【*】呪鏡屋敷


 ――秋雨が降る季節が訪れた。



 新南津市は秋の境界線が非常に曖昧で、葉が色づいても残暑が厳しく、そうかと思えば、次の瞬間には霜が降りる。心霊協会から回ってきた書類を眺めながら、御遼侑眞は自分専用の離れでお茶を飲んでいた。

 実は梅雨の季節に、この新南津市でも有名なお化け屋敷――呪鏡屋敷にて、二度ほど騒動があった。一度目は、大学生が肝試しに入り、呪いの鏡に貼り付けられていた呪符を剥がした。新南津市で有名な大学といえば、霊泉学園大学であるが、霊泉の学生であれば、立ち入ったりはしない。


 霊泉の学生は、霊能力が強いため、入る事すら困難だ。その点は、騒ぎを起こした”一般人”の方が入りやすい。具体的な霊障が出るまでは、何も感じないからだ。

「霊障が出てから気がついても遅いんだけどねぇ」

 気だるそうな顔で、侑眞は呟いた。頬杖をつく。白い着物が肘側に下がる。
 現在肝試しをした学生は、総合病院に入院中だ。
 藍円寺昼威がバイトをする救命救急がある病院だ。

 これだけであれば、まだ対処のしようもあったが、直後入ったテレビ番組のロケがまずかった。本来、新南津市で撮影が行われる場合は、ことそれが心霊現象にまつわる場合、心霊協会に連絡が入る。もし連絡があったならば、当然許可される事は無かっただろう。

 しかし今回は、市外――遠方に住む、敷地の所有者に直接連絡を取り、許可を得たらしい。呪鏡屋敷と関わりたくはないと遠くに逃れた主人は既に亡くなり、新南津市の感知しない所で、所有者は何も知らない子孫になっていたようだ。


 結界は二重の構成で呪いの大元である鏡を封じるものと、そこから漏れ出した全ての呪いを屋敷の中で完結させ、外に漏らさないようにとするものだった。玄関の扉、階段、鏡の部屋の四隅、庭には六芒星を描くようにして、御遼式神道をはじめとした新南津市で強い力を誇る各宗派や個人が協力して結界を構築していた。

 数年に一度、遠方から結界を補強していた。今回は、臨時でこの二ヶ月間、侑眞が呪鏡屋敷を中央に見た場合の東西南北の位置に、神具を設置し、遠隔で簡易な封印を行っている。禍々しい力が強く近づくことが危険だからだ。

 ――テレビの撮影で中に入った芸能人は、何を思ったのか、見事に元々あった結界を破壊して回った。一見すれば、それはただの小石や空き瓶に見えたのかもしれないが、ことごとく位置を変え、無効化して歩いたに等しい。

 呪鏡屋敷の中に渦巻いていた怨念の出口が出来てしまった瞬間である。

「玲瓏院が出てくれれば、さほど問題ではないんだけどな」

 続けた侑眞は、ゆっくりと瞬きをした。


 なんでも――玲瓏院絆という侑眞も知っている芸能人の”ライバル”が、ロケに入ったらしい。事務所も力関係も違うから、今後の絆の仕事を考えて、玲瓏院は揉めたくないという話だった。これを聞いた時に、侑眞は思った。

 ――本当にそれだけか?

 この土地でもっとも強い玲瓏院家が、動かない理由。果たしてそれは、現在最も影響力のある玲瓏院のご隠居が、孫可愛さにそうした姿勢でいるだけなのだろうか? 玲瓏院は、非常に冷酷だ。人当たりは良いが――あのご隠居とて老獪だ。

 代わりに、分家筋の藍円寺から住職の、藍円寺享夜が結界の再構築に参加すると侑眞は聞いた。一応体裁は保っているのだと理解できる。


 しかし同時に――ロケに入った芸能事務所側からも、申し出があった。

『非常に申し訳ないので、こちらからも専門の方を参加させて頂きます』

 大規模な除霊事業であるから、力のある者の参加は喜ばしいし、市外からは他に研究者集団なども来るから、断る事は困難だった。侑眞も普段であれば、気にしなかっただろう。だが、今回に限っては、気にしない方が無理だった。

 芸能事務所から依頼を受けたのは――六条総合サポート。
 やってくるのは、代表取締役兼社長の六条彼方だという。

「偶然かなぁ?」

 そんなはずがないだろうと半ば確信しながら、侑眞は呟いた。
 その後外へ出て、通称迷いの林と呼ばれている、鎮守の森を眺めた。
 強い風が吹き抜けていく。

 こうして呪鏡屋敷に結界を張る当日が訪れた。

 泊まり込みで浄化に当たるのだが、侑眞は先に庭などの敷地の処理を頼まれたので、心霊協会のメンバーと共に現地へと入った。本日心霊協会から来ている中で役員は、瀧澤教会という基督教の牧師だ。気の良い好々爺である。

 他のメンバーは、南通りの地蔵前に午後三時に集合だったはずだ。
 次第に人々が集まり始める。

 単独の個人で来ている者が十三名。
 二人から十人程度の集団――班で来ている人々が七班だった。
 個人は一人を一班と数え、合計二十の班が存在する事になる。

 侑眞は、個人だ。御遼神社の代表者として、単身ここにいる。
 普段であれば、玲瓏院関係者も大体の場合、付き人を除けば一人で訪れる。
 しかし――本日は珍しい事に、藍円寺の住職が、二人の人物を連れていた。


 六条彼方の姿がまだ無い事もあり、侑眞は藍円寺享夜とその連れを一瞥する。

 僧服に袈裟姿の享夜はさすがの貫禄である。年齢は侑眞よりも若いが、見ているだけで、誰よりも頼りになりそうに思える。鋭い眼光で周囲を時折見るが、怯えている周囲とは異なり、一切呪鏡屋敷への恐怖など見えない。

 やはり昼威によく似ているなと侑眞は思った。ただし昼威の方が、優しい顔をすることが多い。はっきり言って、藍円寺享夜はあまり笑わない。いつも人を寄せ付けないように一人だ。それが威厳を煽っているとも言える。

 だが本日は連れがいる。一人は、十代後半くらいの少年だった。薄い茶色の髪に、緑色の瞳をしている。実力至上主義の場であるから、年齢は問われないが――ごく普通の高校生のように見える。緑の瞳というのは、あまり見ないが、異国の血でも入っているのかもしれない。普通というのは、特異な力や気配は感じないという意味合いだ。

 そしてもう一人。黒い髪に、どこか紫味が差し込んでいるような猫じみた大きな瞳をしている二十代後半くらいの青年がいるのだが――侑眞は、何度か見てしまった。皆緊張している中で、まるで天使のように笑っているのである。顔の造形自体も美しいのだが、その青年は……楽しそうに瞳を輝かせている。この場にあって、それが不思議でならない。


 青年がローラ、少年が砂鳥というらしい。

 そんな事を考えていた時、少し遅れて六条彼方が現れた。
 非常に長身だ。初めて顔を合わせたが、侑眞はまずそう考えた。
 190cmはあるだろう。

 その後突入する事になったので、侑眞は周囲をうかがいつつも、意識を切り替えた。
 心霊現象を科学する市外からきた班が最初に入り、ほぼ同時に享夜達三人が進んでいく。
 外からそれを見守っていると、享夜が一度錫杖を強く床についたのが分かった。

 ――さすがは、藍円寺。

 一瞬でその場の空気が、だいぶ浄化されたため、侑眞は細く長く吐息した。

「すごいな」

 その時、隣で呟くような声がしたため、侑眞は視線を向けた。
 すると六条彼方が享夜の方を見て、スっと目を細めていた。


「――藍円寺は、この新南津市でも歴史のある寺院で、そちらの住職の享夜さんは、一目置かれています」

 さりげなく、それとなく、侑眞は六条彼方に話しかけた。

「そちらじゃない」
「え?」
「いえ――そうですか。これが新南津市の霊能力者の実力ですか」

 微笑しながら六条彼方が侑眞を見た。
 彼方の言葉は、度々周囲も口にしていたが、侑眞には違って聞こえた。
 他の人々は、実力を賛美していたが、彼方は見下すような声音に思えた。
 それでも表情だけは笑顔であるからたちが悪い。

 その後、侑眞達心霊協会の役員と共に、彼方のような個人も含めて、中へと入った。階段の途中で何名も霊圧に耐えられず脱落し、外で控えていた者の手で、酷い場合は救急車に乗せられていく。


 結果的に、個人でたどり着いたのは、侑眞と彼方と、霊泉学園大学の学生の宮永という青年だけだった。予定していた人数よりも、大幅に少ない。今回も結界は二重の構成にする予定であるから、呪いの鏡の封印作業の他、その隣室を要に屋敷全体への結界を張る作業がある。隣を歩いていた瀧澤牧師と話をしてから、侑眞は享夜に歩み寄った。

「このままだと、予定人員で、奥の鏡の部屋には到達できません。俺達は、隣室で待機しているので、藍円寺さん、お願いします」

 人目があるので、いつもよりも丁寧に侑眞は告げた。こういった場所で玲瓏院一門の関係者にあった場合は、腰を低くするのが当然の対応だとされている。

「ああ。分かった」

 本来一人など危険極まりないのだが、恐る様子もなく、仏頂面で享夜が顎で頷いた。連れもいるから、完全に一人というわけでもないが。こうして、侑眞は他の人々と共に隣室へと入った。

 そして結界を構築するための最後の術を行い一段落した頃には、日付が替わっていた。

 あとは一晩過ごして結界の発動を見守り、帰宅するだけだ。
 誰ともなく一息をつく。
 侑眞が腰を下ろした時、隣に彼方が座った。

「お疲れ様です。御遼神道の結界も非常に興味深かった」
「本来、俺の神社は結界といったものはあまり手がけないのですが、神の世と人の世の境界にある神社という存在自体が、一つの区切りであり枠組みですので、まぁなんとか」

 最後は濁して、侑眞は苦笑した。すると彼方が唇の両端を持ち上げて悠然と笑った。

「結界は、玲瓏院家の専門という事ですか?」
「――玲瓏院結界は強固ですね」

 玲瓏院結界というのは、新南津市全体に、嘗ては玲瓏院家が、現在では玲瓏院を含めた心霊協会が総出で構築している結界だ。あまり多くの人が知るものではないが、少し調べれば分かる事でもある。

 それにしても、と、侑眞は思う。

 遺言状の件で弁護士が六条彼方のもとを訪れたはずだから、先方も従兄弟同士である事を知っているだろうに、それについて触れてくるわけでもない。

「藍円寺さんが連れていた、ローラという方は、一体どういった経緯でここに?」
「俺も聞いていないので、分からないです」
「そうですか」

 二人がそんな雑談をしていた時、ノックの音が響いた。
 一瞬部屋が静まり返ったが、人間である事を祈りつつ、侑眞が返事をする。

「どうぞ」

 すると扉を開けて、不安そうな顔で少年が入ってきた。

「呪いの部屋が怖くて……」

 怯えるような少年の姿を見て、それはそうだろうと考えながら、皆が暖かく中へと迎えた。その後は朝まで過ごし、撤収準備が始まる頃、砂鳥という少年が隣室へと戻っていった。

 ――異変が起きたのは、その直後だった。


 不意に、屋敷全体が浄化されたのである。結界の作用では無かった。全員、何が起きたのか分からない。顔を見合わせ合って外へと出ると、呪いの鏡がある部屋の扉が開いていた。中に振り返りながら、藍円寺享夜が出てくる所だった。

 状況から考えて、享夜が完全に除霊をしたとしか考えられない。

「――格が違う」

 ポツリと彼方が言った。侑眞も同じ思いだったが――享夜にそれが可能だと、正直思っていなかったので、唖然としていた。呆然としていると、続いて出てきたローラと目が合い、侑眞は短く息を飲む。猫のような瞳をした青年が、ニヤリと笑っていた。

 そして歩いていく彼らを見送っていると、隣で彼方が腕を組んだ。

「確かに、放置は危険だな」
「六条さん?」
「――彼方で結構ですよ。なにせ俺達は従兄弟なんですし」

 小声で彼方がそう言った。ここで言うのかと考えつつも、安全になった帰り道であるから、誰が聞いているわけでもないので、侑眞は小さく頷いた。

「せっかくですから、御遼神社にお立ち寄りになられては?」
「嬉しいお誘いですが、少々約束が。失礼します。また日を改めて」

 こうしてその日は、何事もなく二人は別れた。
 同時に、あるお化け屋敷の騒動が終焉した。