【29】春
こうして、春がこの新南津市に訪れた。
ローラと藍円寺さんの同棲(?)は、未だに叶っていない。
なお、火朽さんと紬くんは、大学四年生になった。
斗望くんと芹架くんは、無事にめでたく中学生だ。
――絢樫Cafeは、変わっていない。人間のお客様を日中にはお迎えし、深夜営業中は、妖のお客様がやってくる。いいや、ひとつ変わったとすれば……メニューに和菓子が増えた事だろうか。水咲は、毎夜、お茶を飲みに来てくれるようになった。
玲瓏院結界騒動が落ち着いたから、芹架くんの護衛業務を夜は比較的休めるらしい。
今夜も、深夜の二時に開店したのとほぼ同時に、水咲はやってきた。まだ、ほかのお客様の姿はない。
「砂鳥、花を見に行かないか?」
冷たい緑茶を差し出すと、水咲が僕に言った。それを聞いて、僕は誰もいないから良い事にして、水咲の正面の席に腰を下ろす。
「お花見?」
「御遼神社の夜桜は見ものなんだ」
それはちょっと見てみたい。そう考えながら、僕は自分用にも淹れた緑茶を口にする。
「お前と二人で桜が見たいんだ」
「いいよ。僕、あんまりお花見ってした事がないから、楽しみ」
僕と水咲の関係性――恋人と、なったが、実は僕が正面に座る機会が増えた以外には、目に見える変化はない。実は姫始めのあの日以降、体を重ねた事もない。非常に緩やかに、僕達の間の空気は流れている。
「おやすみ、いつにしようかな。張り紙をした方が良いと思うし」
「この店は、休みが無いようだしな」
そうなのである。絢樫Cafeには、定休日がないのだ。僕には、人間のような休息が必要でないという理由が大きかったし、娯楽でお店をやっているからというのもあったが――今後は、例えばその、デートなんかをする日もあるかもしれないから、お休みを作りたいなとちょっとだけ思っていたりもする。
こうやって考えると、こんな風に思っている僕の方こそ、水咲を意識していて……大好きになってしまっているようで、ちょっと怖い。
「月曜日をお休みにしようかなって思ってるんだよね。お花見の日から、試験的に、そうしようかなぁ」
「月曜は、御遼侑眞が直接御遼芹架に稽古をつける日だから、俺は学校から帰ったあとは自由だ。とても都合がいい。ぜひ、月曜日にしてくれ。そしてその休みを、俺にくれ」
「またタラシ言葉」
「本当は、砂鳥の時間の全てが欲しい」
水咲はそう言うと喉で笑った。僕は時間が経ったら慣れるかと思っていたのに、恋人になった期間が長くなっていくにつれ、いちいち水咲の言葉に照れてしまうようになった。
本日は土曜日だから、あさってお休みにするという張り紙を、早速作成する事にした。看板にも、月曜日を休店日を書き足す作業をする。僕が黒板のような看板にチョークで字を書くのを、穏やかな目で水咲が見ていた。
――さて。
こうして月曜日がやってきた。朝方帰ってきたローラは、休店日を設ける事に反対しなかったし、良いだろう。どころか、週休二日にしてはどうかと提案された。うーん。要検討としたけど、今回は火曜日も日中営業はお休みとした。た、他意はないんだけどね!
「わぁあ」
月曜日、水咲が迎えに来てくれたので僕は、連れられて御遼神社へと向かった。妖のテリトリー側の御遼神社だから、僕と水咲しかその場にはいない。水咲が錦の布を敷いてくれたので、僕はその上に、作ってきた重箱のお弁当を広げる。いなり寿司がメインだ。これは、水咲のリクエストでもあった。
「砂鳥は料理がうまいな」
「気合を入れたからね」
「俺のために、か?」
「ほかに誰がいるの?」
僕は素直に聞いた後で、自分の言葉に気恥ずかしくなった。水咲は喉で笑っている。白いマフラーがたなびいているように見えた。
「こうして砂鳥と長閑な一日を過ごせるというのは幸せだな」
水咲がそういった時、桜全体がライトアップされたように光った。狐火らしい。狐火といっても火朽さんじゃない。水咲の力だ。夜空の下で、薄紅色の花びらがはっきりと見える。
「今年も、来年も、俺はこの穏やかな日々を過ごせるよう、お前のために出来る事はするし、必要があれば、守りぬく」
「水咲は大げさだよ。何もしなくても、僕達の平和な日常は続いていく気がするんだ」
僕はオカズの厚焼き玉子を食べながら、空を見上げる。夜空には星も瞬いていた。
「そうだな――砂鳥とであれば、水のように自然に日常が流れる気がする」
水咲はそう言うと、穏やかに目を伏せた。
その後僕らは、水咲の庵へと帰った。本日の僕は、泊りがけの予定だったのである。夜通しお酒でも飲むかとも思っていたのだが、こうなる予感もあった。
「砂鳥」
本日も二枚敷いてあった布団の上に、僕は押し倒された。僕は、抵抗するでもなく、水咲の首に腕を回す。それから首を少しだけ斜めにして、深く深くキスをした。
「不思議なものだよね。僕の方には、きっかけやこれといった出来事は無かったんだけど、こうやってちゃんと水咲の事が好きになっちゃった」
唇を離してから、僕はそう告げた。意識しすぎるようになったのは、体を繋いだからだとは思うけれど、それがなくても、僕は多分きちんと水咲が好きになっていたし、現に今、水咲が好きだ。
「ありがとう、大切にする」
――このようにして。
ローラの気まぐれで、僕達は引っ越してきたし、人間に倣って働いて食べることにしたわけなんだけど。僕には、意図せず恋人が出来る結果となった。
本当はこの話を、実は僕は、紫信さんに聞いてもらいたいんだったりする。過去、彼が人間だった頃は、僕が無言で耳を傾けているばかりだったから。今では、僕側から話せることがたくさんあるんだと、伝えたいんだ。
人間がそんなに好きではない僕だけど、紫信さんとの思い出が楽しかった過去――は、ともかく、最近の僕は、斗望くんと芹架くんがよく遊びに来てくれるから、特に好きだったりもする。僕は、お店を通じて、人間とも仲良くなれた気がするんだ。
と、こんな感情を水咲に話すと、たまに嫉妬されるから、最近はそれも面白い。
そんな時、僕は妖怪薬を一滴垂らした緑茶を水咲に差し出している。愛が深まるエッセンスが入って――いるわけじゃない。気持ちを通じ合わせるエッセンスが入っている。
すると、香りで察知した水咲はいつも苦笑しながら、言葉を止める。
今も相変わらず、語り部の僕にとっての主人公はローラだけど、決して僕は脇役のつもりはない。特に水咲の隣にいる時分は。僕は、僕の人生においては、主役でもあるのだと思う。それが、愛を識るという事なんじゃないのかなぁ。
こうして、巡ってきた春――時間は、その後も繰り返していくのだった。
(終)