【十】SIDE:ラインハルトT
――事後。
寝入ってしまったライゼを見て、ラインハルトは寝転がりながら、両手で頬杖をついていた。ライゼは、己が鍛え上げたのだから、体力がある事は知っている。だがそんなライゼを抱き潰してしまうほどに、ラインハルトは昂ぶっていた。
意識を落とすように、眦を涙で濡らしてライゼが眠った時、ずるりと陰茎を引き抜けば、白液が滴っていた。
いつから、だったのか。
ラインハルトは、その答えを導出出来ない。
気づいた時には、既にライゼの事が大切でたまらなくなっていたのである。
ライゼが好きでならない。ライゼが可愛くてたまらない。その想いが師弟間の感情を逸している事には、数年前から自覚があった。最初にライゼに見惚れたのは、ライゼが十七歳の頃だったか。それ以前より、端正だとは思っていたが、大人びてくるに連れて現れた艶に、肉欲を覚え、自戒した。
――ライゼは、魔王を倒すと予言された子なのだ。
単なる弟子ではない。言うなれば、勇者となるのだろう人物だ。その者相手に手を出す事、それはあってはならない。何より、ユーゼとルツという、大切な友人二人の子供だ。責任を持って弟子にしたというのに……。
「なんてざまだろうな」
ポツリとラインハルトは呟いた。それからパイプを引き寄せる。体には害の無い香葉が入っている。深く吸い込み肺を満たしてから、改めてライゼの寝顔を見た。
「でも、もう手放すのは無理だな」
一人頷いたラインハルトは、番いの香りを作り出そうかと思案した。ライゼの魔力色に合わせる事が、己には可能だ。そう考えた時、まずは自分が普段シャットダウンしている伴侶香を放とうかと意識した。勿論、完全に遮断出来ていたわけでは無いだろうが、過去、ライゼが己の匂いを万が一にも気に入る事が無いようにと、制御の魔術を用いてきた。
同時に、ライゼの香りを嗅ぎ取ってしまわないように、ラインハルトは気をつけていた。だが、そう考えた所で、ハッとした。それでもなお、確かに、ライゼの香りを心地良いと感じている己がいる。
「っ」
焦ってパチンと指を鳴らした。そして香りを遮断していた結界魔術を解除する。結果――いつも心地良いと思っていた匂いが、室内に広がった気がした。呆気にとられて目を見開く。惹きつけられる。ライゼから溢れてくる香りは、これまでの生涯において、誰からも感じた事が無いほどの鮮烈な印象をもたらした。
「――既に、香りは、してたって訳か。これが伴侶香で無いとしたら、番い関係なんて幻想だな、それこそ」
パイプを置くと、ラインハルトは眠っているライゼの髪を撫でた。しなやかな黒髪は手触りが良い。瞬きをしたラインハルトは、そっとライゼの頬に口づける。
嘗ての、幼かった弟子の姿が、脳裏を過った。そこには連続性があるはずなのに、愛情の種類が明確に変化しているのは、間違いが無かった。ただただ慈しんできた弟子が、大切な恋愛対象に変わったのは、ライゼが十代の頃なのだろうとは思ったが、それでもこれまで、ラインハルトは自制してきた。
「……」
自分の腕の中で眠りたいと述べるライゼの体に、戯れに触れるようになったのは、ライゼが二十歳になってから――つまり、まだ一年にも満たない期間である。鈍く知識が欠如しているライゼは、何を疑うでも無かったが、明確にその頃には、情欲を抑える事に必死になっていたラインハルトは、何度も一人、苦悩したものだ。
必死に、それこそ必死に、自分を抑えているというのに――ある日、ライゼにキスをされた瞬間には、その時には既に、理性が飛びかけた。だから、冷静でいられなくなりそうで、最近は、少しばかり、ライゼに対して素っ気なく接する事もあった。例えば、食事の時間をずらし、例えば「付き合って欲しい」と述べられても、「何処へ?」と嘯いてみたり。己が冷静でいられなくなりそうで、ずっと怖かった。
――ライゼには、まだ予言の事を伝えていない。
予言とは、この天球儀の塔に伝わる、魔王討伐に関する予言だ。魔王を倒すと予言された子の誕生日、ライゼは生を受けた。取り上げたのは、誰でも無くラインハルトだった。そして名前もまた、予言された通りのものを……こちらは事情があって、早急に名付ける必要があり、命名されたのだが、その瞬間にもラインハルトは立ち会っていた。
あるいは、予言はライゼの重荷になる。
そう結論を出した為、天球儀の塔においてそれを知る者にも、関係者の中で予言を知る者にも、箝口令が敷かれている。それを望んだのは、ユーゼとルツであり、同意したのはラインハルトだ。
「ライゼに、そんな重荷、背負わせたくねぇな」
叶うならば、己の手で魔王を倒す。ラインハルトは、ライゼを育てながら、年々その想いを強くしていった。現在も、魔王の繭を破壊し、あるいは孵ったその時に絶命させる為の研究ばかりを行っている。それはライゼには内密にしているから、普段は、一見くだらない研究をしている素振りをしているのだが、それについても優秀な弟子は咎める事も無い。
ラインハルトは、あるいは誰よりも、ライゼの事を想っている。それはライゼがラインハルトに抱く感情よりも、強烈かもしれない。激情を、ラインハルトはその身に宿している。それほどまでに、ライゼが大切なのだ。
「愛してる」
寝入っているライゼの耳には、その一言は、届いていない。だが、ラインハルトはそれでも良かった。必ずこの手で、ライゼを幸せにするのだと、改めて誓い直す。
既に陽は落ち、白い月が窓から覗いている。そんな、夜があった。