【二十】魔力の制御
――初夏が訪れた。ユーゼと暮らし初めて、もう二ヶ月。現在は六の月だ。
最初の頃とは異なり、ユーゼ様は僕にもう妊娠検査の魔術は使っていないらしい。出来ても出来なくてもそれが自然であればもう、どちらでも構わなくなったそうだ。今ではほぼ毎夜、同じ寝室で抱き合って僕らは眠っている。
というのも、最近は落ち着いているからと言うのも大きい。
大規模な魔獣の襲来は、王国にもリファラ山地居住区画にも無い。
テロ被害も無い。
このまま何事もなく、穏やかな日々が続いたら良いのに。僕はリビングでクッションを抱きしめながら、そんな事を考えていた。ユーゼ様は、書斎でお仕事中だ。
そう考えていたら、魔術通信ウィンドウが起動した。父からだ。父と連絡を取るのも久しぶりの事だ。だが不意な連絡に、仕事が入ったのだろうかと、少しだけ心がざわついた。やはり平穏は続かないものなのかもしれない。
『ルツ、竜型の巨大な魔獣が八体出現した。全て王国を目指して進んでいるが、位置がばらけていて、ラインハルトといえど一撃で倒すには広範囲過ぎるんだ。力を貸して欲しい』
「分かりました」
僕には、同意する以外の返事はない。
『二時間後から討伐を開始する。それまでに王宮へ来てくれ』
「はい」
僕が頷くと、通信は途切れた。僕は一度カップを手にして、中の紅茶を飲み干してから、立ち上がった。仕事へ行くという報告をユーゼ様にすべきだと考える。リビングがから出て、僕は二階へと続く階段をのぼった。そして過去には入った事の無い、ユーゼ様の書斎の扉をノックした。
『ルツ? 入ってくれ』
「失礼します」
少しばかり緊張しながら室内に入ると、そこには雑多に築かれた書類の山があった。確かに、いつかラインハルトが話していた通り、共有スペースよりは綺麗ではない印象がある。だがホコリなどはないし、床はピカピカだ。
「どうかしたのか?」
「王国での仕事が入ったから……少し、出かけてきます」
「そうか。魔獣が出たのか?」
それを聞いて、僕は少しの間、思案した。それは機密なのかもしれない。雑談でユーゼ様に話して良い事なのか、僕は迷ったのだ。だが、いずれ露見する事ならば伝えて構わないという父の声も過る。
それとは別の感覚で、僕は、ユーゼ様に対して、正直でいたいとも感じていた。嘘をつきたくないし、出来る事ならば、秘密も持ちたくない。
「そうです」
結局答えたのは、僕が自分の気持ちに素直になったからなのだと思う。
「気をつけるようにな」
「はい」
「――危険な仕事をして欲しくはないというのが本音だ。それも忘れないでくれ」
「有難うございます」
僕の両頬が自然と持ち上がった。するとユーゼ様は微苦笑した。
そのまま静かに送り出されて、僕は庭へと向かった。ローブを纏い、転移魔法陣の上にのる。そして長く目を伏せ、開けた瞬間には王宮にいた。まだ少し時間は早い。
魔獣は特異な位置に出たようであるから、事前の調査資料に目を通した方が良いかもしれない。そう考えて父の執務室へと向かう。すると父は書類仕事をしていた。
「来てくれたか」
「はい」
「これが資料だ。東側から三体、西南から四体。範囲が広いラインハルトが西南を担当する。そこから距離がある東側をルツに担当してもらいたい」
「分かりました」
「全て竜型で――成体が巨大化したものらしい。第三の目が……三つある。どこが急所かは不明だ。新型だ。口からは瘴気を放っている。口布に、防毒魔術をかける事を徹底してくれ」
頷きながら、僕は資料が入った魔導具の指輪を受け取った。それを握ると、僕の精査用のウィンドウに竜型の魔獣の外見が映し出された。
昼食までの間、僕はそれを見ていた。午後一時手前に、父のものと共に、僕も食べるようにと軽食が運ばれてきた。王宮の侍従が運んで来たのは、サンドイッチだった。僕はツナサンドとコーンクリームスープを飲みながら、その間も、ずっと倒し方を検討していた。いくつもの候補となる魔術のための魔法陣を脳裏に描いておく。いつでも発動可能な体制を整えていった。
その後一時半からは全体集会があった。父と共に第二塔へと行くと、ラインハルトの姿があった。彼は僕が定位置に立つと歩み寄ってきて、隣に並んだ。僕とは異なり、ラインハルトの杖はゴツゴツとした木を削り出した杖だ。僕の杖は身長より長い水晶製なのだが、ラインハルトの持つものは、お伽噺の中で描かれるヴェルリス神が手にしてる杖によく似ている。その杖で、ラインハルトは二度肩を叩いてから、ニヤリと笑った。
「同時に魔術を放つと共鳴して、大威力になってしまうかもしれないのが難点だよなぁ」
「僕が先に三体を倒すよ」
「おう。期待してる」
他の宮廷魔術師達は、遺骸の検分のために、少し離れた位置に待機しているようだった。
こうして話し合いが終わってから、僕達は王宮側の転移魔法陣へと移動した。
そうして最果ての闇森の丘の上に展開されている魔法陣の上に転移した。
久方ぶりの森だ。
それを目にした瞬間、思わず僕は眉を顰めた。明らかに、二ヶ月に見た時よりも、森の魔力を帯びた植物が放つ瘴気が強くなっている。魔法植物は、成長が早い。焦土にしても、そこはすぐに森に飲まれる。その植物自体も、一つ一つが巨大化している気がした。
「行くか」
ラインハルトが宙に跳んだ。僕もそれに倣う。そしてラインハルトからは距離がある東側が見渡せる位置に立った。三角形を描くような位置に、魔獣の巨体が見える。巨大な三角形――三方向からの進撃だ。僕は口布の位置を改めて直した後、杖を握りしめ、静かに目を閉じた。脳裏には金色の魔法陣と古代魔術由来言語の呪文が流れるように広がっていく。あとは、魔術を放つだけだ。
僕は力強く目を見開いた。そして魔術を放つ。
その瞬間、思わず目を見開いた。
轟音が周囲に轟いた時、僕の体から一気に力が抜けたのだ。それは、強い魔力を解放したからではなかった。過去に経験した事の無いような、目眩に襲われた。三カ所に三本ずつ放つ予定だった雷の魔術、それ自体は成功したようだったが……魔獣の体が飛び散ったのを僕は見た。制御に、失敗した……? 僕は、過去にこれほどまでにも強い魔力を解放した事は一度も無い。そのため、狼狽えた時、ぐらりと僕の体が傾いた。
「お、おい!」
ラインハルトが僕のそばへと転移してきた。魔法陣を用いない人体転移は、短距離であっても非常に難易度が高い魔術だ。漠然とそう思ったのは、僕の体が地上に落下し始めた時の事だった。思考が曖昧になっていく。するとラインハルトが慌てたように僕の手を掴み、抱きしめるように、支えながら風の魔術を展開した。
――貧血?
こんな経験も過去には無い。ズキズキと頭痛がした。僕はラインハルトの腕の中で、ぼんやりとしながら瞬きをした。
「一撃で、俺の側の魔獣四体まで破裂させ――……どころか、森一帯が壊滅してるぞ」
「……」
「久しぶりだから、俺に力を誇示する……なんて事は、ルツはしないな」
「……」
「ルツ? おい、ルツ!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の体はビクンと跳ねた。そのまま僕の意識は途絶した。