【二十一】愛に溢れる。




 僕は倒れたらしかった。目を覚ました僕は、過去に負傷した際に目にした事のある天井を視界に捉えていた。すぐにその場が、王宮の敷地内にある、医療魔術塔の病室だと理解した。

 天井には医療魔術のための魔法陣が刻まれていて、僕の手の甲には、点滴器具がある。そこから伸びたチューブの先には、魔法薬液の点滴が見えた。二つある。片方は透明で、片方は薄い緑色だ。

「ルツ! 目が覚めたのか?」
「……ユーゼ様……?」

 僕は声がした方へと視線を向けた。上半身を起こそうとしたのだが、体には力が入らない。

「どうしてここに?」

 ここはグリモワーゼ王国のはずだ。そこに帝国の宰相閣下がいる事が不思議だった。

「倒れたと聞いて、いてもたってもいられなくてな」
「……僕、どうして倒れたり……今まで、そんな事は無かったのに」

 今までには、魔力や魔術を制御出来なかった事は一度も無いし、倒れた事だって無かった。思わず悲しい気分で瞬きをする。すると、ユーゼ様が一度沈黙してから、僕の頬に静かに触れた。

「その事実があるから、全身の検査がなされた。倒れてからもう三時間ほど経っている」

 その言葉に窓の方を一瞥すれば、西日が差し込んできていた。夕焼けと青い薄闇が、室内を包んでいる。

「ルツ。君は、妊娠している」

 淡々とした声で、ユーゼ様が言った。僕は目を見開いた。気づくと上半身を起こしていた。驚きすぎて、体に力がこもったのだ。そんな僕の左手を、両手で覆うようにユーゼ様が握る。

「この塔の医療魔術師と、医療魔術の心得があるラインハルトの話だと、妊娠すると魔力量が不安定になり、これまでの制御方法では上手く扱えなくなるとの事だった。さらには、胎内の子供の魔力も影響を与えるらしい。俺達の子供は、どうやら強い魔力をもっているようで、それがルツの魔力と混じっている部分もあり、今回膨大な魔力が放たれたらしい」

 その言葉に、僕は驚きすぎて、何も言えなかった。ユーゼ様は、僕の前で、世界樹の階梯の表階梯順位と裏階梯順位が記載されている魔術石版の表面を映像として映し出した。階梯順位は、より強い魔力が放たれれば自動更新される。

 それら両方の一番上に、僕の名前が記載されていた。ルツ=ナイトレルとある。上向きの矢印マークがあって、二位より順位移動とある。表階梯順位では、ユーゼ様を抜き一位に、裏階梯順位ではラインハルトを抜き一位になっていた。唖然とし、冷や汗が垂れてくる。

「一月早く数えるから――今は、二ヶ月だそうだ。九ヶ月で産まれるから半年後、一月の半ば頃、俺達の子供が生まれる。今は六月の半ばだからな」
「子供が……」
「産んでくれるな?」
「……はい。勿論です」
「有難う、ルツ」

 そんなやりとりをしていると、扉が開いた。入ってきたのは、父と兄、そしてラインハルトだった。

「ルツ、目が覚めていたか」

 父はそう言うと、僕に駆け寄った。ユーゼ様が僕から手を離して、脇に逸れた。

「おめでとう、ルツ。宰相閣下、既に伝えたか?」

 父の声に、ユーゼ様が静かに頷いた。それを聞くと、父と兄が優しく笑った。

「甥が出来るのか」
「兄上……」
「楽しみにしているよ」

 兄が僕の頭を撫でた。くすぐったい。父も隣で頷いている。
 その時、ラインハルトが咳払いをした。

「天球儀の塔では、幼少時から弟子教育をする場合もあるし、何より医療魔術も発展してる。俺が今後は、この塔の連中と協力して、しっかりと診てやる。だから何の心配もいらない――が、危険な仕事はやめだ、やめ! これからは母体が第一だぞ」

 それを聞いた父が大きく頷いた。

「跡取りであるから、フィリスを戦場に出すわけにはいかないが、私が直接出る事は可能だ。それは勇者候補の子供を身ごもったからではなく、私も初孫の元気な姿を早く見たいからに他ならない。ルツ、頑張るんだぞ」
「父上……」
「久しぶりの実践だ。まだまだ負けない自信があるぞ」

 父の階梯順位は、裏階梯順位が十一位、表階梯順位は四位だ。父は跡取りながらも、若い頃は率先して、国の防衛をしていたと聞いた事がある。僕の直接の魔術の師匠でもある。父の言葉に、僕は少しばかり気が抜けた。なお生みの父であるアルラ父上に似た兄は、ほとんと魔術を使えない。代わりに父よりも既に領地経営の手腕に長けている。

「今後は自分の体を大切にする事が最優先事項だ」

 兄が優しい顔でそう述べてから、ユーゼ様を見た。

「ルツを頼みます」
「ああ。任せてくれ」

 大きくユーゼ様が頷いた。
 ――こうして僕には子供が出来た。予言の時期とは異なるから、勇者候補の子供とはならないのだろうが、僕は妊娠し、ユーゼ様と本格的に家族になれると考えると嬉しさがこみ上げてきたのだった。子供がいなくたって、僕にとってはもうユーゼ様は家族かもしれなかったが、愛の証のような気がして嬉しかったのである。

 父と兄――家族にも、祝福されているのが嬉しい。皆に愛される子が生まれたら良い。

 そうは思うのだが、実感がまだ無い。魔力による妊娠の場合は、腹部が膨らむわけでもない。それでも僕は、お腹に手をあててみた。この中に、子供がいるらしい。魔力による子宮代替器官が、受精すると体内に出来るらしい。僕の体は、自然と作り変わっていたらしい。一度その器官が出来ると、生涯そのままなのだと聞いた事がある。だから、初産の、器官形成から開始する段階が、一番大変なのだとも習った事がある。正直、僕は子供を産む未来を、結婚するまで考えた事は無かったから、緊張してしまう。

 その後数日、より詳細な検査もあるという事で、僕はそのまま入院した。
 ラインハルトが主治医役もかってでてくれたそうで、主に僕は、ラインハルトの話を聞いていた。彼は言う。

「絶対に無事に産めよ? 何せ俺の弟子にするんだからな」
「……そんな約束は出来ないよ」
「ま、そうならない未来がくるとしても、俺はお前のために全力を尽くしてやるよ。ルツは、俺の友達だからな」

 僕はその言葉に驚いた。僕を友達だとラインハルトが言ったからだ。心がほんのりと温かくなった。僕にはこれまでの間、友人などいなかったから、他者にそう認識されているのが無性に嬉しかった。

 入院中は、毎日ユーゼ様が会いに来てくれた。青い花を持ってきてくれたから、花瓶に入れて飾った。

 ――僕がユーゼ様との家に戻ったのは、それから一週間後の事で、六の月も下旬になっていた。家に戻ると、ユーゼ様が、優しく僕を抱きしめてくれた。

「元気な子を産んでくれ」
「頑張ります……」

 僕はユーゼ様の服をギュッと掴んだ。それから、触れるだけのキスをした。