【二十四】無事に子供が生まれるのか。
――秋が終わろうとしている。
十一の月も終わりだ。もう冬の気配が、リファラ山地居住区画を包んでいる。
来月の終わりには、終夜の週が始まるのだ。
時が流れるのは、あっという間だ。居住区画を一斉攻撃したミゼラルダ教徒の取り調べは、順調らしく、あれを境に、巨大化した魔獣が人為的に、王国や公国、居住区画を襲う事は無くなった。
彼らの目的は、魔獣を支配下において、自分達主導による、新たなる統一国家を築く事だったらしい。これは兄に聞いた。ユーゼ様からではない。テロ後、ユーゼ様は忙しそうにしていた。帝国の執務室に行く機会が増えたのだ。
だがそれでも、昼食時と夕食時には、必ず帰ってきて、僕に食事を振る舞ってくれる。夜は僕を抱きしめて眠ってくれる。僕はそれだけで幸せだ。
そんな本日であるが、ユーゼ様はお休みだ。僕達は、今日は、王国に行って、アルラ父様と話をする事になっている。朝食にキノコのリゾットとソーセージを食べてから、僕はユーゼ様と共に庭に向かった。ユーゼ様が僕の手を握る。僕はこの温もりに少しだけ慣れてきた。微笑しているユーゼ様と共に転移魔法陣にのる。
二人で揃って目を閉じて、僕らは王国に転移した。転移先は僕の生家、その地下のナイトレル伯爵家の転移魔法陣だ。ゆっくりとその転移の間の扉をあけて、僕達は手を繋いだまま一階へと向かう。すると控えていた使用人が、一礼してから、僕達を応接間へと案内してくれた。
「よく来ましたね」
中に入ると、アルラ父様が微笑していた。隣を見れば、ユーゼ様も笑顔を浮かべていた。
「お招き有難うございます、ナイトレル伯爵夫人」
「アルラで結構です。ユーゼ宰相閣下」
「アルラ様。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「おかけ下さい。ルツも、息災でしたか?」
「は、はい……」
緊張しながら、僕はアルラ父様の正面にある長椅子に座った。僕の隣には、ユーゼ様が座る。
「あと二ヶ月ですね」
今日は十一月の最終日だ。明日は、勇者候補の子供が生まれる日である。既にユリセ達三人はそれぞれの母国の医療魔術院に入院していると聞いている。
「ルツは検査でも順調だと聞いていますよ。喜んでいます」
僕の検査は、主にラインハルトが、魔獣討伐の合間に行ってくれている。ミゼラルダ教徒の手引きがなくなっても、一定数の魔獣の襲撃はあるのだ。
「それで、産後ですが、手紙にも記した通り、暫くこちらに滞在してはどうですか?」
「アルラ様。俺としては、乳母を雇い、リファラ山地居住区画の家で育てて欲しいのですが」
ユーゼ様がきっぱりと言った。するとアルラ父様が片目を細めた。そして腕を組む。
「何故です? ルツの負担を減らすためには、僕がそばにいる方が良いと思うのですが」
「俺は宰相位を暫く、副宰相に任せ、ルツと共に子育てをする準備を進めています」
「――事実ですか?」
「ええ。俺にとっては国政よりもルツが大切ですので。仮にルツがこちらを選ぶのであれば、俺も一緒に滞在させてもらいます」
僕は驚いた。そこまでユーゼ様が、僕のそばにいてくれるつもりだなんて、知らなかったからだ。ゆっくりと瞬きをしながらユーゼ様を見る。
――その時の事だった。
「う……」
ドクンと、腹部で何かが動く気配がした。同時に猛烈な吐き気に襲われて、気づくと僕の体は傾いていた。
「ルツ?」
隣に座っていたユーゼ様が僕を抱き留める。僕の全身が沸騰したように熱くなった。
「あ……ああ……」
「ルツ?」
「や、あ、熱い……っ、痛い……」
僕は思わず腹部を押さえた。すると、愕然としたようにユーゼ様が目を見開いた。
「ルツ? 大丈夫か?」
「――ルツ。まさか、陣痛では……?」
「アルラ様? まだ二ヶ月も早いんだぞ?」
「流産しかかっているのかもしれません。いいや、早産と言うべきでしょうか」
「すぐに医者を――ラインハルトを」
二人のそんなやりとりを聞きながら、全身にびっしりと汗をかいた状態で、僕は意識を喪失した。
次に目を開けた時、僕は前にも見た事のある、王宮の医療魔術塔の一室にいた。猛烈な痛みが、体を支配している。
「ルツ、おい、ルツ? 意識が戻ったのか?」
ラインハルトの声がした。僕は涙が滲む瞳を向ける。お腹の中央が熱く、何かが渦巻いているような感覚がする。ゆっくりとそれが、僕の両足の間から出ようとしていた。
「ルツ、よく聞け。流産しかかっている――が、子供はまだ生きている。早産となったとしても、今の天球儀の塔の技術なら延命可能だ。早いが、帝王切開をする」
「……子供、死んじゃうの?」
「まだ、生きていると言っているだろう? 安心しろ。この俺が全力を尽くす。今は自分の事を第一に考えろ」
そう言うと、麻酔効果のある魔法植物の香を、僕の顔にラインハルトが近づけた。僕は涙を零しながら、再び意識を失った。
――次に目を開けた時、僕は全身から魔力が抜けている事をまず理解した。同時に熱も痛みも引いていて……代わりに腹部がズキズキすると気づいた。気怠い体を動かして、腹部に触れると縫い目があった。室内は暗い。僕はぼんやりと、真向かいの天井にある時計を見た。午前五時半となっていた。
「……」
子供はどうなったんだろう?
それを考えた瞬間、思わず体を起こした。
――まだ、二ヶ月も早いのだ。無事に生まれたのだろうか。恐怖で身が竦む。
「ルツ!」
その時、ラインハルトが病室に入ってきた。
「魔術結界で意識が戻ったのを確認したから来てみたんだ」
「ラインハルト、子供は? 生きてる? 死んでしまったの?」
焦燥感に襲われながら僕が問うと、ラインハルトが優しい目をして、両頬を持ち上げた。
「生きている。まだ予断は許さないが――未熟児だからな。ただ、現在までの検査では、五体満足で、臓器にも問題は無い。九ヶ月で産まれるはずが、七ヶ月だが、ギリギリ流産ではなく、早産の範囲だ」
「……生きてる、良かった……」
「だが感染症への抵抗力なども弱いから、完全に育つまでは、魔導保育器に入る事となる。安心しろ、天球儀の塔の技術をこちらに持ち込んだ。必ず俺が無事に退院させてやるよ。子供も、お前も」
「僕……?」
「早産だからな。体にも負担がかかっているし――早産の原因は、子供の放っていた強い魔力にお前の体が耐えられなくなった中毒症だと判明しているんだ。ルツも少しの間、入院が必要だ。あのだな、言いたくはないが、お前も生死の境を彷徨っていたんだぞ? 現にこの病室には、大規模な医療魔術結界を展開している。暫くは、ここからは動けないと思ってくれ」
ラインハルトはそう言ってから、時計を一瞥した。
「十二の月の一日、午前一時二分。それが、お前とユーゼの子供が生まれた時間だ」
「!」
それを聞いて僕は目を見開いた。それ、は……勇者となる子供が生まれると予言された日だ。
「ユーゼは、ライゼと名付けると話していた。魔導保育器には、名前に宿る血脈魔力が不可欠だから、早急に名前が必要でな。ライゼ=ナイトレル・ヴェルリス・バルミルナ。少し長いが、これが名前となる。バルミルナは帝国皇族の魔力を宿す限り必須なんだ。魔術名としては、ライゼ=ナイトレル・ヴェルリスで良いんだが、念には念を入れた。戸籍名は、ライゼ=ベルスとなる。旧ベルス男爵家は、ユーゼの功績で、現在は伯爵家であるから、ライゼは、帝国伯爵位兼王国伯爵位を継承可能な立場だ。尤も王国の場合は、領地を分け与えられる形で、男爵か子爵となるんだろうが――ルツが継承したものを継承可能だと言うことだ。ベルス伯爵家当主は現在ユーゼだから、そちらは既に継承可能だ」
義務的な事をラインハルトは述べた。だが僕は、ドキリとしていた。予言の日に、予言の名を持つ子供が生まれたのだ。
「何故なんだか、命名をユーゼは渋っていたんだが、名前がないと魔導保育器には入れられない。ルイゼと悩んでいたらしいが、俺としては夫婦で同意がある方が良いだろうと伝えたら、それならば気に入っているライゼとすると言っていたぞ」
それを聞いていると、扉が開いた。そしてユーゼ様が顔を出した。
「ルツ!」
「ユーゼ様……」
「よく頑張ってくれたな」
ラインハルトの隣をすり抜けて僕の隣に立ったユーゼ様は、苦笑するように両頬を持ち上げた。その瞳には、涙が光っていた。
「子供は無事に産まれた。それも嬉しいが、子供よりも、俺は君が無事で安堵している。ルツ、死なないでくれ。俺のために。俺は、君がどうしようもなく大切なんだ」
そう口にしたユーゼ様の肩を、優しくラインハルトが叩いた。
「子供の事は任せろ。全力を尽くす。あとは、お前がついていてやってくれ」
ラインハルトはそう言うと出て行った。その後僕のそばには、陽光が差し込むまで、ユーゼ様がいてくれたのだった。