【十八】心配
本当は、もっと声を聞いて安心したかった。大丈夫なのかと問いかけたかった。だが、時間が無くて、それは叶わなかった。僕は一人きりの寝室で、毛布を抱きしめた。隣に、無い、ユーゼ様の温もり。それが酷く辛く寂しい。ユーゼ様の体温には、依存性があったらしい。僕は目をギュッと閉じた。すると何故なのか、悲しいわけではないのに、涙が零れた。ユーゼ様に会いたい。無事な姿をしっかりと見たい。
その夜、僕はよく眠れなかった。
眠い眼を擦って、翌朝ダイニングへと降りて、何もないテーブルを見た。
ユーゼ様はいないのだから、朝食も当然無い。
僕はトーストを作りながら、虚ろな目をしていた。バターを載せただけのトーストだ。焼けてから、それを椅子に座って囓る。ユーゼ様がいない。それが、その事実が、どうしようもなく寂しい。
ユーゼ様がいないと、僕はダメになってしまったのかもしれない。食べ終えてから、僕は両腕で体を抱いた。ユーゼ様を失ったらと思うと、酷く怖い。
そのまま僕はダイニングの椅子にずっと座っていた。日は高くなり、傾き、すぐに夕暮れが訪れた。玄関の扉が開いたのは、午後の六時を回った時の事だった。僕は慌てて立ち上がった。
「ユーゼ様」
「ルツ、悪い、着替えを取りに来たんだ。今夜も泊まりになる」
玄関に向かった僕の横を、ユーゼ様が通り過ぎた。僕は思わず涙ぐんだ。無事な姿を見られて良かった。そのまま、二階にあがり、すぐに降りてきたユーゼ様は、再び玄関の扉の前に立つ。だが、一度振り返り、僕を抱きしめ、額にキスしてくれた。
「ルツ。きちんと寝るんだぞ」
「は、い……」
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
僕は、ユーゼ様の言葉を守る事にした。その夜は、昨日眠れなかった事もあり、僕は熟睡した。だが、悪夢を見た。ユーゼ様を失う夢だった。だから、最悪な寝起きを経験した。白い陽光が忌々しく思えた。
今日も一人きりの朝食だ。僕は、魔術固形食を喚びだして、それを囓った。作る気力も技能も無い。本当は食料庫のレタスを見て、スープを作ってみようかとも考えたが、一人では虚しい。
『ルツ』
そんな事を考えていた時、父から通信があった。僕が視線を向けると、父が言った。
『魔獣が出現した。すぐに王国へと来てくれ』
「はい」
同意した僕は、大きく頷く。そうだ、僕には僕の仕事がある。それを全うする方が良いだろうし、仕事をしていたら、少しはユーゼ様の事を忘れられるかもしれない。不安で押しつぶされそうな心が、平穏を保てるかもしれない。
その後、庭の転移魔法陣にのり、僕は母国の王宮へと向かった。すると、転移魔法陣の先に、ラインハルトが立っていた。
「待ってた。すぐに出るぞ。お前の父親とは話がついてる」
「……そう」
「行くぞ」
僕は同意し、ラインハルトが転移魔法陣の座標に指定した位置を読み取り、そこに転移した。丘の上に降り立つと、強い風が吹いていた。僕の髪を風が攫う。その時、ラインハルトが僕の腕を掴んだ。
「何?」
「顔色が悪い。今にも倒れそうなほど青い。ふらついてる」
「気のせいだよ。僕は平気だから」
「――大方、ユーゼが心配で死にそうなんだろ?」
その言葉に、僕はあからさまに息を呑んでしまった。すると、ラインハルトが呆れたように笑った。
「帝国でテロがあったらしいな」
「……」
「主犯は、ミゼラルダ教徒」
「……」
「ま、ユーゼなら大丈夫だろ。そんな不安そうな顔すんなよ」
ラインハルトはそう言うと、僕の頭をポンと撫でるように叩いた。そしてにこりと笑った。僕は唇を噛む。
「何を根拠に」
「あれ? スバル卿直伝の、ナデポニコポが効かないだと……」
「は?」
「なんでもない。いや、な、弱ってるお前につけ込もうとしたわけではないぞ?」
「?」
訳が分からなかったが、その後僕は、自分の仕事をしようと再決意した。半円ずつを倒すと決めて、僕とラインハルトはそれぞれ魔術を放った。無心に討伐している間は、焦燥感から解放されていた。
「終わりだな。お前、とりあえず帰って早く寝ろ。顔色が悪すぎる」
「……うん」
今日は果たして、ユーゼ様は帰ってくるだろうか?
そんな事を思いながら、僕は一度王宮へと戻り、父に報告をしてから、家に帰る事にした。僕にとっての家は、既に居住区画の邸宅になっているようだった。庭に着くと、それだけで肩から力が抜けたから、そうなんだと思う。
玄関の扉に手を掛ける。鍵を開けようと思ったら、開いていた。
僕の鼓動が激しくなる。慌てて扉を開けて中へと入れば、ユーゼ様の香りがした。
「ユーゼ様!」
「おかえり、ルツ」
「ユーゼ様こそ……おかえりなさい」
僕は涙ぐんだ。優しく笑って立っているユーゼ様を見たら、それだけで涙腺が緩んだのだ。ユーゼ様は、ブロッコリーを茹でているようだった。
「会いたかった。無性に。ルツに」
「僕も……僕もです」
「そうか。有難う」
目を伏せてユーゼ様が笑った。火を止め、鍋の中身をうつし、冷水に浸し始めた。僕は歩み寄り、思わずユーゼ様に抱きついた。
「怪我は無いですか?」
「ああ。平気だ」
「確認させて下さい」
「――それは、お誘いと取って良いのか?」
「何でも良いです。ユーゼ様が無事なら、何でも良いです」
僕の声には涙が混じっていた。こんな風に人の安否で心を揺さぶられたのは、初めての経験で、どうして良いのか分からない。
「本当に、会いたかった……」
「俺もだ。ルツの事ばかり考えていた」
「約束……」
「ん?」
「ユーゼ様も、何かあったら、僕にすぐに連絡を下さい。僕のお願いです。希望だよ……」
「――そうだな。ああ、ルツのお願いならば、叶えなければな。では、約束しよう」
「うん、うん」
「愛している」
体を反転させ、ユーゼ様が正面から僕を抱きしめた。そして僕の唇に触れるだけのキスをした。僕は泣きながら頷く。
「今夜はゆっくりと、一緒に寝よう」
「はい……」
答えながら、僕は眠くなってしまった。そんな僕の頭をユーゼ様が撫でた。
「夕食を作っておいた。食べたら、寝室に行こう」