず溜息をつきそうになる。実を言えば、俺がアルマ殿下に握られている弱みというのは、兄上がらみの事柄だ。アルマ殿下にある日、「初めて夢精したとき、どんな夢を見たか」と尋ねられ、俺は素直に答えてしまった。「グレイグ兄上に、その、抱かれてる夢だった」と。言ってから後悔しても遅くて、以後、アルマ殿下はこれを理由に俺を脅してくる。
俺はグレイグ兄上が嫌いだし、鬱陶しいと思っている。それは、本当だし、間違いない。けれど、まだ仲が険悪でなかった頃に、そういう夢を見てしまった。理由なんて自分でも分からない。ただ俺は、思春期の頃、単純に純粋に、そういう夢を見てしまったと言うだけだ。別に兄上のことが好きというわけでもない。
「では、誰と添い遂げるんだ? そろそろ結婚の話や許婚の選定、婚約の話が出る頃だろう?」
「それは……」
王立学院を卒業すると、確かにそういう話は増える。就職の利点の唯一いいところは、『仕事が忙しい』として、それらを回避できることではないかと俺は考えている。
「――キースこそ。キースだって卒業して暫く経つし、騎士なんてモテるだろ?」
回避はできても、回避しなければ縁談自体はたくさんあるはずだ。そう考えて俺が問いかけると、キースが右の口角を持ち上げた。
「俺のシェリル侯爵家は、恋愛結婚を推奨しているんだ。俺も幼少時からそう教育を受けてきたから、政略結婚のようなことはしない」
「ふぅん。それじゃあ、好きな人は?」
「学院時代に気になっていた後輩と、たった今食事をしている最中だが?」
「からかうの、本当やめろ」
「本心だ。次は、休暇日、プライベートで会いたい」
「へぇ」
「考えてみてくれないか?」
「検討しておきます」
「返事はいつもらえる?」
「え、えっと……」
「食べ終わるまでに頼むぞ」
キースはそう言うと、クスクスと笑った。思いのほか、押しが強いと思う。
「……」
正直、俺としては、キースとどうにかなるつもりは、現在微塵もない。無いレベルでいうと、アルマ殿下と結婚するくらいあり得ない。だが、ならば誰とならば結婚してもいいのかと考えると、それはそれで出ては来ない。
そういう面で、俺はまだお子様なのかもしれない。将来設計も未熟で未来が見えない現在、結婚なんて考えられない。そもそも、結婚が人生の全てだとも思わないし、家族が欲しいわけでは――……と、考えて、それは欲しいと思う。
今、俺には兄上しか家族がいない。でもいつか、兄上だって家庭を持つはずだ。正直兄上なんて適齢期すぎて、なんで結婚していないのか謎すぎる。いいや、謎ではないか。多分、過保護な兄上は、俺が独り立ちするまではだのと理由をつけて結婚しないのだろう。
一気にパスタの味がしなくなった気がした。
俺は兄上が嫌いなのに、兄上のことばかり考えている。それを自覚している。
「どうした? 悪いことを言ったか?」
「え?」
「顔が曇ったぞ」
「あ、いや……べ、別に。その……そ、そうだなぁ! じゃ、じゃあ、次のキースのお休みなんてどうですか?」
恋人ができることが独り立ちだとは思わないが、兄上にこれ以上干渉されない……本当は分かっているが、心配させないためには、誰かと付き合うというのも悪くはないかもしれないと考えた。
「明後日だ」
「キース、ちょっとそれは急だ。心の準備が……」
「そうなのか? なんなら――ジェイスの目的に付き合っても構わないが?」
「へ?」
「そのような格好で、あの場所にいたんだ。なにもお忍びで、ファレル氏に会いに行ったというわけではないだろう? 理由も無く。俺と師団長だって、理由があって向かった先だ。俺は同じ理由ではないかと踏んでいるが?」
「っ」
「ぜんまい狩りの件だろ? 俺が一緒に調査してやろうか?」
俺は唾液を嚥下した。キースは鋭い。しかしこの申し出は、ありがたいのかありがたくないのかよく分からない。判断ができない。武力という意味ならば、俺にはキルトがいる。そう思って隣の椅子を見ると、キルトは小さく頭を縦に動かした。どうやら賛成らしい。
「よく分かったな」
「まぁな。俺はそこまで愚鈍ではないぞ」
「……でも、騎士と回るのは目立つしなぁ」
「俺も町人風の服装を纏うと約束する」
「まぁ、それなら……」
このようにして、俺は次回の約束を取り付けた。
それから食べ終えて、公爵邸まで送って貰った。