【二十】恋にうつつは抜かさない。
ユーゼ父上の乾杯の合図に合わせて、俺はとりあえずルイスと乾杯をした。それから改めてゼリルの元気そうな姿を確認し、その後ルイスを見る。
「それで、話って? やっぱりゼリルの事か?」
「ゼリルの体調は戻ったようで本当に良かったですが、ゼリルにも関わりが深い事ではある感じですね」
「具体的には? 俺はてっきり、エルトという人物からする百合の香りの件かと思っていたんだ」
俺はチラリとエルトを見た。静かに佇んでいる。すると俺の視線を追いかけたルイスは、嘆息した。
「悪い人間ではないようですが、ゼリルが盗られるのは寂しいですね」
「うん。俺達の弟だ。変な奴には、絶対に渡せない」
「僕もまだマジックミラー越しに尋問風景を見ただけなので、人柄までは掴めていないのですが――キルトお祖父様が読み取った内容を教えて頂いた限り、善良な人物ではあるようです」
「そうか。ま、ゼリルは良い子だから、その伴侶だ。悪い奴では無いだろう」
どんなに魔力色が合致して香りがしようとも、悪人だったらゼリルは嫌がるはずだ。だけどチラリと見た限り、入ってきたエルトを、ゼリルは蕩けるような笑顔で見ている。明らかに顔が緩んでいる。あれで好意が無いと聞いたら、その方が疑ってしまう。
変な奴だったら容赦はしないけれども、弟の恋は俺だって応援したい。
「俺はこの後、エルトと話す事になってるんだ。キルトお祖父様の指示だから――というか、元々はゼリルに頼まれた。なんか、俺に会いたいって言ってるらしいな?」
「ええ。予言がどうのと、尋問中は繰り返していたようですよ。ライゼ兄上の事が別大陸で予言されていて、それで名前を知っていたようです」
「予言……」
天球儀の塔の予言とは、別のものであるのだろう。しかし、未来を見通す魔術というのは、俺にはまだ把握出来ていない。予言者が見た未来では、魔王はどうなっているのだろう。それが分かったらならば、対処も楽になると俺は常々考えている。
俺も天球儀の塔に予言を残した人物の名前だけは知っている。
――スバル=ヤマナシ。
異世界から来た稀人だったらしい。魔術の神、ジュールベルン=ヴェルリスの伴侶だったと学んでいる。
「ライゼ兄上」
「なんだ?」
「魔王討伐に関する予言のようなのです。ゼリルの事も心配ですが、僕はライゼ兄上の事も同じくらい心配で……無理難題を押しつけられないようにして下さいね? ライゼ兄上は変な所で人が良いから……」
「大丈夫だよ」
確かに俺は、ルイスほど策士では無いだろうが、人を疑ってかかる事もまた、ラインハルト様からしっかりと学んでいる。俺は改めてエルトに視線を向けた。ただ目が合う前にするりと逸らす。ルイスも何度か見ているのだが、エルトという人物は、俺達が見ている事に気づいている様子だ。あちらも時折、こちらに視線を投げてくる。
「信じますからね。確かにライゼ兄上は、ゼリルよりは――あるいは僕よりも、場面によっては鋭いですし」
「直感を磨く訓練は、嫌って言うほどさせられたからな」
「天球儀の塔の教えは深淵で、僕には理解出来ない事が多いと思います。それにしても……ゼリルの番いと考えると……寂しさもありますね」
「うん。ゼリルは俺達のものだと何処かで思ってた」
「それもそうですし、僕にだけ番いが見つかっていないというのも……」
「へ?」
「ライゼ兄上は、見るからにお幸せそうで何よりです」
「あ! そうだ。ルイスのおかげだ。言質を無事に取ったんだよ、俺!」
思い出してそう告げると、ルイスが穏やかに笑った。そして小さく頷くと、ちらりと俺の左手を見た。
「僕も指輪をはめたいなぁ。羨ましい」
「だろ? 俺も本当嬉しいんだ」
「兄上の顔を見れば分かります」
それからルイスは、持っていたシャンパングラスに口をつけると、小首を傾げて俺を見た。
「兄上が幸せで僕も嬉しいです。が、仕事は仕事。それにゼリルの事もあります」
「うん。恋愛にうつつを抜かして失態を犯すような事はしない」
「……油断させるために、恋愛を前面に出していたのですか?」
「へ? それは考えてなかったけど」
「では滲み出ている幸せなんですね。まぁそれはそれで良いですが」
「う、うん。だって、幸せだからな……ラインハルト様が好きすぎて困ってるんだ」
正確にはあんまり困っていない。ただ時々不安になるだけだ。俺の方が、師匠に対する愛は絶対に深くて重い。師匠は俺の事を好きだと言ってくれるが、俺の方が絶対に師匠を好きな比重が大きいと思う。
「僕もその幸せにあやかれるよう頑張ります。ああ、誰かいないものでしょうか」
ルイスは口調こそ嘆くようだったが、柔らかな微笑でそう述べた。俺はそれを聞いて、会場を見渡した。俺は同年代の帝国貴族であれば、何度か顔を合わせた事がある。天球儀の塔の主席魔術師として正式に帝国を訪れる場合には、晩餐会が開かれる事が多く、挨拶などをされるからだ。
「んー、理想の相手は?」
「家格がそれなり――貴族である事が望ましいですね。ただ、いずれかの派閥をひいきしているとは思われたくないので、単独で力を持っている家柄がより良いですね」
「侯爵家だとするならば……エリクス侯爵家は、そんなに派閥にはこだわりが無さそうだったな。俺の所にも単独で挨拶に来たぞ」
「ルシアですか……条件的には良いのですが、彼は侯爵家の跡取りなんですよね」
「兄弟はいないのか?」
「確か弟がいます。ただ、病弱との事で、表に滅多に出てはこないので、僕ですら面識がありません。病気では、ルシアに代わって後継となるのは、厳しいと思います」
「なるほど」
「ちなみに弟の方は、ユーゼ父上の宰相府に提出した、政略結婚の相手候補に入っています。顔さえ知りませんが、条件的には最良ですので。側妃として迎える分には問題がないです」
ルイスはどこか遠くを見るような顔でそう述べた。あんまり興味が無さそうなのは分かった。
「ルイスも幸せになる事を祈ってる」
「有難うございます」
「よし。俺はそろそろ、エルトに話しかけてみる」
「ご武運を」
このようにして、俺はルイスと分かれ、エルトへと歩み寄る事にした。人の合間を縫い、俺は空のグラスをチェンジし、更にもう一つグラスを手に取った。エルトも一杯飲み終わった所であるのを確認したからだ。
「どうぞ」
声をかけて、俺はグラスを差し出した。