【十一】断言しても良かったのかもしれない。
「あー、間違って円の中の全てを焼き払っちまったわ」
「……」
現地についてすぐ、最果ての闇森の一角が焼失した。僕は二度ほど瞬きをして、魔力の気配を確認しつつ、視覚的にも数多の魔獣の遺骸を確認した。
「次からは自分の分しかやらないけどな。どうだ? 俺の実力は」
「……すごいと思います」
「素直だな。素直に賞賛されると照れる。お前を俺に守らせる気になったか?」
「それは結構です」
そんなやりとりをして、僕達は遺骸の検分は、双方の国の宮廷魔術師達に任せて帰還した。本日の仕事は既に終了として良いようだったから、僕は帰る事にした。現在、午後四時。まだ連絡は不要であるし、ユーゼ様は家で休んでいるだろうと判断する。
「じゃ、またな」
気さくに笑ったラインハルトに頷いて、僕は転移魔法陣にのった。瞼を閉じて転移した僕は、次に目を開き、自宅となった邸宅の庭で、家を眺めた。
――僕は、ユーゼ様について、知らない事ばかりなのだと理解した日でもある。
『一応、番いなんだから』
僕はそんなラインハルトの声を何度か脳裏で反芻した。……一応。何故なのか、その一言が胸を重くする。
香りを操作できるというのだから、場合によっては、ユーゼ様の相手は僕でなくとも良かったのだろう。そう考えると、無性に寂しくなる。俯いて唇を噛んでから、僕は家の中に向かった。
「おかえり」
リビングに行くと、ユーゼ様がソファに座って羊皮紙を眺めていた。僕に対して顔を上げたユーゼ様を見た瞬間、僕は思わず呟いていた。
「ユーゼ様は、僕の事を、きちんと伴侶だと思っていますか?」
「なんだ急に。とりあえず座れ」
「……ごめんなさい」
こんな事を言ったら困らせるとすぐに理解し、僕は対面する席に座りながら俯いた。そんな僕の前に、机の上にあった茶器から、ユーゼ様が紅茶を注いでくれた。
「それで? どうしたんだ?」
「……僕は、ユーゼ様の事、全然知りません」
「そうか? 俺は仕事ばかりで、これほど深く付き合っている相手はルツだけだが?」
「……ユーゼ様の名前を、教えて下さい」
僕は俯いたままでそう口にしていた。ユーゼ様の顔を見るのが怖い。
「俺の名前はユーゼだ。今自分で口にしただろう? 本当に、どうしたんだ?」
「聞いたんです。ユーゼ=ヴェルリス・バルミルナって言う名前だって……」
思わずつらつらと僕は続けた。そして勇気を出して、チラリとユーゼ様を見る。ユーゼ様は手の指を組んで、それを膝の上に置き、僕を見ている。
「――血筋に纏わる魔術名ならばそれは適切だ。だが俺の養い親は、ベルス男爵だから、戸籍上は、ユーゼ=ベルスとなっている」
「前皇帝陛下のご子息だと聞きました」
「誰に?」
「……ラインハルト=フェルゼンバーグです」
僕は正直に答えた。どうして自分が、こんなにも不安で動揺しているのかは、よく分からない。だが、胸がざわざわとするのだ。
「確かに俺は、天球儀の塔の主席魔術師を過去に務めていたキルト=ヴェルリス卿と前皇帝陛下の間の子供だ。二人は番い関係だった。しかし前皇帝陛下には正妃の他、七名の寵姫もいた上、キルト卿とは婚姻しなかった。俺は正史には記されない末息子だ」
「……」
「現皇帝陛下は、俺の異母兄だ。だが、俺は皇帝家の人間として育った事は無い。キルト卿とは定期的に顔を合わせてはいたが、その数も多いとは言えない。魔術は僅かに習ったが、ただそれだけだ」
「……」
「それで? これらを聞いて、どうしてそんなに暗くなったんだ?」
「……番いになったのに、聞いていないのかと言われて……」
ぽつりと僕は答えた。するとユーゼ様が吹き出した。
「そうか。それを寂しいと思ってくれたのか?」
「はい……」
「俺の事が知りたくなったんだな。俺に興味を持ってくれたらしい」
言われて初めて、僕はその事実に気がついた。なんだか気恥ずかしくなった。
「他には? ラインハルトとどんな話をしたんだ?」
「香りが……作り出せるって……」
「ラインハルトならば、可能かもしれないが、一般的には不可能だ」
「……ユーゼ様の香りがいきなりしたから驚いて……」
「なんだと?」
「それに服従させる香りというのも……」
「あいつは何を考えているんだ。何もされなかったか?」
僕の言葉に、ユーゼ様が険しい表情に変わった。僕は小さく頷く。
「何もされてないです」
「天球儀の塔に、宰相として抗議しておく。というか、この俺のルツになんてことをするんだと、怒鳴り込みたい」
「へ、平気です」
「俺が平気では無い。ルツ、良いか? ラインハルトは少し頭のネジが抜け落ちているようなんだ。変な事をされたら、必ず俺に言うように」
「……変な事……そういえば、子供を弟子にしたいって言うんです」
「なんて答えたんだ?」
「ユーゼ様に聞いて欲しいと……」
「そうか。それで構わない」
何度か頷いたユーゼ様は、それからカップを手に取り傾けた。
「ラインハルトは俺にとって、弟のようなものなんだ」
「弟……」
「悪い奴ではないんだが、性格はあまり良くも無い。あまりあいつの言葉を真に受けるな。大方、俺の幸せに混乱を巻き起こすために、嘯いたんだろうな」
「……」
「なんでもとはいえない、国家機密があるからな――だが、それ以外の俺自身の事であれば、聞いてくれれば俺が直接ルツに話すと誓う。だから、ラインハルトの戯れ言に惑わされる必要はない」
「はい……」
頷いてから、僕はユーゼ様をじっと見た。
「ユーゼ様は、僕と番いで幸せですか?」
「勿論だ。例え香りが無くとも、俺はルツが良い。そう、今では確かに思っている」
「僕もユーゼ様が良いです。ラインハルトから同じ香りがしても、ラインハルトじゃなくユーゼ様が良いと思って……」
「そうか。嬉しいな――しかし、香りは厄介だな。許容出来ない」
ユーゼ様はそう言うと、右手の人差し指にはめていた指輪を一つ引き抜き、僕の前に置いた。
「身につけていてくれ。俺が普段使用している、結界魔術入りの品だ。香りを遮断する事も可能になる。俺には予備がある」
「……」
テーブルの上からそれを手に取り、まじまじと僕は銀細工を見る。僕も魔導具は多数身につけているから、首の鎖の中に指輪を通した。
「……本当に効果があるんですか?」
「何故だ?」
「ユーゼ様の香りはしてます」
「あくまで人工的な魔術による誘惑や服従の香りを排除する品だ。定められた運命的な自然発生する魔力の香りは遮断しない。それだけでも、俺とルツの関係が真実だという証になるだろう?」
「はい……」
僕は嬉しくなって、両頬を持ち上げた。するとユーゼ様が息を呑んだ。
「笑った顔は、いつも以上に麗しいな」
「え?」
「俺は、もっとルツの笑顔が見たくなった。必ず幸せにする。そう誓う」
「僕は……今も、十分幸せみたいです」
「それ以上に、だ。みたいではなく、ルツが断言出来るように、頑張らせてもらう」
ユーゼ様はそう言うと優しい顔で笑った。僕はゆっくりと頷く。ユーゼ様の言葉が素直に嬉しい。
このようにして、その日は流れていった。