【七】魔獣の討伐





 土の香りがする。
 足下に広がっている、縄で作られた簡易転移魔法陣を一瞥してから、僕は顔を上げた。手には身長よりも長い杖を持っている。それを一度くるりと回してから、僕は正面に広がる、森の開けた場所を見た。前回の戦闘で更地となり、土と岩が見える。

 乾いた風が、僕の金色の髪を攫う。

 僕が地に立つと、そろりそろりと遠方に見える森の木々の合間から、狼が姿を現し始めた。馬車ほどの大きさがあり、野生の狼とは形しか類似点が無い。灰色の毛並みをしているが、額にも第三の目がついている。それらは紅い瞳をしている。魔獣の多くには、あの特異な第三の目が存在する。中には体中に眼球がついている魔獣もいる。弱点も瞳だ。

 一匹が走り出した。
 するとぞくぞくと魔獣達が僕に向かって走り始めた。
 杖を握りしめ、僕は片手でローブの首元に触れ、口布を引き上げる。そして目を伏せ、脳裏に魔法陣を描きながら、杖に魔力を込めた。バチバチと手袋越しに強い魔力が伝わってくる。

 僕は双眸を開けた。瞬間、雷の魔術が、その場で襲いかかってきた約八十頭に炸裂した。稲妻が正確に眼球を貫き、そのまま体を破裂させていく。体液が飛び散り、魔獣達の肉片がその場にボタボタと落ちていった。残りは魔術師団の側に出現しているのだろう。加勢に行くべきか悩みながら、魔力を察知してみるが、大規模な集団魔術をあちらも展開中だったため、手は出さない事に決める。僕は一人、その場で細く長く吐息した。

 その後、約二時間ほどが経ったが、魔術師団の側は大規模な攻撃魔術を何度も放ちつつ、いまだ苦戦しているようだった。僕は到着後数分で完了したが、それは――階梯の順位が高いからだろう。ランキング上位と下位では、同じようにランキングにのっているとは言え、多大なる魔力量の差がある。

 作戦終了時刻を越えたら、加勢をする。それが僕の、いつも、だった。

 僕は転移魔法陣の上で目を伏せる。そして師団側の魔法陣の上に転移した。

「加勢は必要ですか?」
「ルツ様、お願い致します! 我々ではもう手に負えない」

 見れば、負傷者も多く、狼達はバラバラに襲いかかってきているようだった。一体ずつ、人を避けて撃破する事は、先ほどの殲滅に比べたら難易度が高い。正確に言うならば、時間がかかる。

 それでも、味方の兵士は助けなければならない。かつ――早い手出しをして、彼らの仕事を完全に奪う事も、してはならない事である。

 僕は杖を握り直し、僕に指示を出したこちらの師団長に一度振り返った。ひげをたたえた指揮官が大きく頷く。それを確認してから、脳裏に魔法陣を描いた。


 ――三時間後。
 各個撃破をし、僕達は十九時頃、目標とする魔獣群の討伐を完了した。

 だが、これで帰還出来るわけではない。襲いかかってきた魔獣の遺骸から、最果ての闇森に漂う異常魔力の濃度を測らなければならないのだ。僕が倒した分は既に終わっている。待ち時間に調査したのだ。

 待避していた宮廷魔術師の生存者達が、僕が倒した魔獣の遺骸に歩み寄っていく。

 その後調査は二十一時過ぎまで続き、王宮に戻ったのは二十二時手前だった。そこから、報告会が行われる。そちらには父がいて、現地の指揮官から報告を聞いていた。

「そうか。また魔力濃度が上がったか……魔王の繭の放つ魔力量がどんどん高くなっているという証左だな」

 頷いた父上は深刻そうな表情で、手を組み、その上に顎を乗せた。
 会議が終了したのは、二十三時半を回った頃の事だった。

「ルツ」

 席を立つとすぐ、歩み寄ってきた父に声を掛けられた。

「お前の口からも直接報告を聞きたい」
「はい」
「――ユーゼ宰相閣下への連絡はしたか?」
「問題ありません」
「ならば良い。私の執務室へ来てくれ」

 頷いた僕は、父上の後について、王宮の回廊を歩いた。父は執務室の飴色の扉を開けて、僕を中へと促した。静かに入ると、自動的に燭台に火が点った。

「報告を聞きたいというのは建前だ」

 施錠すると、父が単刀直入に言った。いつもよりも声が冷ややかだ。

「帰還と並行して、今度は南側に魔獣が出たという知らせが入った。今夜はもう魔術師達を動かす事は困難だが、一刻を争う。討伐に出てくれないか?」
「承知しました」
「竜型が一体と聞いている。お前ならばやれると信じている」

 父がそっと僕の肩を叩き、送り出してくれた。内密で出かけるという事は、生家地下の魔法陣から、森から離れた丘の上に常時設置してある簡易魔法陣へと移動する事に決まっている。

 生家まで移動してから、僕は現地へと向かった。丘の上の簡易魔法陣は、石が丘に埋め込む形で設置されている。そこからは徒歩で、南へと向かった。

 一人。
 実はこちらの方が、本当に気楽なのだ。誰を巻き込む心配も無いのだから。

 しかし竜型の魔獣は非常に強い。狼型とは凶悪さが異なる。口から瘴気を吐き散らすのが厄介だ。肌も硬く、第三の目には瞼がついている。瞬きの合間を狙わなければならない。

 それでも――倒すのが僕の役目だ。

 僕は南に向かい、周囲の気配を探知していく。独特の魔力が伝わってきたから、すぐに所在地は理解出来た。だが――南に一体と聞いていたが、先ほど狼型達と戦った西と東にも、同様の気配がある。合計三体の竜型の魔獣がいる事は間違いない。

 地を蹴り、風の魔術で僕は夜空に向かって跳んだ。そして森を上から見下ろせる空中で静止し、三体の目視を試みる。いずれも、王国との境を目指して進んでいるのが分かる。ここで、食い止めなければ。指示されたのは一体だが、今すぐにでも阻止しなければならない事は明らかだ。

 僕は片腕を伸ばし、もう一方の手では杖を握り直した。範囲魔術を三カ所に放つ準備を行う。氷と雷の複合魔術を用いるべく、しっかりと魔法陣を脳裏に描く。

 単体魔術が主流であるから、範囲魔術自体がSSSランクだ。そのSSSランクの魔術を一気に放つ事は、相応に労力を使う。しかし、やらなければ。

 僕はしっかりと目を開け、魔術を発動させた。瞬間、轟音が響き渡り、森の三カ所の地盤が竜型の魔獣ごと沈下した。続いて竜達の体が傾き、地面に倒れる音がした。夜目にも砂煙が上がったのが見える。

 倒した。
 そう認識したのと同時に、僕はびっしょりと汗をかいている事を自覚した。一気に膨大な魔力が抜けていった感覚がする。

 探知の魔術で、竜達が絶命しているのを確認してから、僕はまずは南の竜の遺骸のそばに着地した。そして視覚的にも死を確認し、計測魔導具で、魔力濃度を測定する。日中の狼達よりも、ずっと濃い濃度だった。恐らく、この竜達は、魔王の繭のかなりそばに生じたのだろう。

 竜型は元々生じるのは稀だった。僕で無ければ、宮廷魔術師全員で一匹に対応するような、そんな存在である。それが一気に三体も――魔獣が生まれる速度も速くなっている。

「父上に報告しないと」

 その後、東と西の竜についても確認してから、既に深夜の三時を回っている時間となったため、報告は羊皮紙にまとめて、父の亜空間魔術ポストに転送しておいた。帰ろう。

 丘の上に戻り、続いて生家へと向かう。
 生家は静まりかえっていて、皆が寝ているのだと分かった。
 真っ直ぐに地下へと向かった僕は、リファラ山地居住区画の邸宅の庭へと向かう。

 邸宅の明かりも消えている。
 ユーゼ様も眠っているのだろう。僕は玄関の扉に手を掛けた。鍵が閉まっていたので、ポケットから鍵を取り出す。初めて使う事になるが、引っ越す事が決まった日に受け取った品だ。防犯のために、解錠の魔術は使用不可能になっている。

 ゆっくりと鍵を回して中へと入り、内側から施錠してから、僕は気配を消して階段を上がった。ユーゼ様を起こしてしまわないようにという配慮だ。そして一度自室へと戻り、私服を手にしてから、二十四時間沸いているお風呂へと向かった。

 そして乳白色のお湯に浸かる。疲れが溶け出していく。両手でお湯をすくってみれば、確かにこの香りも、ユーゼ様から感じる匂いには混じっているような気がした。ユーゼ様の腕の中にいるような、不思議な気持ちになる。実際に抱きしめられたりした事は無いのだが。そのまま僕は、四時半頃までお風呂に入っていた。

 あと二時間ほどで起きる時間だ。朝食を口にしてから眠っても良いかもしれない。そんな事を考えながらリビングへと行き、通り抜けた先のキッチンで、お水を飲んでいると、静かに扉が開いた。

「朝風呂か?」
「あ……起こしてしまいましたか?」
「いいや。もう五時になるからな。俺は毎朝今頃起きて、新聞に目を通してから朝食を作っているんだ」
「こんなに早く……そうだったんですね」
「俺が好きでやっている事だ。気にしないでくれ。それより――昨日は気配が無かったが、仕事だったのか?」

 リビングのソファに座しながら、ユーゼ様に聞かれた。

「不在のようだったから、何かがあったのかと心配した」
「心配……?」
「ああ。どこへ行っていたんだ?」
「仕事です」
「いつ戻った?」
「その……三時半頃です」

 正直に答えた。お互いの仕事には口出しをしないという決定があるとはいえ、帰宅時間くらいは答えた方が良いだろう。ただ僕は、『心配』という声に、兄や父に言われた通り、連絡するべきだったのだろうかと、心の中で困惑していた。

「心配、してくれたんですか」
「そりゃあする。遅くなる時は連絡が欲しい」
「――午後二時頃出かけて、午前四時頃戻る日は、多いと思います。もっと早く戻れる場合もあるけど」
「そうか。それは、不在でも心配するなという意味か?」
「はい」

 僕の言葉に、ユーゼ様はゆっくりと二度頷いた。

「そういう日は、朝食はどうする?」
「食べてから寝ようと思っていました」
「食事の取り決めは尊重してくれると言うことか。それは嬉しいな」

 微苦笑するようにユーゼ様が口元を緩めた。僕が頷くと、ユーゼ様が立ち上がり、僕の隣に立つ。

「朝食の用意を始める。あちらに座っていてくれ」
「有難うございます」

 こうして、いつもとは異なる朝が始まった。