【十三】連絡の順序
まず僕がすべき事は、父への連絡だろう。そう判断し、家へと戻って、僕は魔術通信ウィンドウを展開した。
『何かあったのか? 珍しいな』
「リファラ山地居住区画が魔獣に襲撃されそうになりました」
『何?』
すぐに応答した父の声が、険しく変わった。僕はウィンドウ越しに父の顔を見ながら、静かに頷く。それから概要を説明する。父は静かに聞いていた。僕はユリセの提案についても述べた。
『そうか。話し合いの場に関しては、陛下にも私からも伝えておく。ユーゼ宰相閣下には連絡したのか?』
「いえ……」
『恐らく帝国の窓口となるのは、宰相閣下だ。内助の功とは言わないが、円満な家庭生活を送る秘訣として、きちんと伴侶にも連絡を入れる事を父としては勧める』
「ですが、最初に報告すべきは王国なんじゃ……」
『私としてはその方が助かるが、いずれ伝わる話であれば、配偶者を優先する方が喜ばれるものだ』
「……そうですか」
ユーゼ様が喜んでくれるのならば、そしてそれを父が許可しているのだし、今後はそうしようと思った。だが、それは今急いで考える必要がある事ではない。
「父上。ミゼラルダ教については、公表しても良いのでしょうか?」
『……今回出現した魔獣の体内から、例の鏡が見つかれば、どのみち各国が知る所になる。既に公国にも伝えてある。帝国だけ、のけ者にする必要性も無い。伝えて良い』
「承知しました」
『伝える事で、優位に立てるようであれば、それも望ましい。居住区画内において、ルツが適切な地位を築く事を私は期待している』
そんなやりとりをしてから、通信を切断した。僕は、そのまま、手首の腕輪を見た。ユーゼ様に直接連絡が可能だとして渡された腕輪だ。おずおずと触れてみると、淡い光が辺りに漏れてから、魔術ウィンドウが開いた。画面には何も映っていないが、呼び出すための紋章がついている。文字だけでのやりとりも映像による通信も可能であるらしい。
「忙しいかな……」
そうは思ったが、父の言葉を思い出して、僕は映像通話を選ぶ事に決めた。多忙時はきっと応答が無いと思う。連絡したという事実が一番重要なのではないかと考える。
『ルツか?』
すぐに応答があった。ユーゼ様の姿が映ったのを見た瞬間、何故なのか、僕の体から力が抜けた。
『無事で良かった――ユリセから連絡があった。その件か?』
「……はい」
『そうか。概要は既に聞いている。今夜にも、会談の場を設ける事に決まった。今、各国に連絡をしている所だ』
「そうですか……」
ならば、僕からの連絡は不要だっただろう。あるいは僕が、父より先にユーゼ様に連絡をしていたら良かったのかもしれないが……最終的にユーゼ様が事態を把握出来るという結果になったのだから良いか。
『無事な姿を見られて、本当に安堵した。怪我は無いか?』
「大丈夫です」
『連絡をくれた事も嬉しい』
「……」
『心配していた。これからも、何かあったらすぐに連絡してくれ』
ユーゼ様はそう言うと、苦笑した。僕は、父の言葉が正しかったのだろうと理解した。
『ほぼ確定事項として、今夜の八時から、居住区画の公共塔で話し合いの場が持たれる事となっている』
「分かりました」
『夜まではゆっくりと休んでいてくれ。体が無事でも、精神的には疲れただろう?』
「……ただ魔獣を倒しただけだから……平気です」
『俺にとっては大事だ。ルツはもっと自分自身を大切にするように』
「……はい」
僕が小さく頷くと、ユーゼ様がゆっくりと瞬きをしてから、優しい顔になった。
『俺もルツを大切にする』
ユーゼ様は、既に僕を十分大切にしてくれていると思ったが、僕は何も言えなかった。
『では、また夜に』
こうして話を打ち切ってから、僕はソファに座り直した。深々と背を預けてみる。その時、窓の外で雨が降り出した。次第に雨脚が強くなっていく。僕はそちらを暫くの間、眺めていた。そして――そのまま眠ってしまったらしかった。
「ルツ」
「……ん」
「やはり疲れていたんじゃないのか? こんな所で眠り込んでいるとは」
「……」
僕はソファの上にいた。寝てしまったのだと理解したのは、屈んだユーゼ様に覗き込まれた時の事である。ピトリとユーゼ様が右手の指先で、僕の頬に触れた。
「おはよう。昼は、よく頑張ったな」
「……おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
ユーゼ様が優しい顔で微笑んでいる。その姿を見たら、僕は安心感に包まれた。指先の温度も優しい。
「今、何時ですか?」
「七時半だ。もう少ししたら、公共塔に行こう」
「はい」
「珈琲を淹れる」
そう言うと、ユーゼ様が僕から指を離した。僕はまだぼんやりとした意識で、ユーゼ様を見守っていた。一度キッチンへと向かい、すぐにユーゼ様がカップを二つ持って戻ってきた。良い匂いがする。半身を起こした僕の前に、カップを一つ置くと、ユーゼ様がテーブルを挟んで対面する席に座った。
「寝起きは本当に隙だらけだな」
「……珈琲、有難うございます」
一口飲んでから、僕はユーゼ様を見た。
「あの……魔獣の遺骸の検分は、終わったんですか?」
「ああ。駆けつけた三カ国それぞれの宮廷魔術師がそれぞれ行い、情報は共有した」
「――体の中から、鏡は出てきましたか?」
僕は、ミゼラルダ教の事を伝えるべきだと考えた。僕の言葉に、ユーゼ様が一度目を閉じてから、どこか退屈そうな表情になり、カップの中へと視線を落とした。
「ミゼラルダ教に関して、王国は知っていて、公国にも伝えていたそうだな」
「そうみたいです」
「それで、ラインハルトが王国に滞在していたのか?」
「……」
そこまでは伝えて良いのか分からない。だから僕は、黙って珈琲を飲み込む。
「確かにこれまでであれば、帝国への情報提供は無かっただろう――だが、今回は出現場所も問題であるし、今後は積極的に分かっている事は可能な範囲で話して欲しい」
「可能な範囲が、一人では判断出来ないんです……」
「正直だな。そうか。ならば、誰が判断するんだ?」
「父上や兄上が」
「では義父殿とフィリス卿には、俺から話を通しておくとしよう」
ユーゼ様は微苦笑しながら、そう言った。
「皿を洗ってくれて、有難う、ルツ」
「……いえ」