【五】リファラ山地居住区画懇親会



「行くか」

 夕方、ユーゼ様が着替えてリビングに姿を現した。僕は頷いて立ち上がる。今日は懇親会があるのだ。番い同士で出席するようにと、義務づけられている。今後隣人となる人々が集まる集会――それは事実だが、名目でもある。

 誰が、勇者候補の子供を儲けるのか。

 皆の関心事、各国の注目はそれだ。子供達は等しく候補とはなるが、今後の国家間バランスの要ともなる。僕とユーゼ様は、二位と一位だ。表階梯において。当然――最も期待されている組み合わせでもある。

 子供達は、いつか孵化する魔王を倒すための、道具となる。

 実感が、まるでわかない。嘆息してから、僕はユーゼ様の隣に並んだ。やはり身長差がある。玄関を抜けて二人で外に出ると、夕暮れの空に星が光っていた。まだ周囲は明るく夕焼けがかろうじて顔をのぞかせた所だが、星が既に煌めいている。

 今から赴く場は、ただの懇親会の会場ではない。決して見下される事があってはなら無い場なのだと、生家で言い聞かせられた。僕は、勇者候補の子供を産む可能性が高い筆頭であるから、相応に人脈を形成し、今後を有利にするようにと言われている。

 ――ユーゼ様は、どうなのだろう?

 今の所、ユーゼ様は僕に手を出す予定は無いらしい。だが、そうなれば、子供は生まれない。婚姻前の書面の交換で、生む側は僕が希望され、僕は同意した。しかし子供は一人では生まれないから、ユーゼ様の協力が不可欠だ。

「何人、死地に赴く子供が生まれるんだろうな」

 歩きながら、ユーゼ様が呟いた。僕は驚いて視線を向けた。

「番いの数だけ、生まれるのが望ましいのでは? この居住地には、約百名の番い関係にある夫婦がいます」

 同性同士であっても、夫婦と言う。昔女性がいた頃の名残だそうだ。

「――俺は、嫌だがな。自分の子供には、幸福な一生を保証したい」
「……」
「俺と君の子供は、俺達の子供というだけで期待され、悲惨な目に遭う可能性も高い。俺はそれを憂慮している。子供達が育ち、旅立つ前に、魔王など滅してしまえれば良いのだが」
「……僕も、この手で魔王を倒す方がしっくりきます」
「それはそれで不安だぞ。俺に子供共々伴侶を失うという苦行は背負わせないでくれ」

 ユーゼ様が短く吹き出した。僕がいなくなる事は、本当に苦行なのだろうか? ちょっとよく分からない。

「魔王はいずれ、繭の形態であれ、孵化した状態であれ、倒さなければならないだろうな。だが、俺はそれまでの間であっても、家族は大切にしたいと願う方だ」
「……そうですか」
「義務による婚姻であるし、子供を愛せとまでは言わないが――多少は可愛がって欲しいものだがな」

 その言葉に、僕は俯いた。まだ、全然実感がわかないため、愛せるかすら自信が無い。そもそも、愛するってどうやるんだろう?

「僕は、子供とふれあった事がほとんどなくて」
「だが自分自身も子供だっただろう?」
「……そうですけど、昔も今も、あんまり変わらない生活をしています。だから、どうやって可愛がったらいいのか……」
「幼少時、何をされたら嬉しかった?」
「特に覚えてないです」
「そうか。俺は、隣家の庭師が隠れてくれるお菓子に夢中だったが」
「お菓子……」
「些細な事で構わないんだ」

 そういうものなのだろうかと考えながら、僕は道を歩いた。しばし坂道を降りていくと、懇親会の会場となる、居住区中央の公共塔が視界に入った。各地から、人々が集まっていくのが見て取れる。

「行こう」

 その時、ユーゼ様が僕の手を握った。不思議な気持ちで、僕は頷く。他者の温もりをこんなに近くで味わう事は、初めてのような気がした。

 会場に入ると、既に多くの人々が集まっていた。皆が笑顔で挨拶し合っている。僕も笑った方が良いだろう。そう思って、僕は長々と目を閉じてから、表情筋を酷使した。

「……笑うんだな」
「え?」
「初めて見たぞ、君の笑顔を。こういう場が好きなのか?」
「そういうわけじゃ――ただ、伯爵家の人間として、夜会では笑うべきだと幼少時から教えられてきたので……」
「そうか。無理に笑っているのだとしても、ルツは笑っている方が良いな」
「……」
「少しばかり見惚れた」

 ユーゼ様はそう言うと、両頬を持ち上げた。不意打ちの笑顔に、僕の方こそ、視線が釘付けになってしまう。目を丸くしていると、ユーゼ様が僕の腕を引いた。

「今宵は伴侶を見せびらかすパーティらしい」
「そ、それは建前というか、人脈作りの口実の――」

 上辺だけの事柄だ。僕がそう切り捨てようとすると、ニヤリとユーゼ様が笑った。

「俺には人脈など、もう不要だ。構築済みだからな。存分に君を見せびらかす時間とさせて貰う」
「っ」
「とはいえ、ダンスは好きでは無いんだ。酒でも飲むか」

 ユーゼ様は僕を、シャンパンタワーの前へと促した。そしてグラスを一つ手にすると、僕に差し出した。

「酒は好きか?」
「好きという事は無いです。飲めなくは無いですけど」
「では、何が好きだ?」
「嗜好品ですか?」
「何でも構わない。ルツの事が知りたいんだ」

 これまでに、このように言われた事は、一度も無い。僕は受け取ったグラスに口をつけながら、思案した。僕の好きなものって、一体何なのだろう。一つ分かるのは、ユーゼ様から漂うお香のような甘い匂いが好きだという事だ。

「僕は、ユーゼ様の香りが好きです」
「入浴剤ならば、同じものを用いたな?」
「わからないんです。初対面の時から、甘い香りがして」
「それは俺も同じだ。時折、目眩がしそうになる。なるほど、番い関係というのは、誠に存在するようだな」

 ユーゼ様は微笑すると、優しい顔で頷いた。

「香りが繋いだ縁か、不思議だな。それが公になっていなかったならば、ただの麗人に口説かれたとしか、現状では感じないんだが。尤も、先に口説いたのは俺だが」
「……麗人」
「ああ。ルツ、君は綺麗だ」
「べ、別に、伴侶となったからと言って、そんな風に仰って頂かなくても……」
「本心だ」

 僕には実感がわかない。ただ、頬が熱くなった。ちなみに、過去にも、容姿を褒められた事はある。ナイトレル伯爵家の人間は、魔力と同じくらい、美を受け継ぐと評判なのだ。だが、それを褒められて照れた事は、過去には無かった。そういうものだと思って生きてきたからだ。なのになんだか、ユーゼ様に褒められると無性に嬉しい。

 この日、結局僕は、人脈作りをするでもなく、終始ユーゼ様と話をしていたのだった。それは二人で帰路につく間も続き、寝室へ行くとして別れるまでの間、同じだった。