【十六】僕は弱くは無いと思う。
翌日は、王国から連絡があった。連絡主は、兄だった。直接、話し合いの結果と、魔獣について聞きたいというものだった。
王宮へと向かい、僕は父の執務室に入った。そしてそこにいた父と兄の前で、昨夜聞いた事柄を話した。例えば、ユーゼ様の素性だとかを。二人は真剣な顔で、僕の話を聞いていた。僕が話し終えると、父が言った。
「確かに、勇者候補の子供の父となる人材の育成をしたいという話はあったが、俺がアルラと結婚したのは、惚れたからだ。恋をしたからだ。伴侶だと確信したからだ。身分差など、そこには関係が無かった。だから、ルツもフィリスも、俺達の愛を受けて生まれてきた子供達だぞ」
僕はそれを聞いて、目を瞠った。兄は微笑している。
「父上が、アルラ父様を溺愛しているのは、よく分かっています」
「そうか。よって、既にその点で、ユーゼ宰相閣下の言葉には間違いがあるのだから、他の信憑性も疑うしかないが――そうか。十二月一日か。尤も、私としても、その日に孫が生まれない方が嬉しいがな。可愛い孫に、勇者討伐などという重責を背負わせたいとは思わない。その点では、ユーゼ閣下を義理の息子として評価する」
「父上。アルラ父様がそれを聞いたら、激怒すると思いますよ?」
「アルラとて本心はどうせ私と同じだ。貴族特有の腹の探り合いは、元からあやつも好きではないと、私は知っている」
父と兄のやりとりを、僕はぼんやりとしたまま聞いていた。
「それはそれとして、本日も魔獣が迫っているという報告がある。ルツ、行ってくれるか?」
「はい」
「それで良い。居住区画の護衛よりも大切な任務だ。それでこそ、ナイトレル伯爵家の人間だ」
僕はそのまま父と兄に送り出されて、最果ての闇森へと向かう事になった。転移魔法陣へと歩み寄ると、ポンと僕の隣に飛び乗った人物がいた。――ラインハルトだった。
「よ」
「……こんにちは」
「居住区画に魔獣が出たんだって?」
僕はそれを聞きながら目を伏せた。そして次の瞬間目を開けた時は、最果ての闇森を見渡せる丘の上にいた。隣を見れば、ラインハルトの姿もある。
「大丈夫だったか? ま、お前の実力なら、大丈夫だろうけどな」
「……大丈夫でした」
「それ以外の回答はないだろう? 期待してない、他の言葉は」
ラインハルトはそう言うとニヤリと笑った。
「それにしても、勇者候補の子供の親を狙いに来るとは、敵も中々だな」
「敵……」
「敵だろ? 他に言い方があるか?」
「……分からないです」
「敵は、敵だ。俺や俺の周囲を害する者を、俺は敵だと定める。こうして一緒に討伐に出ている上、将来の弟子の生みの父になるルツを害している時点で、相手は敵だ」
「弟子にするかは分からないよ」
「するって言ったら、するんだよ。俺の決定は絶対だ」
「……」
僕は半眼でラインハルトを見据えた。ラインハルトは相変わらず笑顔だ。これでは本気で言っているのかすら分からない。
「俺も魔獣討伐で、王国に滞在してるわけだが、そういう事なら、居住区画に家を移すか」
「――え?」
「勤務時間外であっても、人手は多い方がいいだろう? いつ襲ってくるか分からんしな」
確かに、ラインハルトが、居住区画の防衛任務についてくれたら、安心だとは思う。
「と、言うことで、家が用意出来るまで――とりあえず今夜泊めてくれ」
「え?」
突然の言葉に僕は驚いた。それから反射的に首を振った。
「無理」
何せ、ユーゼ様に相談していない。僕の一存では決められない。あそこは、二人の家だ。
「何? 二人きりが良いっていう惚気か?」
「違……一人じゃ決められないから……」
「つまりユーゼが良いって言えば、良いって事か?」
「……うん」
「ふぅん。俺は久しぶりに兄弟子たるユーゼに会いたいんだけどなぁ。ダメか?」
「え」
「滅多に会える事は無いんだ。何せあちらは大国の宰相閣下。いくら俺が天球儀の塔の主席とはいえ……中々な。な、頼むよ。ルツが俺を家に招いてくれれば、会える。たまには会いたいんだ」
「……」
僕はそれを聞いて、言葉に詰まった。僕だって、ユーゼ様にいつか会えなくなってしまったら寂しい。そんな同情心が浮かび上がってくる。
「泊められるかは、ユーゼ様に聞かないと分からないけど、ちょっと会いに来るくらいなら……」
「お。さっすが。それで良い。じゃ、お礼に今日の討伐は俺がサクッと片付けるから、お前は帰る準備をしていてくれ」
「え」
「――終わった」
直後、轟音がした。一拍遅れて聞こえてきた音で、今回も森の大規模な部分が焼失したのだと分かる。ラインハルトは火の魔術を得意としているらしい。正確には、隕石魔術だ。炎を纏った石を振らせる高威力の魔術を用いているのである。僕は特に得意な属性は無い。逆に苦手な属性もない。だから、これといって決まった魔術を使用する事はなく、状況に応じて使い分けている。だが、見た限り、ラインハルトはいつも火――隕石魔術だ。
今回の対象は、巨大なグリフォンだった。有翼の獅子の巨体を見据えてから、僕は王国の宮廷魔術師の人々が検分に向かうのを確認して頷いた。
「今から来る?」
「おう。何時頃ユーゼは帰るんだ? まだ五時だ」
「分からないけど八時は過ぎると思うよ」
「じゃあそれまでは、お前と俺の親睦を深めるか」
「……そうですね」
「なんでそんなに嫌そうなんだよ?」
ラインハルトは苦笑しながら、バシバシと僕の肩を叩いた。その後僕達は転移魔法陣で、一度王国の王宮へと戻り報告をしてから、リファラ山地居住区画の僕とユーゼ様の家へと向かった。
玄関の扉を開けてラインハルトを促す。リビングまで進むと、ラインハルトが僕を見た。
「へぇ、綺麗にしてるんだな――って、清掃魔術か」
「……ユーゼ様がかけてくれたんだよ」
「あいつらしいな。あいつ、意外と几帳面で潔癖風だからな。なのに、私室は大体汚い。共用スペースだけ気を遣うタイプ」
「そうなの?」
「あいつの部屋、見た事が無いのか?」
「うん……無いよ」
「お前が今日のように、ずっと俺に対して敬語をやめると誓うんなら、二階の書斎の施錠魔術を解錠してやろうか? あれは天球儀の塔の魔術だから、お前にも開けられないはずだ」
「魔術がかかってる事すら知らなかったけど、開けなくて良いよ。僕は、知りたい事は、ユーゼ様に直接聞くって決めたから」
敬語に関しては、言われて初めて気づいた。ラインハルトは話しやすい。だからなのか、つい、敬語ではなくなってしまうのだ。話しやすさで言うならば、ユーゼ様の方が上なのだが、ユーゼ様を前にするとドキドキするから敬語が出てしまう事が多いのである。
「よし、飲むか」
リビングのソファに勝手に座り、ラインハルトが指を鳴らした。するとテーブルの上に皿やスタンドが出現し、サラミやソーセージ、チーズやクラッカーが出現した。グラスは二つで、中には炭酸の酒が入っていた。ジントニックだろうと判断しながら、僕は正面の席に座った。
「ラインハルトは、お酒が好きなの?」
「まぁな。天球儀の塔の魔術師は、大体酒好きだ。その縁者も、な。ユーゼも相当飲むぞ?」
「飲んでる所、家では見た事が無いです……」
「別にお前に気を許してないからとかじゃなく、ユーゼはないならないで平気なんだろ」
「……そうかな」
「そうだ。何だよ、ユーゼの愛が不安なのか? このラインハルト様が聞いてやろう」
僕はその言葉にグラスを手に取りながら、俯いた。
「初めて人を好きになったみたいで……不安なんだよ」
「その話はラインハルトではなく、俺に真っ先に告げるべき事ではないのか? 俺は君の口から直接好きだと明確に聞いた記憶が無いんだが」
僕は呟いた直後、後ろから抱きしめられた。硬直して、目を見開く。
「ユーゼ様」
「家の結界に変容があったから慌てて帰ってみれば……なんていう話をしているんだ。良いぞ、もっとラインハルトは聞き出すべきだな。愛しているぞ、ルツ」
「!」
その言葉に、僕は漸く気づいた。家の周囲に展開されていた、ユーゼ様の結界が変化していた。より強固なものに。さらに、リファラ山地居住区画全体の外側に張り巡らされていた結界も頑健なものに変わっていた。
「ラインハルト、結界を張り直してくれたようだな。感謝する。たまには役に立つんだな」
「たまには、が、余計だ。久しぶりだな、ユーゼ」
「ああ。お前が敵でないと分かり、俺は心底安堵している。これからもよろしく頼む」
「――俺は、身内を決して裏切らねぇよ。ユーゼは大切な兄弟子だ。実の兄みたいなもんだからな。その嫁さんだって、俺にとっては家族に等しいよ。ルツは可愛い弟的な存在になってる」
「ルツは俺のものだ。それだけは忘れるな。次に仮に服従させる香りなど使ったら、俺を敵に回すと思え」
「あー怖い。ちょっとした悪戯だ。大目に見てくれよ」
「それは無理だ。既に俺はお前を警戒していた」
「だからお詫びに結界を張り直したんだよ。ユーゼ、お前、王国に、俺の配置転換を打診しただろ? ルツと別部隊にって」
「当然だろうが」
「あのな、国防の意味もあるんだから、私情を挟むな」
「私情を挟んでルツを惑わせようとしたのは、どちらだ?」
「だから悪かったって」
二人のやりとりを僕は見守っていた。その間も、ずっと抱きしめられていた。
「今は、俺も、ルツを守るって決めた。何せ大切な母体でもあるからな」
ラインハルトがそう言って笑ってから、ぐいと酒を飲んだ。すると、ユーゼ様がより強く僕を抱きしめた。その横顔を見ると、半眼になっていた。
「ルツの事は俺が守る」
なんだか苛立っているような声音だった。僕はそれを見つつ、首を傾げる。
「僕は、守って貰うほど弱くないです」
すると二人の視線が僕に集中した。そしてラインハルトは吹き出し、ユーゼ様は深々と溜息をついた。
「魔力や攻撃力だけの問題じゃない。例えば、人の悪意。俺は害する他者から、ルツを必ず守る。例えばその相手がラインハルトであってもな」
「おいおいおい、俺の事は信じてくれよ」
「検討しておく」
僕はユーゼ様の腕に、手を添えた。その温もりが温かい。
「では、僕もユーゼ様をお守りします」