【八】有罪
暫くの間、俺達は晩餐を楽しんでいた。すると切った檸檬の入る炭酸水が浸るグラスを片手に、何気ない調子でルイスが口を開いた。
「そういえば、僕は最近、結婚するように促されているんです」
そこから、ルイスとユーゼ父上の口論が始まった。本気で喧嘩をしているという訳では無い。単純に皇帝と宰相としてのやりとりだ。それを眺めながら、俺は肉を切り分けていた。まさか、その話題が自分に飛び火するとは、想いもせずに。
「順番でいうのなら、僕よりもライゼ兄上が先に結婚するべきでは?」
「え? 俺? 天球儀の塔はそういうの自由だしなぁ……」
正直、俺は慌てた。脳裏に浮かぶのは、ラインハルト様の事だが、師匠に結婚願望があるようには、とても思えない。そもそも結婚とは、後宮制度がある帝国などはともかくとして、基本的に番い同士が行うものだ。俺と師匠は番いかどうか、俺は知らない。だからこれ以上勧められないようにと、必死で誤魔化す。
「自由とは言え、確かにそれもまた一理ある。実際、ルツが俺と結婚したのは、二十一だ。ライゼも今年二十一だな」
「ち、父上! 俺は魔術に打ち込みたいから――」
「僕も魔術に打ち込んでいたけど、ユーゼ様と夫婦になって幸せだよ」
ルツ父様にまでそう言われて、俺は唇を引き結んだ。確かに二人は実に円満そうで、幸せそうで、見ていると羨ましくなってしまう。だが俺は、隣に師匠以外が立つ未来なんて、想像も出来ない。
そこからは、ゼリルについての結婚話に話題が逸れたので、内心で安堵し、俺は弱いシャンパンを口にした。このまま俺について話が戻らない事を祈る。祈っていた、心底。だが、まさかと思っていたゼリルが、不意に言った。
「ライゼ兄上とルイス兄上は、どっちなの?」
――どっちなの、か。何が? 一瞬、俺は言葉に詰まった。それまで流し聞きしていた話題を思い起こし、それが、『子供産む方なのか、産ませる方なのか』という話題だとすぐに悟る。これまでの間俺は、漠然と俺が産むような気がしていた。理由は、師匠が産む姿が思い描けないからである。子供を望んでいるのは、俺だけなのだ。なのだから、欲しい方が産むんだろうと、欲しい方に宿るんだろうと、なんとなく考えていたのである。
「僕は帝国皇帝としては生ませる側の方が数を作れるので良いかもしれないとは思っていますが――帝国には後宮制度があるので。ただ、番いだと確信出来る相手であれば、僕が産んでも構わないと考えています。相手次第です」
思わず俺は吹き出しながら、ルイスをチラリと見た後、テーブル全体に視線を這わせる。
「お、お、俺は! 俺は! 魔術一筋だから、そういう事は聞かないでくれ!」
頬が熱い。脳裏には、ラインハルト様との子供を抱く自分の姿が浮かんでくる。だが、そんな事を知られるのは、羞恥が募ってくる。絶対に知られたくない。
「ライゼ兄上、もしかして、好きな方でも?」
ルイスの声に視線を向けると、半眼になっている弟は、口角を持ち上げていた。その表情に、より動揺してしまう。
「い、や、な、なな!? なんでだよ!?」
俺は、いつもと変わらぬ自然体を取り繕っているつもりだった。が、端から見ると違ったらしい……。
「動揺っぷりが……僕、別に反対しませんし、紹介して下さいね?」
「ルイスが反対しなくても、ユーゼ父上とルツ父様が……」
反射的に、俺はそう口にしてしまった。それからハッとして、口元を抑える。
「なんだと? 俺が反対するような相手なのか?」
「僕が反対する場合は、ラインハルトくらいのものだよ」
「ち、違うから! 別に俺はラインハルト様が好きなわけじゃない!」
慌てて俺は否定したが、その場に沈黙が横たわった。ダメだ……みんなにバレてしまっただろう、これは……。
「ラインハルトだと? まさかあいつ、ライゼに手を出したのか?」
「ち、違う! ユーゼ父上、違う!」
険しい顔になったユーゼ父上を見て、俺は思わず首を振った。手を出したのは、完全に俺だ。キスを迫っているのは、俺なのだ。子作りを希望しているのは、俺だけだ……。
「ラインハルトに酷い事されてない?」
「されてないから! ルツ父様、ち、違うから!」
何度も何度も、俺は首を振った。するとチラリと、ユーゼ父上とルツ父様が視線を交わした。それから二人揃って、まじまじと俺を見た。その視線が痛い。そこへ、ルイスが声を挟んだ。
「何処まで進んだんですか?」
俺は噎せそうになったが、必死で堪えた。代わりに頬が熱くなってきたので、己が赤面していると気づき、泣きたくなった。
「……だ、だから、ち、違……」
「片思いという事ですか?」
その通りである。多分。ただ、師匠だって、俺とキスするのが死ぬほど嫌というわけでは無さそうであるから、師匠の気持ちは、明確には分からない。
「黙ったという事は、付き合っているんですか?」
「……!」
続いて響いた声に、俺は硬直した。
本来キスは、恋人同士が行う行為だ。完全に拒絶されないという事は……ちょっとくらいは師匠も、俺と子供がデキても良いと思っているのでは無いかと、俺は考えている。それは即ち……恋人関係なのでは無いかと推測する事もある。だって、幼き頃に師匠に読んでもらった絵本では、人々は『キスをして恋人同士になりました』と、書いてある場合があった。俺達は、キスをしたのだ。だったら、と、期待してしまう。
「ライゼ兄上は嘘が下手すぎます」
ルイスは容赦ない。俺は目を閉じ、何と答えたら良いのか悩んだ。
そうだ。これはもう、話を変えるしかない。いいや、戻すんだ!
「俺の事よりも、ルイスの結婚の話だろ!?」
俺が声を上げると、しらっとした声で、ルイスが言う。
「僕は自分の事は自分でどうにかできます。既に政略結婚予定分に関しては、ピックアップ済みです」
するとユーゼ父上が驚いた顔をした。
「なんだと? 宰相府には連絡が無いが?」
「ユーゼ父上を驚かせようと思いまして」
「よくやった。あとでそのリストを寄越せ――とはいえ、恋愛は人生を豊かにする。番いに関しては、政略関係を抜きに、真面目に検討するように」
「皇宮で仕事をしっぱなしですので、出会う機会がありません。国の美姫全員を集めた夜会でも企画してもらえませんか? 宰相閣下」
やっと話が逸れた。そう安堵していると、ユーゼ父上が今度は俺に向き直り、ルイスによく似た、そしてそれ以上に、容赦の無い瞳をした。
「検討しておこう。それで? ライゼ。ラインハルトの側は本気なのか?」
「話を戻さないでくれ! ラインハルト様は誠実な人だよ!」
実際、ラインハルト様が俺をどう思っているかは、不明だ。ただ、キスをダメだと言うのは――やっぱり、恋人でないからダメという事なのかもしれない。だとすれば、それは誠実と評して良いだろう。
「ラインハルトが、誠実……」
だが、心なしか顔を引きつらせて、ルツ父様が呟いた。俺は頭痛がしてきた。
「あの馬鹿。まさかライゼに……」
ユーゼ父上が険しい顔のままで、唇だけを歪めた。激怒している時の表情だ。誤解である。師匠は、何も悪くないのだから……! 俺はそれを伝えなければと確信した。
「待ってくれ、二人とも! 師匠は何も悪くないんだ! ラインハルト様は無罪だ!」
「では誰が悪いんですか? 誰が有罪なんですか?」
ルイスがグラスを置き、俺に言葉を向ける。ゼリルは、その場を静かに見守っている。
「聞いてくれルイス。全面的に俺が悪いし、罪に問われるならば俺だ」
「ライゼ兄上が? 一体何をしたのですか?」
ただ、その場の全員の視線が俺に集中しているものだから、非常に居心地が悪い。
「……そ、その。その……だから、あの……――師匠が、研究で三日徹夜して爆睡してる所に、キスしたんだよ、俺が! 俺が寝込みを襲ったんだ! キスしちゃったんだ!」
「キスして、それで?」
ルイスに聞かれたので、観念して、俺は俯いた。それからチラリと視線をあげる。まじまじとみんなが俺を見ている。
「それだけだ! で、でも! キスをしたら子供が出来るかもしれないだろう!?」
もうどうにでもなれという心境で――同時に子供がデキていた場合、家族にはどの道知らせるのだからと、俺は叫ぶように述べた。すると。
「「「「は?」」」」
俺以外の、四人の声が重なった。え、なんだ? 事態がよく分からず、俺はきょとんとしてしまう。
「ライゼ兄上、子供はキスだけでは出来ないと、僕は閨の講義で習いましたが」
「――え!?」
一番最初に言葉を発したのはルイスだったが、その内容が衝撃過ぎた。
だって、師匠は確かに、「子供がデキるからキスをしてはダメだ」と、俺に繰り返してきたのだ。師匠が嘘をついた? そんな風には、思えない。
「ラインハルトは、ライゼに性教育をしなかったの?」
しかしルツ父様もまた、どこか遠い目をし、呆れたような声を漏らした。普段淡々としている分、時に感情が揺れ動くと、ルツ父様の思考は分かりやすいように俺は思う。この声は、本当に驚いているのだと思える。
「性教育って……え? キスをしたら、普通子供は生まれるよな?」
念のため、俺は確認する事にした。まさか、師匠が間違ったのだろうか?
するとユーゼ父上が、ゼリルを見た。
「――ゼリル。どう思う? 父として、末息子の知識を持ってして、常識を判断したい」
「……生まれないと思います、ユーゼ父上」
「よろしい。ゼリルには常識があってホッとした」
二人のやりとりを聞いて、俺は目を丸くした。
「じゃあ俺には子供は出来ていないって事か?」
衝撃である。若干、寂しくもある。まだ、ラインハルト様と俺は、きちんとした家族になっていないという事だ。勿論、子供がデキなくたって、家族にはなれる。例えば入籍したら、それは公的な家族といえるだろう。
「残念ながらな。それで? 状況を詳しく説明しろ。ラインハルトは何と言ったんだ?」
ユーゼ父上が呆れたように、スッと目を細めて俺を見ている。
「俺がキスしたら、子供が出来るからこれ以上はキスしちゃだめだって言ったんだ……まずは恋人として付き合わないとしちゃ駄目だって……でも俺、その後もキスしたんだ。師匠が寝てる時に勝手に……」
動揺を押し殺しつつ、俺は事実を冷静に述べる事に決めた。
「つまりまだ、付き合ってはいないのか?」
「? 付き合うって、どうやると付き合えるんだ?」
付き合うというのは、恋人同士になるという意味のようだ。それくらいは、俺も知っている。キルトお祖父様から聞いた事があるのだ。キルトお祖父様は、帝国の後宮に入る事は無かったらしいが、前々皇帝陛下である側のお祖父様と、確かに一時期、『付き合っていたんだよねぇ』と話していた。
純粋に首を傾げてユーゼ父上を見ていると、ルイスが吹き出した。
「そこからですか、ライゼ兄上。まずは言質を取らないと」
「え、ルイス? 言質って何だ?」
慌ててルイスの方を見ると、弟は楽しげに笑っていた。
「『付き合って下さい』『はい』という口約束をしましょう」
――!!
口約束で、良いのか? それだけ? それなら、俺にも出来るかもしれない。
開眼した気持ちで、俺は勢いよく立ち上がった。
「分かった! すぐに天球儀の塔に帰って、言質を取る! 俺、帰る!」
俺はいてもたってもいられなくなり、その場ですぐに瞬間転移をした。折角の家族団欒だった訳だが、俺はラインハルト様と恋人になりたすぎて、すっぽりとその事は抜け落ちていた。転移先は、師匠の部屋とした。ラインハルト様は、いつもと同じように、一人がけの赤いソファで、長い膝を組み、魔導書を読んでいた。そしてすぐに顔を上げた。
「どうしたんだ? そんなに急いだ様子で。食事をしてくると話していなかったか?」
「してきた!」
「ほう。で? 何か重大な事でもあったのか? 魔王の繭について、何か掴んだのか?」
「重大な事はあったけど、魔王の繭は無関係だ」
「何があったんだ?」
パタンと魔導書を閉じてテーブルに置いた師匠に、俺は勢いよく歩み寄った。
「師匠、俺と付き合ってくれ」
「何処に?」
「え? えっと、その、何処だろうな?」
……。
付き合うというのは、恋人関係になるという事だと思うが……果たして、恋人達は、何処に行くのだろうか? 俺はそこを聞いてくるのを、忘れてしまった……。
「不明瞭だな。まぁ、良い。俺はそろそろ寝る。今日は昼から飲んでいたんだ。いやぁ、ライゼがいないと寂しくてな。酒でも飲まんとやってられん」
「……俺がいないと寂しい、そ、そうか。それは、嬉しいな……」
師匠が笑顔でそんな事を言ったから、俺は照れた。すると立ち上がった師匠が、俺へと歩み寄った。ワインの甘い香りがする。師匠は、俺の顎を持ち上げると、僅かに首を傾げて、透き通るような瞳をした。
「やっぱ、本当の家族は良いか?」
「俺にとっては、師匠は家族だ」
「そうか。ライゼは、本当に良い子に育ったな。自慢の弟子だ」
「弟子……」
そう言われれば嬉しいが、俺がなりたいのは、恋人だ。どうすれば、それが伝わるんだろうか? 俺は師匠の胸元の服を掴む。
「……今日も、一緒に寝てくれるか?」
「どうしようかな」
「師匠……」
「今日は調査もあって、ライゼだって疲れているだろう? 自分の部屋でゆっくり眠れ」
師匠はそう言うと、俺から手を離して、寝室へと向かっていった。
ポツンと残された俺は、俯くしか無かった。