【二十三】階梯順位の更なる更新




 本格的な夏が訪れた。邸宅の中には、温度を一定に保つ魔術をユーゼ様がかけてくれている。だから快適に過ごせているが、胎教を考えて、僕は散歩をたまにするようになったのだけど、そうして外に出ると暑い。

 散歩と言っても、専ら広い庭を見て回るだけなのだが。例えばイチジクを見たり、翠色の楓を見ると、気持ちが穏やかになる。ユーゼ様の発案で、庭の一角に、小さな砂場を作った。二つの乗り場があるブランコも設置した。子供の遊び場だ。

 元々小さな池があり魚が泳いでいたのだが、そちらには結界をはって、子供が落ちないようにと作り替えた。

 僕の実家からは、ベビーベッドや、乳幼児用の玩具が届いた。おむつや粉ミルクも。哺乳瓶も。気が早いように思う。赤ちゃん用の服は、アルラ父様が選んでくれたらしい。アルラ父様からは、手紙が届いた。

『子育ては大変です。王国で産む事、その後数ヶ月はナイトレル伯爵家で療養しながら子を育てる事を勧めます。生みの父として先達である僕が、育児を手伝う用意があります。伯爵家であれば、適切な乳母もつける事が叶います』

 その申し出をユーゼ様に話すと、腕を組んでいた。

「確かにベビーシッターは必要かもしれないと考えているが、長期間ルツと離れるのは嫌だし、俺もまた子供とは触れ合いたい」

 僕はその言葉が嬉しかったから、まだアルラ父様には、返事を濁している。
 他にも最近我が家では、話題がある。

「勇者となる子供の名前は、実は予言されているんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。ライゼという名だ。ただしこれは、誰にも告げていない。命名は自由だからな」
「じゃあユリセやイーディスとかの子供がライゼとなるとは限らないんですね」
「そうだ。そして俺は、この名前を結構気に入っているんだ」
「ライゼ……」
「誕生日が違うのだから、名前くらい同じでも問題が無いとは思わないか?」

 ユーゼ様は、僕と共に、イチジクの前に立ちながら言った。

「誕生日が誤差だったら、名前の方が優先されたりはしませんか?」
「――という事は、ルツも、子が勇者候補で無い方が良いと思うようになってくれたか?」
「はい。僕も、ユーゼ様との子供には、幸せになって欲しいです。魔王討伐なんていう重責を背負わずに」
「予言に間違いは確認されていないが、あえて予言を外す試みをするというのも、面白いとは思わないか?」
「え?」
「誰かの子は、十二月一日に産まれるはずで、その候補は三人もいる。その中に、ライゼという名が無かったら、名付けないか? ライゼと」

 冗談めかして笑いながら、ユーゼ様が僕の手を握った。僕は両頬を持ち上げる。

「はい。では、そうしましょう」
「第二候補は、ルイゼとしよう。あるいは、それは第二子の名前とするか。子供は、三人は欲しいな」

 クスクスとユーゼ様が笑った。僕はそれを見ているのが幸せだった。


 翌日は、午前中に会議があるという事で、ユーゼ様は帝国に出かけていった。昼食には戻ると話していた。僕はリビングのソファに座り、ユリセに教えてもらった音楽を聴いていた。この曲がお腹の子供にも聞こえているのだろうかと考える。

 ――ピンと、張り詰めた気配がしたのはその時の事だった。
 魔獣だ。僕は目を見開く。
 慌てて外へと出た。中央の広場へと向かうと、ユリセ達も出てきていた。
 各家々からも外に住人が出てきていた。今では妊娠している者も多い。

 空を見上げれば、風魔術で飛び上がっている、専任の護衛達の姿が見える。
 魔力の気配を探ると、かなり大規模な魔獣の群れの襲撃のようだった。これは――彼らだけでは、対処出来ないはずだ。

「ルツ様!」

 僕が地を蹴り跳ぶと、ユリセが目を見開いた。だが引き留めようとするかのように僕に手を伸ばしたユリセには構わず、僕は居住区画の中央の宙に舞い上がり、そこで風魔術を用いて制止した。

 右手からは巨大化している狼型の魔獣が迫っている。左手には、二体の成竜が肥大化した魔獣の姿がある。それらを点とし円を描くように、瘴気の嵐もまたリファラ山地を覆っている。これ、は。間違いなく襲撃だ。

 そして、それだけではなかった。
 居住区画を覆うように、進んでくる大人数の集団が見える。皆、白いローブ姿だ。
 僕は公国のテロ騒動の時に、その装束を見た事があった。
 ミゼラルダ教徒の正装だ。彼らはムーンストーンから削り出した、古の秘術で用いる杖を手に、忍び寄ってくる。このままでは、居住区画が襲撃される。

 僕は、ミゼラルダ教徒の一群が、居住区画の結界を破ったのを目視した。それとほぼ同時に、反射的に目を伏せ、戦闘用の魔術を喚びだし纏って、杖を握りしめた。魔力制御が出来るかという不安は確かにあった。けれど、倒さなければ。

 僕は氷魔術に雷を纏わせる複合魔術を用いる事に決めた。杖を振る。

 瞬間、迫り来る魔獣達の眼球に、雷を纏った氷柱が落下した。だが、それはやはりいつもより高威力になってしまったようで――莫大な魔力が抜けていく感覚がした。飛び散る肉片を遠目に見ながら、よろけつつ僕は中央広場に着地した。その間にも、結界を破り侵入してきたミゼラルダ教徒達が、広場になだれ込んでくる。怯えたように住民達は、逃げ惑い始める。ダメだ、このままではダメだ。僕は杖を握りしめる。

 久しぶりの対人戦だ。僕は杖を消失させて双剣を喚びだす。だが、体がふらつく。元々僕は、集中しなければ、人の殲滅など出来ない。事前に緻密な計画を立てなければ、帝国の魔導騎士と実力は変わらない程度なのだ。

 そう考えていると、広場に残り、僕の体を支えていたユリセと僕は、白装束の集団に囲まれた。他の面々は家の中に避難したらしい。専任護衛の面々は、大多数のミゼラルダ教徒達と戦いながら、この中央広場を目指しているようだったが、何せ数が多い。

「ルツ様。ルツ様だけでも空中にお逃げ下さい」
「……それは出来ないよ」
「それほどまでに魔力消費が激しかったのですか?」
「違うよ。ユリセを置いてはいけない」
「それは僕の子供が勇者候補筆頭の子供だからですか? そんな事は――」
「違う、違うんだ。僕に良くしてくれるユリセを置いてなんていけない」

 僕が思わず口走ると、ユリセが息を呑んだ。それから涙ぐみつつ苦笑した。

「ルツ様は、本当にお優しい方ですね」

 ――轟音がしたのは、その時の事だった。
 空から、僕達がいる場所にだけは何事もなく、その周囲を取り囲む目算で千人以上がいただろうミゼラルダ教徒の上に、炎を纏った鉄礫が振ってきたのである。それが触れた瞬間、直撃した敵集団の者達が、頽れた。人間に皮膚と肉が焼ける臭いがする。呻き声がし、鉄礫により、肩や頭部を砕かれた敵達が地に伏していく。

 呆然とした僕の手を、ギュッとユリセが握った。
 一瞬で敵集団が殲滅された。それを確認した時、走ってくる足音が聞こえた。

「ルツ!」

 見れば黒曜石から削り出したとおぼしき、しかしながら形はラインハルトの持つ物によく似た杖を持ち、走ってくるユーゼ様が見えた。呆然としていると、そのままユーゼ様に抱きしめられた。

 目を見開いたまま、僕は周囲に瞬時に現れた魔術石版の更新を示す魔術ウィンドウを見た。表階梯順位一位が、再び僕からユーゼ様に入れ替わっていた。それだけではない。裏階梯順位もまた、ユーゼ様が一位となっていた。裏階梯順位は、一気に何位も更新された形だ。

「ユーゼ様……これは……」
「居住区画の結界に異変を感じて、すぐに帝国を出てきたんだ――魔術石版に表示が出ないよう制御されている天球儀の塔以外で、初めて攻撃魔術を使ってしまった。思わずな。ルツが襲われているのを見た瞬間、怒りに全身が絡め取られた」

 ユーゼ様と共に訪れたコーネリアスは、ユリセを抱きしめている。

「尤も、一人も殺してはいない。死んだ方がマシな目に遭わせながら、尋問する事とする」

 そう言うとユーゼ様は一度僕から体を離し、杖を振った。すると敵集団全ての姿が消失した。亜空間牢獄へと強制拘束されたようだった。見れば空全体に、牢獄へと移動させる巨大な古代魔術文字を用いた魔法陣が広がっていた。本来であれば、数日をかけて描くものだ。それを瞬時に展開出来る魔術師など、ほとんどいない。

「魔術師として生きるつもりは毛頭ないが、ルツを守る事が出来たのだから、習得しておいて良かった」

 再びユーゼ様が僕を抱きしめた。僕はその背中におずおずと手を回す。ギュッと抱きつくと、一気に安堵感が襲ってきた。

「人の悪意から――それだけでなく、魔術を用いても、俺はルツを必ず守る」