【15】吸血鬼の噛み傷



 その翌週の火曜日、昼威は藍円寺へと戻った。リビングに座り、漠然と侑眞の事を考える。元々連絡を頻繁に取り合っていたわけではないし、特に連絡する用事も無い。それに確かに働いてきたのだし、報酬を貰っても問題はないだろう。

 最初はそう考えてもいたが、やはり水咲の言葉が気になっていた。
 ――もう会う事はない、というのは、どことなく不吉だ。
 だから、本当に報酬をもらっても良いのかという話題を口実に、昼威は侑眞に連絡した。

 すると――今日は暇だから、話があるなら神社に来てくれと返信があった。
 きちんと用件ができて待ち合わせを取り付けたのだし、出かけてみようと昼威は考える。

 そう考えていると、享夜が入ってきた。
 何とはなしにそちらを見て、思わず昼威は眉を顰めた。
 少し前から気になってはいたのだが、弟の首筋に赤い点々が見える。

 一見蚊に刺された傷にも見えるが――よく見れば、噛み傷に思える。
 眼鏡を一度はずしてじっくりと見て、思わず昼威は息を飲んだ。


 享夜の首筋には、どう考えてもザクザクと牙を突き立てられたような痕があったのだ。

「享夜」

 思わず声をかけるが、弟は何やら幸せそうな顔で考え事をしているらしい。

「おい! 享夜。享夜!」

 何度か名前を呼ぶと、やっと弟が昼威を見た。

「聞いているのか?」
「金なら貸さないからな」

 返ってきた声に、今は侑眞からの報酬で懐が潤っているのだと昼威は言おうとして止めた。兄の威厳がことごとく享夜には通じない。それだけ迷惑をかけている自覚はあった。だが今の問題は、それではない。

「違う。お前、その首、一体どうしたんだ?」
「へ?」

 昼威の指摘に、享夜は訳がわかっていないという顔をした。

「首ってなんだ?」
「何って……風呂に入ってないから、汗疹でも出来たのか? 鏡を見ていないのか?」

 眼鏡をかけ直しながら、昼威は嘆息する。

「毎日入ってるに決まってるだろう」
「お前のことだからキスマークではありえないし」

 そうは言いつつも――昼威は、最近享夜が恋をしているらしいと気づいていた。誰かに恋をしている時の弟は、顔が緩む。ただ、それが成就した姿は見た事がない。なので、やはりありえない。そう考えてから、続けた。

「虫刺されに見えなくもないが……いや、もっと深いな、牙か何かでグサグサと刺されたような痕に見える」

 率直に昼威が言うと、享夜が真っ青になった。それを見ながら、昼威はテレビを消す。そして腕時計を一瞥した。

「享夜?」

 何かあったのかと聞こうと思ったが、侑眞との約束の時間が迫っている。


 それもあったし――昼威は傷口を見て、ある事を考えていた。
 一度、よく似た傷を見た事があったのだ。

 あれは、霊泉学園大学の学生の傷で、大学にいるという吸血鬼の教授に血を提供したのだと話していた覚えがある。吸血鬼は――昼威の知る、玲瓏院の知識だと、鬼の一種だ。とても自分では太刀打ちできない。

「――悪いな、今日はちょっと約束があって、これから出なければならないんだ」

 昼威はそう告げて立ち上がった。

「玲瓏院のご隠居の所に、すぐに行くことを勧める。そもそも、俺にどうにか出来るかもわからないからな」

 弟の事は心配だったが――吸血鬼は、人を喰い殺す事はめったにないという知識があった。それに専門家の玲瓏院本家のご隠居の方が、対処には慣れているだろう。そう判断し、昼威はバイクで、御遼神社へと出かけた。

「あ、昼威先生!」

 するとバイトの巫女が声をかけてきた。

「侑眞さん、急なお祓いのお仕事が入って、手を離せなくなってしまったそうです」


 伝言を頼まれていたという楠原という巫女に言われ、昼威は一瞬身動きを止めた。侑眞がお祓い……? 本当に出来るようになったのか? というのが、最初の感想だった。もしかしたら、会いたくないという口実だろうかとも考える。

「そうか。出直す」

 しかし、確認して避けられていると認識したいとも思わなかったので、昼威はそのまま帰る事にした。場所は、クリニックだった。もうすぐ学会があるから、数日間、新南津市を開ける。

「まぁ……同じ市にいるんだ。機会はある」

 一人頷いてから、昼威は準備に励んだ。
 そしてその週学会へと出かけた。

 戻ってきてからは――いつもと同じ日常が戻ってきた。