【十四】金星の輝く時間の会議
――翌日。
空で橙色と紺色が混ざり始めた。
天球儀の塔において、別大陸からの来訪者に関する会議が開かれる時分、俺はいつもよりも仰々しい主席魔術師の正装姿で、会議塔の二階に向かった。隣には師匠が立っている。
扉の前にいたロバートとフェゼルが、それを開けて俺達を中へと促した。軋んだ扉の音、背後で閉まる気配、それらを意識しながら、俺は室内の中央にある円卓へと視線を向ける。するとそこには既に、キルトお祖父様の姿があった。
――若い。
お祖父様は、魔力量が強すぎるらしく、老化が著しく遅い特異体質なのだという。あるいは俺よりも若く見える。顔面造形も、ユーゼ父上とはあまり似ていない。ユーゼ父上は、前々皇帝陛下に似たようだ。銀髪に緑色の瞳をしているのだが、端的に言って美少年としか言い様がない。なのに、老成した空気を放っている。長い睫毛が揺れ、俺達の方をキルトお祖父様が見た。
「やぁ、ライゼ。僕の貴重な睡眠時間を奪っているのだから、手短にね」
無表情、人形のような端正な顔で、キルトお祖父様が述べる。すると俺の隣の椅子を引きながら、ラインハルト様が吹き出した。
「キルト師匠は、相変わらず朝九時に寝て、夜九時に起きてるのか?」
「日によるけれどね。ラインハルト――君は無駄話が多いから、君には何も期待していないよ」
こうして三人で、俺達は円卓に三角形を築くように座した。他の魔術師の姿は無い。主席魔術師経験者のみ、直弟子も参加不可能なのが、この『金星の輝く時間の会議』だ。俺が地位を引き継ぐまでの過去は、ずっとラインハルト様とキルトお祖父様の二人きりだったらしい。ラインハルト様が指を鳴らすと、ティーカップが三つ出現した。中からは、キルトお祖父様が好むアールグレイの香りがする。
「仕切れ、ライゼ」
「お、おう……ええと、昨日、最果ての闇森において、バルミルナ帝国の魔導騎士団に所属している、ゼリル――……ゼリル=ベルスが、別大陸から来たと発言している人物を保護したそうだ。名前は、帝国の取り調べの際には、『エルト』と名乗ったらしい」
ラインハルト様の声に、俺が述べると、キルトお祖父様が華奢な白い指を組んで、その上に顎を乗せた。柔らかそうな髪には、僅かに癖があって、ゼリルによく似ている。色彩は全然異なるが、ゼリルはキルトお祖父様に似たんだと俺は思っている。
「別大陸――ナゼルラ大陸? それとも、ミファエリア大陸?」
「え?」
俺は、ナゼルラ大陸という名前しか聞いた事が無かった。
「ミファエリアは沈んだと聞いているから、ナゼルラかな」
「……」
「最果ての闇森に到着したならば、海を挟んで最も近いのはナゼルラでもあるし。瘴気嵐をかいくぐってきた点だけでも尊敬に値する。それで、ナゼルラ大陸のどの国から来たの? その魔力量を保持している可能性が高いのは、アルゼラ王国の王族かな。彼らは、異世界人の血を引いていると聞くし。創始の王の出自も、アルゼラだったはずだね」
キルトお祖父様の推測の中には、俺の知らない知識しか無い。チラリと師匠を窺うと、ラインハルト様にも特に驚いた様子は無かった。きっとこれらは、まだ俺が蓋を開ける事を許されていない、主席魔術師にのみ伝わる知識群の中の情報の一つなのだろう。俺は、特に創始の王関連と、天球儀の塔に残されているという予言関連の文献は、まだ閲覧が許されていない。
「キルト師匠。精神透過術で、その真偽を当人から確認する事を提案する」
精神透過術というのは、強制的に相手の記憶を呼び出して視る古代魔術だ。この大陸では、現在天球儀の塔にのみ残存している。キルトお祖父様が復古した魔術の一つだ。
「たまには帝国に出かけるのも良いかもしれないね。酒が美味い店、まだ残っているかなぁ」
「キルト師匠が出向いてくれるならば、安心だ」
「なにせ魔術を使用しても、視た記憶の意味が分からなければ、無意味だからね。ラインハルトよりも僕が適任であるし、ライゼには知識が無いのだから必然だよ」
淡々としているキルトお祖父様の声に、俺は頷くしか出来なかった。力不足を実感していると、キルトお祖父様が俺を見た。
「ライゼは今週中には、ナゼルラ大陸各国及び最も使用頻度が高いとされる、共通語といっても良いだろう言語を習得しておくようにね。翻訳魔術が恐らく存在していて、エルトという人物は証言可能なのだろうけれど、直接対話は必要だ。ニュアンスに誤りがあってはならないよ」
そう言うとキルトお祖父様が指を鳴らした。俺の正面の宙に、ナゼルラ大陸との対訳辞書が出現する。分厚く、国名ごとに、位置が分けられている。その他にも補助的な本らしいもの、初心者向けから玄人向けまでの本が、俺の周囲に浮かび、俺を覆った。
「僕も今週中には、帝国で魔術を完了してくるから」
「キルト師匠は、やり始めると、フットワークが軽いな。ライゼは、余裕そうだし。じゃ、俺は自分の研究に戻るか」
「ほら、ラインハルトはまた無駄話だ。君のすべき事柄は、単純なはずだ。魔王あるいは繭の討伐時におけるメンバーの精査。きちんと予言を解読すべきだ」
「はいはい」
「生返事」
「キルト師匠、あのな……」
二人のやりとりを見ていると、いつもよりも少しだけ、ラインハルト様が子供っぽく見える。外見年齢は逆なのだが。俺と師匠とはまた違った形で、ラインハルト様とキルトお祖父様は親しいのがよく分かる。
俺は指を鳴らして、借り受けた文献群を亜空間倉庫に収納した。
「キルトお祖父様。ゼリルが、瘴気を浴びて、具合が悪いみたいなんだ」
「ベルスの家に顔を出す予定は無いかな」
「……そっか」
「あの子なら、その程度で死んだりしないよ。攻撃面を重要視する世界樹の階梯と裏階梯でこそ五位とはいえ、防御面や回復力でいうならば、ゼリルは僕に匹敵する」
世界樹の階梯には、現在、キルトお祖父様の名前は、二十位前後に記載されている。しかし実際、俺が知る限り、キルトお祖父様は非常に魔術の腕に長けている。その理由を、俺は知っている。キルトお祖父様は、有史魔術石版を騙す魔術研究をしているのだ。自分の名前を排除すべく、それが出来ずとも順位を落とす研究だ。古の世に作り出された、実力透過術を、キルトお祖父様はあまり快く思っていないようだ。
自分は、自分。
それが、キルトお祖父様である。
「心配というならば、僕としては、ライゼ。君の方が心配だ」
「え? どうしてだ?」
「気のせいで無ければ、何を思ってなのか、香りを制御する結界を解いているラインハルトと、ライゼからは、同じ伴侶香の匂いがする。どうやら君達は番いのようだけれど、まさかラインハルト……まさかね」
その言葉に俺は目を見開いた。事実だとすれば、全く気づかなかったが、嬉しい。師匠と俺が番い? 真面目に?
「俺もまさかと思っていたんだが、キルト師匠もそう思うか?」
「うん。さらに、揃って今、嬉しそうな顔をした君達を見ていると、嫌な予感しかしないのだけれどね。ユーゼが許さないんじゃ無いかな」
「キルト師匠は許してくれるのか?」
「僕には特別な意見は無いよ。許してくれないとすれば、それは世界だ。魔王という存在であり、我々は世界の害意を倒さなければならないのだという点、失念しないようにね」
キルトお祖父様は、そう言うと立ち上がった。そしてそのままスタスタと、部屋を出て行った。残された俺は、ラインハルト様の横顔を見る。すると目が合い、優しい顔で笑われた。
「安心しろ。俺が責任を取る」
「責任?」
「ライゼの事は、全身全霊をかけて、必ず幸せにしてやるよ」
「もう俺は、今現在が幸せすぎるから、師匠は何もしなくて良い」
「そうか。ああ。ライゼは可愛いな」
ラインハルト様はクスクスと笑ってから立ち上がった。それを見て、俺も立ち上がる。
このようにして、会議は終了した。