【十七】調査と宿屋






 その夜も一緒に眠り、そして朝は一緒に起きた。師匠の唇の感触で目を覚ました俺は、二人きりだと師匠は本当に優しいなと感じていた。何故か公共スペースや人目があると、最近素っ気ないのだが……。嫌われては、いないよな?

「ライゼ?」

 まじまじと師匠を見ていると、不思議そうな顔をされた。だから微苦笑して、俺は首を振る。

「なんでもない」
「――そうか」

 頷いた師匠とは、そこでわかれて、俺は一度自室へと戻った。そして着替えて、天球儀の塔の正装であるローブを身に纏う。本日は、主席魔術師としての仕事だ。朝食時も、移動と現地での調査内容について話をしていた。意識を切り替え、俺は集中する事にする。

 こうして俺とラインハルト様は、天球儀の塔による独自調査へと向かう事とした。
 今回は王国付近の転移魔法陣へと転移した。天球儀の塔が展開している帝国側のものに一度転移し、そこから森と近接する場所に展開されている帝国と王国のそれぞれの移動用の魔法陣に乗った。王国の魔法陣は、丘の上に設えられていて、元々はルツ父様の生家であるナイトレル伯爵家が作ったものだと聞いている。嘗てはルツ父様が頻繁に使っていた魔法陣らしいが、それをラインハルト様が改修したそうだ。

「懐かしいな」

 風が俺達の髪を攫った時、ラインハルト様が不意に言った。そちらを見ると、師匠は優しい顔で笑っていた。

「ルツとよく来たんだ」
「そうなのか。ユーゼ父上は嫉妬しなかったか?」
「してただろうな」
「よく生きていたな」
「俺の方が強い。それに俺だって、兄のように慕ってる相手の伴侶に手を出したりはしねぇよ」
「ふぅん」
「――なんだ? そういう発想が出てくるという事は、お前はルツに嫉妬するのか?」
「そりゃあ。俺の知らない師匠の事を知っているのは、羨ましいよ」
「俺はライゼのそういう素直な所が羨ましいよ」

 どういう意味だろうかと考えていると、師匠が風の魔術で宙に浮かんだので、俺は慌てて後を追いかける。

 そうして俺達が向かった先は、魔王の繭のそばだった。魔王の繭自体も、師匠達が頻繁に森へと訪れていた頃より肥大化しているらしい。俺には大きくなってからの姿しか分からないが。口布を引き上げて、俺は目を細めた。俺達が倒すべき存在は、蛾の繭のような形をしていて、瘴気をまき散らす白い糸を周囲の木々に付着させている。そして繭自体はドクンドクンと脈打っている。そこに、閉じた第三の目らしき瞼がついている。

「なぁ、師匠。今、攻撃するわけには、いかないんだよな?」
「――衝撃を与える事で、孵化速度を早めてしまう可能性が高いからな。何度も、迂闊に対応してはならないと伝えたと思うが?」
「だけどな……今ならば、動きは無い。他の魔獣と同種だとするならば、孵化する前に対処すべきなんじゃないのか?」
「同種であるならば、な」
「……」
「未知の存在だ」

 師匠の言葉に、俺は目を細めたまま頷いた。
 その後俺達は、周囲の茂みに残る、エルトという人物が展開していたらしい治癒魔術などの痕跡を調査した。変成した土壌、魔力気配、別大陸の魔力残滓。移動に用いられたらしき魔術痕跡、それらを洗い出していく。

 作業自体は単調だったが、周囲に漂う瘴気への対策が大変だった。それらが完了したのは、空に金星が輝き始めた頃の事だった。宙を飛び、俺達は王国側の転移魔法陣へと戻る。採取したものは、亜空間倉庫魔術で、天球儀の塔へと送った。

「行くか」
「うん」

 俺達はそれから、グリモワーゼ王国へと転移した。王宮の敷地に出る。

「何処に泊まるんだ?」
「――今日は、独自調査だったから、な。調査をしていた事自体を知られたくない。俺達は一般人のふりをして、街の宿に泊まる。明日になったら、王宮でフェルクスさんに会う」
「フェルクスお祖父様に……そうか」

 頷きながら、俺達は歩き始めた。師匠が一歩足を踏み出した時、旅人の外套姿に衣装を変化させたので、俺も幻影魔術を発動させる。誰に気づかれる事もなく、俺達は、王国の人間に紛れ込んだ。

 王宮と、貴族のシティハウスがある通りには来た事があったが、俺は王国の街中を歩いた事はほとんどない。だから師匠に必死でついて行く。師匠は平民街へと歩いて行く。足を踏みいれた事の無い土地だ。

「ここだ」

 長い坂道を下った先に、四階建ての四角い建物があった。赤茶けた外観を見て、俺は静かに頷く。

「受付をしてくる」

 宿泊には、手続きがいるらしい。概念としては、俺はそれを知っていたが、実際に見る機会は、これまでにもほとんど無かった。師匠は人好きのする笑みを浮かべて、宿屋の店主の前に立った。それを背後から眺めている。師匠の流れるような端正な文字を見て、ああ、好きだなぁと俺は考えていた。

 俺達に用意されていた部屋は、三階の南の部屋だった。すっかり星が輝き始めた空を、窓から眺める。簡素なベッドが二つある。テーブルの上には羊皮紙があって、食事の時刻などが記されていた。

「あー、腹減った」
「俺もだ。何、食べる?」
「ここは王国料理を適度に出してくれる美味い店なんだよ。本日のおすすめを頼めばはずれない」
「師匠は前にも来た事があるのか?」
「まぁな。俺はお前と違って良い子では無かったから、ちょくちょく天球儀の塔を抜け出したもんだぞ」

 師匠がニヤリと笑った。俺は過去に、師匠から離れた事は一度も無いから、気恥ずかしくなってしまう。その後、階下の酒場に降りて、俺達は食事とした。

 浴室は大浴場で、俺は物珍しい気持ちで、お湯に浸かった。なんでも火山が近いそうで、温泉というものが沸いているらしい。確かに天球儀の塔のお湯とは、色や匂いがどこか違った。あがってからは、バスローブに着替えて、部屋に戻り、ソファにじっくりと体を預けた。何か、全身のこわばりが溶け出していったような、不思議な感覚がした。

 いつもとは違う匂いが体にまとわりついている気がしたが、不快感は無い。

「ライゼ」

 その時師匠が、後ろから俺の体に手を回した。俺の後ろに立った師匠は、ギュッと腕で俺を抱きしめている。師匠の腕に手を添えて、俺は両頬を持ち上げた。

「なんだか師匠と違う場所に来るのは、新鮮だな」
「おう。たまには、こういうのも良いだろ?」
「うん」
「――平和が約束されたら、いつだって、どこにだって、連れてってやるよ」

 師匠はそう言うと、俺から体を離して、壁側のベッドに座った。振り返った俺は、頷いてから、立ち上がる。そして窓際のベッドに行こうとした。

「こっちに来ないのか?」
「え?」
「今日は、一緒に寝る気分じゃないか?」
「っ、あ、し、師匠が良いなら――」
「じゃあ来いよ」

 そう言うとラインハルト様は短く吹き出しながら、腕を俺の方に伸ばした。俺は慌てて歩み寄り、手を出す。すると手首を軽く握られて、狭いベッドに引き寄せられた。そのまま体を反転させられて、俺は師匠に押し倒された。