【十七】安否




 その日は、ラインハルトとユーゼ様が酒盛りを始めた。僕は十時過ぎに眠くなったのもあって――正確には、久方ぶりに会ったらしく話が盛り上がっている二人の邪魔をしたくなくて、早めに部屋へと下がった。

 本当に親しいらしい。二人とも笑顔で、僕はその場にいるのが、不思議だったほどだ。正直、自分がそこにいて良いのか悩んだのもあって、部屋に戻った。

 毛布を抱きしめて、寝室で寝転がっていた。いつ眠ったのかは、覚えていない。
 翌朝、階段を降りると、ユーゼ様が朝食の準備をしていた。ラインハルトの姿はなく、家の中にも彼の魔力の気配はなかった。

「ラインハルトは帰ったんですか?」
「ああ。四時頃帰った」
「ユーゼ様は寝てないんですか?」
「二時間ほどは眠った。この後も仮眠をとってから、出勤する」
「そうですか……」

 僕が言うと、ユーゼ様が振り返った。

「ラインハルトには敬語をあまり使わないそうだな」
「……」
「俺にももっと親しく話して欲しいんだがな?」
「……だって、緊張するから」
「緊張? ラインハルトにはしないのか?」
「ラインハルトの事は意識してないから……」
「意識されているのは嬉しいが……そう、不意打ちで口説かれると照れるな」
「……」
「兎に角、俺にも慣れてくれ。それが、俺の希望だ」
「は、はい……」

 そんなやりとりをしてから、僕達は朝食を取った。本日のメニューは、ハニートーストだった。甘く柔らかい。

「美味しい……」
「それは何よりだ。昨夜はゆっくり眠れたか?」
「普通です」
「そうか。では――俺に付き合って、もう少し眠ってくれないか?」
「え?」
「ルツを抱きしめて、ルツの温度を感じながら眠りたいんだ」

 僕は、何と答えたら良いのか分からなかった。だが食後、手を引かれて、僕はユーゼ様と共に寝室へと入った。ユーゼ様は寝台に僕を促すと、隣に寝転がり、横から僕を抱きしめた。僕はすっぽりとその腕の中におさまった。腕枕されながら、ユーゼ様の脇の下に頭を預ける。

 それから二時間。僕は眠ってしまったユーゼ様の横顔を眺めていた。

 ジリリリリと目覚まし時計の音がしたのは、午前八時半の事だった。僕の時計ではない。ユーゼ様がかけておいた目覚まし魔術の音のようだった。ピクリとユーゼ様の瞼が動く。

「ああ……仕事の時間だ」
「おはようございます」
「……ルツの成分が足りないようだ。キスをしてくれ」
「……」

 その言葉に僕は赤面してから、唇を近づけてみた。そして触れるだけのキスをすると、後頭部に手を回された。そして深々と口を貪られた。胸がトクンと疼いた。

「少し補充出来た。仕事に行ってくる」
「いってらっしゃい……」

 僕は思わず笑顔を浮かべた。一つ一つのユーゼ様の言葉が嬉しい。
 この幸せが永遠に続けば良いのにと願ってしまう。

 その後僕は、ユーゼ様を見送った。玄関の扉が閉まったのを見てから、僕は天井を仰いだ。今日は平穏だと良いなと願った。

 それからリビングへと向かい、僕は珈琲を用意して、一息ついた。今日は、仕事の連絡は今の所無い。何事もなければ良いなと考えながら、そうして珈琲を飲んでいた。

 ――呼び鈴の音がしたのは、十一時半を過ぎた頃の事である。
 引っ越してきてから、初めての来客だ。昨夜訪れたラインハルトを除けば。呼び鈴が鳴るのは、初めての事である。誰だろう? 僕はカップを置いて立ち上がった。

「はい」

 玄関の扉をあけながら、僕は声をかけた。その先を見れば、ユリセが立っていた。彼は険しい顔で僕を見た。

「ユーゼ様から連絡はありましたか?」
「――? いえ。二時間と少し前に王宮に出勤なさって……ええと、何かあったんですか?」

 僕は一気に不安になった。ユリセの表情は、それだけ険しかったのだ。

「帝国から連絡がありました。宰相府でテロがあったと」
「!」
「恐らく狙われたのは、ユーゼ様です」
「え……」
「目撃情報によると、主犯は白いローブ。ミゼラルダ教徒の纏う装束のようだというお話です。情報は入ったものの、ユーゼ様に連絡しても応答がありません。ルツ様にもないのですか?」
「無いです――ユーゼ様は、ご無事なんですか?」
「それを知りたくて、ここへ参りました」

 僕は足下が崩れたような気持ちになった。
 真っ青になった僕を見ると、ユリセが嘆息した。

「殺しても死なないようなタイプのユーゼ様ですから、恐らくは大丈夫です。貴方の気持ちも考えず、悪い事を言ってしまいました」
「いえ……教えてくれて、有難うございます……」
「僕は、他の帝国の方々に連絡をとってみます。何か分かったら、必ずお伝えします」
「有難うございます……」

 僕は頭を下げた。するとユリセが苦笑した。それから踵を返した彼の背中を僕は暫しの間見ていた。その後リビングへと戻り、僕は通信用の腕輪をじっと見た。今すぐにでも連絡したい。だが――テロ騒動だ。生存していれば、多忙なはずである。そして死亡や負傷をしていれば、応答はないはずだ。僕は、連絡をするのが怖かった。邪魔だと思われる事も――ユーゼ様を失ったと理解してしまう事も、どちらも。

 長々と僕は目を伏せ、リビングの柱時計の秒針の音を聞いていた。
 何かあったら連絡しろとユーゼ様は言った。では、逆は?
 何かあったら、ユーゼ様は僕に連絡をくれるのだろうか? その約束はしていない。

「約束……増やして良いんだったよね」

 僕は、ユーゼ様に、何かあったら連絡を下さいと、伝えたいと考えた。その権利がある事を祈った。僕は手の指を組み、額に押し当てる。ユーゼ様に無事でいて欲しい。そのまま僕は、冷めてしまった珈琲を時折飲みつつ、ソファに座っていた。すると時刻は夜の十一時となった。その時、僕の腕輪が着信を告げた。

『ルツ』
「ユーゼ様……ご無事でしたか」
『ああ。聞いたか?』
「テロがあったって、宰相府で……」
『そうなんだ。その騒動の処理に追われていて、今夜は帰れそうにない。だから『約束』であるから、報告の連絡だ。起きていたか? 起こしたか?』
「起きていました」
『早く寝るように。もう遅い時間だぞ? 俺はお前が体調を崩したらと思うと心配になる』

 僕の方こそ、余程心配だと思う。だがその一言が口から出てこない。

『悪い、次の会議が迫っているんだ。切る。明日また、連絡をする』

 その言葉を最後に、プツンと通信が途切れた。気づくと僕は泣きそうになっていた。
 ――兎に角、ユーゼ様が無事で良かった。