【二十二】僕に資格はあるのだろうか。




 一の月の半ばが待ち遠しい。
 この大陸では共通して、十二の月の最後の一週間が『終夜の週』と呼ばれ、最終日の三十一日は、終夜と呼ばれる。その日はカウントダウンをする事が多い。そして翌日から一週間が、『新陽の週』と呼ばれ、新年となる。その日からが新たな一日の始まりとなる。この文化も、元を正せば、稀人がもたらした風習だとも聞いた事がある。

 僕とユーゼ様の子供は、新陽の週が終わった次の週頃生まれる予定だ。
 無事に生まれてくるだろうか。ソファに座り、お腹に手を当てながら、漠然と僕は考えた。既に子宮代替器官には、無事着床していて、順調に三ヶ月まで育っているとの事だったが、不安はつきない。子供は基本的に医療魔術による帝王切開で産まれてくる。それまでの間には、魔力色相による定期検診がある。

 もう七月だ。初夏は終わってしまった。残り、半年程度。
 僕達の子供が宿ったのは、五月の頭のようだ。

 呼び鈴の音がしたのは、そんな事を考えていた時の事だった。今日は会議があるそうで、ユーゼ様は帝国に仕事に行っている。まだ帰ってくるには早いし、ユーゼ様は帰宅時に呼び鈴を鳴らす事は無い。誰だろうか?

 僕はゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かった。扉の内側から念のため、外の魔力を窺う。子供が出来てから、ユーゼ様は特に、来客者も不用意に入れないようにと僕に申しつけた。急に襲われたりする事が無いようにと言う配慮だ。

 すると覚えのある魔力色を感知した。これは、ユリセの魔力だ。

「はい」

 静かに僕は扉を開けた。すると微笑しながら、カゴを片腕に持っているユリセがいた。

「こんにちは、ルツ様」
「ユリセ……どうかしましたか?」

 僕は真っ先に、ユーゼ様にまた何事かあったのではないかという不安に駆られた。だがユリセの表情は柔らかい。

「ご懐妊おめでとうございます。お祝いに参りました」
「え、あ」
「子供の成育に良いという茶葉や果物のタルトを持ってきたんです。良かったら一緒に少しお話ししませんか?」

 僕はその言葉に、思わず両頬を持ち上げた。純粋に心遣いが嬉しかった。

「ルツ様は、笑顔だと本当に見惚れてしまいます……」
「……ど、どうぞ。中に」

 僕は照れそうになってしまった。中へと促すと、ユリセが僕の後に続いて入ってきた。それから二人でリビングへと向かう。僕は慣れない手つきで、紅茶を準備してみた。するとそんな僕の隣に立ち、ユリセが笑った。

「ナイフをお借りしても良いですか?」
「どうぞ」

 僕が閉まってあったナイフとまな板を差し出すと、微笑したユリセが苺のタルトを切り分け始めた。他には、魔術果物である青梨の皮をむく。そしてそばにあったティースタンドに、タルトと青梨、赤クルミ入りのクッキーをカゴから移してのせた。

 僕らはそれを持って、リビングに戻り、テーブルに並べた。僕のたどたどしい手つきで淹れた紅茶のカップを、ゆっくりとユリセが傾けたので、僕も一口飲んでみた。兄やユーゼ様の淹れるお茶よりも美味では無かったが、飲めない事は無いし、香りは良い。

「音楽をかけても良いですか?」
「は、はい」

 僕が頷くと、小さな指揮棒のような形態の杖を取り出して、ユリセが振った。簡単な魔術であれば、子供が胎内にいても使用に問題は無いのだという。

 流れてきた調べは、聞いていると深い森の中を彷彿とさせるものだった。

「胎教に良いそうなんです。この音楽も、お菓子や果物も」
「そうなんですね」

 既にユリセのお腹の中にも子供がいる。予定日は、四月の頭に受精して九ヶ月後であるから、一ヶ月早く数えるらしいから、まさに十二月の頭らしい。勇者候補の子供候補筆頭だ。

「こちらも今度からどうぞ」

 ユリセはそう言うと、紅茶缶を取り出した。テーブルの上の黒い円柱型の缶には、ルノワールという名称のシールが貼ってあった。

「同じ学年の生みの親となる同士、親しくして下さいね」

 この国では新年は一の月だが、様々な配置転換や学院への入学式は四の月に行われる。だから十二月に産まれるのだろうユリセの子供と、僕の一月の半ばに生まれるのだろう子供は、同級生となる予定だ。

「はい。よろしくお願いします」
「そう畏まらないで下さい」
「そ、その……僕は、勝手に敬語が出てきちゃうんです」

 僕が困って視線を下げると、クスクスとユリセが笑った。

「ルツ様は、可愛いですね」
「え?」
「素直で純粋で、とても強力な魔獣を討伐したり、戦争で人を殺めてきた方には思えません」
「……僕を、恨んでいますか?」

 僕は何人も、帝国の人間を殺めた。それも、ユリセの伴侶の部下を含んでいる。

「いいえ。それは貴方にはどうしようも無い事でしょう? 国同士の諍いは、個人意思でどうにかなるものではなかった。それに今、僕達は協調し――ある意味、『仲間』なのですから、水に流しましょう? 帝国の魔導騎士だって、王国の人々を殺めたのですから」

 ユリセは優しくそう言うと、指を組んで膝に載せた。

「今はお互い、子の『母』になるのですから、それを意識しましょう」

 母という語は、生みの父を指す――過去には女性が孕んだ際や産んだ後に用いられた言葉らしい。他にも、母体や母胎という使い方がされる事もある。

「子供のためになる情報交換をしましょう。ね? 例えば、この美味しいタルトのお話とか。どうぞ食べて下さい」

 僕は人から振る舞われたものを、基本的には食べない。だが、ユリセが皿に取り、フォークをさしたのを見た瞬間、唾液が出てきた。過去に僕は甘党だった記憶は無いのだが、味覚が変わってしまったかのように、美味しそうに見えたのだ。

 勇気を出して、僕もお皿に取る。そして小さく切り分けて一口食べると、その苺の味に、目を見開いた。無性に美味しく感じたのだ。気づけば、二口、三口と食べてしまった。

 まるで体が求めていたみたいだ。

「子供は胎内にいる時から、外の情報を得ているとも言います。それに母体からの影響も受けていると」
「……僕、何も知りませんでした」
「僕の方が妊娠して長いですからね。といっても約二ヶ月しか変わりませんが」
「……色々、教えて下さい」
「ええ。これから、一緒に頑張りましょう」

 ユリセの言葉は心強い。

 この日は胎教について沢山の事を教わった。ユリセは日が暮れる少し前に帰って行った。一人きりになると、僕は俯いた。

 ソファに座り直し、僕は嘆息した。一気に不安にもなってくる。僕は本当に何も知らないのだ。そんな僕が、きちんと親になる事は出来るのだろうか? そのまま、僕はずっと子供について考えていた。

「ルツ?」

 ユーゼ様が帰宅したのは、午後の七時を過ぎた頃の事だった。僕が顔を上げると、ユーゼ様が僕の頬に手を添えた。

「どうした? 暗い顔をしているな」
「今日ね、ユリセが来たんです」
「酷い事でも言われたのか? それならば、俺が抗議しておく」
「ううん。気遣ってくれて、優しくて……親しくなろうって、言ってくれて……」
「嬉しくなかったのか?」
「嬉しかったです。ただ、ずっと子供の話をしていたら不安になってしまったんです」

 僕はユーゼ様を前にすると、本心を吐露出来るようになっていた。いつからそうなったのかは分からない。だけど、ユーゼ様にならば、何でも話せるような感覚になっていた。

 それは、父や兄に対する、『報告』とは明確に違う。事実に基づく現実の話題という意味ではなく、例えば、気持ちだとか、を。不安だとか、を。

「僕、きちんと『母』になれるかな? 生みの父親として、きちんと出来るかな……」

 次第に僕は、ユーゼ様に対しても、敬語以外を使えるように変わってきた。特に感情を話す時は。

「ルツならば、大丈夫だ。ダメな人間は、そもそもそのような事で悩まない。そのように子供を想っているのだから、大丈夫だ」
「ユーゼ様……」
「それに、俺もいる。俺が共にいて、ルツの事を支えるし、子供にも寄り添おう。何も一人で抱え込む必要は無い。子供は、俺達二人の愛の結晶なんだからな」

 ユーゼ様はそう言うと、僕の髪を撫でてから、指先で僕の唇をなぞった。そして、顔を近づけ、触れるだけのキスをした。その後、正面から僕を抱きしめた。その温もりが嬉しくて、僕ははにかみながら、頷いた。そうだ、ユーゼ様が一緒にいてくれるのだから、きっと大丈夫だ。僕も、子供も。僕の不安が軽くなっていく。

 その後は、二人で夕食にした。作ってくれたのは、ユーゼ様である。とても美味しいキャロットライスだった。僕が懐妊してから、ユーゼ様はライスが主要な王国料理も作ってくれるようになった。そんな些細な気遣いがとても嬉しい。