【十二】襲撃




 翌朝は、ポテトサラダを食べた。ジャガイモと卵だけが入った、シンプルなサラダを、ユーゼ様が作ってくれた。

「僕、お皿を洗います」
「そうか?」

 食後、紅茶を飲んでいた時、僕は初めての申し出をした。何か、ユーゼ様の役に立ちたかったのだ。

「では、頼む事にする」

 ユーゼ様は僕に対して、楽しげな顔で頷いた。僕も頷き返す。それから僕は、卓上の砂時計を見た。紅茶を淹れる時に使用する品だ。白い砂が入っている。紅茶からは、バニラのような甘い香りが漂ってくる。ユーゼ様は、お茶を淹れるのが上手いと思う。兄と同じくらい上手いかもしれない。

「行ってくる」
「行ってらっしゃい」

 その後僕は、仕事へ行くというユーゼ様を玄関で見送った。
 そのままお風呂へと向かい、僕は入浴する事に決める。

「はぁ……」

 体の芯まで温まるような気がした。両手でお湯を掬い、僕は水面を暫く眺めていた。今日は、仕事が入るだろうか? 入らなければ、何をしようか。まずはお皿を洗うとして……。

 お風呂から出て髪を乾かしてから、僕は早速お皿を洗う事にした。そうしながら、何度かガス台を見た。僕も料理が出来たら良かったようにも思う。いつも美味しい食事を用意してもらっているお礼がしたい。考えてみると僕は、ユーゼ様に、してもらってばかりだ。

「――!」

 そんな事を考えながらお皿を洗い終えた時、僕は周囲にピンと張り詰めるように走った魔力の気配を感知した。手を拭き、慌てて僕は、玄関へと向かった。外に出てすぐ、ローブを喚びだし、戦闘用の装束に着替えた。口布を引き上げて、僕は空を見上げる。曇天の空には、灰色の雲が低く広がっている。雨が降りそうだ。

 しかし天候が気になったわけでは無い。
 僕は地を蹴り、宙に飛んだ。そうして風の魔術を用いて、リファラ山地居住区画全体が見える位置で静止した。すると三方向から、巨大な魔獣――竜が進んでくるのが見えた。動きは緩慢であるが、進む度に周囲の木々を押し倒している。

「どうしてリファラ山地に……」

 ここは、三カ国の中央にある、最も安全な場のはずだ。そのはずだった。魔獣が出現するのは基本的に最果ての闇森からであるし、森に面していない場所、例えば帝国には魔獣が出現しない。そしてこの居住区画は、勿論森には接していない。

 だが、周囲に広がる三つの山の中から、唐突に出現した巨大な魔獣がそれぞれ居住区画を目指して進んでくる。それが事実だ。信じられない事であっても、目の前で起きているのだから、それが現実だ。魔獣を相手に僕が取るべき行動は、一つきりである。

 僕はギュッと目を閉じ、呼びだした杖を握りしめた。脳裏に魔法陣を描いていく。そして目を開けると同時に、三カ所に魔術を放った。大規模な落雷に似た、殺傷力の高い雷の魔術が、三体に直撃した。いずれも第三の目をそれぞれ射抜いた形になった。

「……」

 着地しながら、僕は魔力の気配を探る。既に魔獣の生命活動反応は消失していた。降り立った居住区画中央の広場で、僕は腕を組んだ。すると、遠目に見える家屋から、ポツリポツリと人々が外へと姿を現し始めた。まだ砂煙が上っている魔獣の遺骸の方を見ている者もいれば、僕の方を見ている人間もいる。

「ルツ様」

 その時、一人の人物が僕に歩み寄ってきた。視線を向けると、帝国の貴族であるゴーレイ侯爵家の紋章を縫い込んだ片マントを纏った青年が、険しい顔で僕を見ていた。

「魔獣の気配がしましたが」
「……三方向から、三体が、この居住区画を目指していました」
「少し遅れましたが、僕も察知しました。今は、反応が停止していますが……お倒しに?」
「ええ」
「――帝国であれば魔導騎士団が総出で漸く対応できるような規模ですが……さすがですね」
「母国では単独対応に慣れていますので……魔獣対策の仕方が異なるだけだと思います」

 例えば対人戦であれば、僕は魔導騎士団の人間とそう実力は変わらない。

「しかしリファラ山地に魔獣が出現するというのは奇妙ですね」
「僕もそう思います」
「早急に、話し合いの場を設けて、居住区画の防衛について話し合わなければなりませんね」

 青年はそう言うと、改めて僕に向き直った。黄土色の長い髪が揺れている。瞳の色は緑だ。

「僕は、ユリセと申します。帝国のゴーレイ侯爵家の次男です」
「ルツ=ナイトレルです」
「存じております。ルツ様は、宰相閣下の伴侶ですし」
「……そうですか」
「そうでなくとも、僕もまた魔術師ですから、表と裏の階梯順位は気になります。貴方の名前が載らなかった事は、ありませんからね。同じ歳ですから、物心ついた頃からお名前を拝見していて、勝手に知ったつもりでおりました」

 同じ歳なんだなと僕は一人考えた。僕には、同年代の知り合いはあまりいない。例えば人脈作りをする場合、この人物は最適なのだろうと、漠然と考えた。だから僕は、笑顔を浮かべようとしたのだが、出てきたのは溜息だった。

「……どうして魔獣なんて……」

 ポツリと僕は零した。
 その時、父の言葉がよみがえった。破壊的なカルト宗教が、先日王国を襲撃させるため、魔獣の中に、特殊な魔術媒体を仕込んでいたのだったか。転移魔法陣と媒体を組み合わせれば、魔獣を山の中に召喚し、この居住区画を襲わせる事も可能だろう。

「……人為的な仕業の可能性……」
「ルツ様?」
「忘れて下さい」
「いいえ、聞き捨てなりません。帝国からは何も聞いておりませんが、王国は何かを掴んでいるのですか? そうであれば、情報共有を。現在は、協調すべき時です」

 僕はユリセの言葉に俯いた。ユリセの言葉は正しいが、父の許可が無ければ、僕は何も言うべきでは無い。そもそも口走ってしまった事自体が失態だ。

「――防衛のための会談の場を設ける準備に関しては、僕が帝国から各国に打診して頂き行いますので、ルツ様はそれまでに魔獣についての情報共有の準備を進めて下さいませんか?」
「……」
「ルツ様。これは、ここで今後暮らす上で、僕達皆の危機です。それでは、また後ほど」

 真面目な顔で語ってから、最後には笑顔を浮かべて、ユリセが歩き始めた。僕は暫しの間立ったままで、その姿を見送っていた。