【29】玲瓏院結界
ノックの音がしたのは、その時の事だった。
慌てて俺が離れようとすると、鋭い目をした兼貞が俺を抱きすくめた。
「入れ」
「失礼いたします」
入ってきたのは、家令の皆月さんだった。
見られている事に俺が狼狽えていると、銀の盆の上に、家電の子機を載せた皆月さんが恭しくお辞儀をした。
「北斗様よりお電話です」
「……分かった」
沈黙をたっぷりとってから、兼貞が俺を腕から解放した。慌てて俺は、ソファの端まで移動する。そこへ歩み寄ってきた皆月さんの盆から、兼貞が受話器を手に取った。
「はい……――っ、こちらには……はい、そうですか……いや、こっちは必ず守るから」
ブツブツと兼貞が低い声で話しているのを聞きながら、俺は自分のスマホを取り出す事にした。すると、昨日から紬からのメッセージが溜まっていた。
『大変だよ、玲瓏院結界、イブに張り直しなんだって!』
それを見て、俺は虚を突かれた。
玲瓏院結界というのは、俺の生家と心霊協会で新南津市に展開している結界の事だ。俺が聞いていた話だと、来年はりなおすはずだったのだが、時期が早まる事は珍しくないという知識はある。
『何か手伝いはいるか?』
慌てて既読をつけて、俺は返事をした。
すると――その時、俺の手から、ひょいと兼貞がスマホを取り上げた。
「聞いた?」
「あ……い、今、弟や家族が大変みたいなんだ。返してくれ、ちょっと通話する」
「玲瓏院結界の件?」
「そうだ。というか、なんでお前が知っているんだ?」
「叔父が、その件で新南津市につめてるんだ」
「そうなのか。おい、とりあえず返せ。俺は、紬――弟と話を……」
「絆の事はこちらで保護するって話を通してもらってるから大丈夫」
「へ?」
「――勿論式神化の話が露見すればどうなるかは分からないけどな」
兼貞はそういうと、俺の前にスマホを差し出した。俺は受け取りながら、兼貞とスマホを交互に見る。
「兼貞。保護してもらえるというのはありがたいが、俺は家族が心配だ。帰る」
「それはダメ」
「……確かに、俺が行っても足手まといにしかならないかもしれないが」
「心配だから駄目だ。これは『命令』だ」
「……? 命令?」
「どうしても帰るというのなら、使役させて、俺のそばに侍らせる」
「は?」
「本当に危険なんだよ。だから、落ち着くまで俺のそばにいてくれ」
兼貞はそういうと、俺の両手をとった。
「落ち着いたら、必ず俺が送っていくから。何も心配はいらない。兼貞の現当主は強いし、分家の力も確かだから」
「……兼貞」
「ん?」
「お前から見ると、俺はそんなに弱いのか?」
「はっきり言っていい?」
「ああ」
「弱い」
「……お前は、強いのか?」
「絆を守るのに不足が無い程度には、な」
俺の指と指の間を、兼貞が撫でる。俺は不甲斐なく思いつつ、小さく頷く。
「兼貞は、自分を信じろというんだな?」
「うん、そう。それじゃ不安かもしれないけど――」
「仕方がないから信じてやる。裏切ったら、許さないからな」
「え?」
「兼貞。きちんとその言葉、責任を持てよ。俺は、だ、だから、お前を信じてやるから!」
「絆……」
兼貞が不意に俺を抱きしめた。
「唐突な健気かよ」
「は!?」
「絶対守る」
ぎゅーぎゅーと抱きしめられて、俺は目を据わらせた。
「俺の家族はもっと強いんだ。お前のことなんか関係ない! でもな」
「うん」
「俺はお前が危なくなるのも嫌だからな」
「っ」
「だから俺のことは守らなくてもいいから、だ、だから……ちゃんとしてろ!」
「愛を感じました」
俺の肩に顔をうずめた兼貞は、それから大きく吐息した。
「絆がそう言うなら、そうする」
「うん。そうしろ」
「絆、俺の事、好き?」
「そうやって言わせようとするのやめろー!」
俺がポカポカと兼貞の胸を叩くと、苦笑された。