【十二】衝動と動悸(☆)



 有馬もまた軍の寮に住んでいたが、くじ引きの結果一人部屋を勝ち取った。室内の造りは、東北方面軍閥が借り上げているマンションとは異なり、キッチン等もついている。

「羽染、水」

 完全に酔っぱらった様子で、部屋に着くなり寝台に転がった有馬が言った。
 溜息をつきながら、羽染はキッチンへと向かい、コップに特別浄水器付きの水道から水を入れて持ってくる。

「有難うな」

 羽染からグラスを受け取り、起き上がった有馬がグイグイと水を飲んでいく。喉仏が上下している。

「お前も飲むか?」

 有馬に問われ、羽染は小さく頷いた。羽染もまた酔いが回ってきていて、喉が渇いていた。すると――有馬が、コップの中身を口に含む。

「!」

 そしてそのまま、羽染の頭に手を添え、引き寄せた。
 水が、口の中へと入ってくる。目を見開いたまま羽染は水を受け入れた。唇が触れ合っている。羽染は当初、状況が理解出来なかった。

「っ」

 流し込まれる水に息苦しくなって、羽染が目を細める。
 何とか飲み込み咳き込んでいると、直後、有馬の舌が羽染の口腔に侵入してきた。

「ふッ……っ、ん」

 口腔を蹂躙され、苦しくなって羽染は、有馬の体を押し返す。ねっとりと歯列をなぞられた時、羽染の背筋をゾクリと何かが走った。

「あ……悪い」

 すると我に返ったように、口を離した有馬にそう言われた。有馬は冷や汗をかいてしまった。だが、壮絶な色香を放っている羽染から、目が離せなくなる。下心無く、ただ深い話をもっとしたいから部屋に呼んだはずだったのだが、抑制が効かなかった。羽染が欲しいという衝動に、全身が絡め取られていた。

「……僕は、帰る」

 そう言って羽染が顔を背けると、有馬がその手をより強く引いた。
 体勢を崩した羽染を、有馬が抱き留める。
 香ってくる羽染の良い匂いに、有馬はギュッと目を閉じた。もう、止められそうにない。

「駄目だ」
「――な、」

 有馬に力強く抱きしめられて、羽染は目を見開いた。目を開いた有馬が、じっと羽染を見る。視線が真っ直ぐに交わった。

「帰さない」
「有馬……?」
「泊まっていけ」

 有馬はきっぱりと言い放つと、より強く羽染を抱きすくめた。その腕に、反射的に羽染が触れる。長く白い指先を一瞥した有馬の瞳には、獰猛な光が宿っている。その気配に、羽染は狼狽えた。

「――有馬?」

 羽染が呟いた瞬間、有馬が先程まで寝転がっていた寝台に、羽染を押し倒す。咄嗟の事に呆然としすぎて、羽染はされるがままになった。

「……羽染、無性にお前とヤりたい」
「は?」
「抱かせろよ」
「な、何言って――……っ、有馬?」

 言葉を止めた有馬は、羽染の着物をはだけ、鎖骨へと口付ける。ツキンと疼いた肌からも、ゾクリと快楽が走った。本能的な危機感を覚えて、羽染は有馬を押し返そうとする。

「ちょ……」
「もう、我慢できない」
「有馬!」

 そうして強引に袴をはだけられた時、羽染が声を上げた。強く抗議した羽染には構わず、有馬が下着をずらす。そのまま有馬は、ゆるゆると羽染の陰茎を撫でた。ゾクゾクと快感が募ってきて、羽染は思わず有馬を睨めつけた。

「いいかげんに――」

 有馬は酔っているのだろうと考えながら、羽染が思いっきり眉を顰めている。
 だが直後、抵抗の声を上げようとしていた羽染の唇からは、甘い声が漏れた。

「ぁ……ッ、ん……く」

 有馬が羽染の陰茎を口に含む。そして唇に力を込めて、陰茎を刺激された。
 羽染の体が震える。温かい有馬の口が、羽染に直接的な快楽をもたらす。

「や、やめ……ッ」

 出てしまいそうになった羽染が、何とか押し返そうと、己の陰茎を咥えている有馬の髪へ手で触れた。だが、ただかき混ぜるだけの結果に終わる。

「っぅ、あ」

 有馬の口淫は止まらない。ねっとりと羽染の陰茎を舐め上ている。側部に手を沿え、唇を激しく動かす。

「ぁ、あッ――っぁ……!」

 その後鈴口を舌で嬲られて、羽染の腰が震えた。熱が陰茎に集中していく。

「や、あ、出、出る――!!」

 羽染の反応に、無言のまま、有馬が手と口の動きを更に早めた。

「んあ、ア、ああ――ッ」

 そのまま羽染は、精を放った。最初は浅く呼吸を繰り返し、その後ぐったりと寝台に沈んだ。そしてそのまま羽染は眠ってしまった。弛緩した体が回る酔いがもたらす睡魔に逆らえなかったのである。


 夜更け。

 ――一体、僕は、何をしているんだろう?

 羽染が明確に意識を取り戻したのは、月が傾き始めた頃の事だった。いつのまにか被っていた布団の合間から、虚ろな瞳で周囲を見渡す。恐らく、この掛け布団は、有馬がかけてくれたのだろうと判断した。

「起きたのか?」

 羽染が瞬きをしていると、有馬が顔を覗き込んできた。有馬は隣に寝転がっていた。有馬は羽染を見ると、半身を起こして頭を掻いた。

「悪い、俺……」

 酔っていたと言葉が続くのだろうと判断しながら、羽染は何度か瞬いた。
 ――別に気にする必要は無い。
 そう自分自身に内心で言い聞かせるように、羽染は上半身を起こして布団を掴む。

 だが、鼓動が煩かった。羽染は有馬を見る。

 有馬は、生まれて初めて対等に話せるように感じた相手だ。出会えて良かったと思える相手である。そして――出会って以来、有馬に惹かれていなかったと言えば嘘になると羽染はこの時、自覚した。軍閥といった立場の違いがあるから、一線を引いてはきたが、学問所の帰りにラーメンを食べた記憶も、花見の記憶も、先程のお汁粉を振舞ってくれたような優しさも、会津を誇りだと告げても否定しない心根も、羽染は好ましいと感じていた。

 有馬をまじまじと見ていると、羽染は赤面してしまいそうになった。もしかしたら――自分は有馬の事が好きなのではないかと、漠然と考える。そうでなければ胸の動悸の理由が分からない。説明がつかない。

 けれど同性愛が許容されるようになった社会だとはいえ、家柄重視などは決して無くならない。よって敵対する郷里の出身同士である自分達が、恋愛関係になる事などあり得ない。羽染はよく分かっていると、内心で考えていた。

 その為、有馬が昨日気まぐれで行為に及んだのだとしても、酔っぱらって昂ぶっていたのだとしても、それで良いと思った。ただの戯れに過ぎないはずだ。

 そもそも自分は恋などしている場合では無いのだからと、羽染は唇を引き結ぶ。
 そんな羽染の表情を見ながら、有馬が続きの言葉を放つ。

「……――思ったよりも、羽染の事が好きだったみたいだわ。止められなかった。悪い」
「は?」

 響いた有馬の言葉に、羽染は目を瞠って首を傾げる。

「俺、お前の事が好きだわ」

 有馬は何でもない事であるように、再びそう告げた。

「好きって……」

 困惑しているのは、羽染だけだった。
 そもそも飲みの席では、大嫌いだと言っていたではないかと、羽染は首を傾げる。
 余程嫌いだと言われる方が、本音に思えるのだ。

「とりあえずお前は俺の恋人になれよ」
「は?」
「だから、恋人」

 断言した有馬の様子に、羽染は冷や汗が浮かんできた気がした。

「……それって、どういう……」
「俺がお前の事を好きだって事だ」
「……」
「これからよろしくな」

 一方的にその様に宣言されても、羽染は困惑するしかない。
 有馬は強引だ。

「俺はもっともっと羽染の事が知りたい」
「有馬……自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
「もう酔いは醒めてる」

 有馬は隣から羽染に抱きついた。羽染は目を丸くしたまま、信じられない気持ちで、その腕の中に収まる。有馬の体温が心地良く感じた。このままでは、離れがたくなってしまうようで、恐怖すら覚える。

「……帰る」
「朝まで話でもしないか?」
「例えば、何をだ?」
「好きな食べ物の話とか。羽染と話せるなら、なんでも良い」

 そう言って笑った有馬を見て、羽染は短く吹き出した。それから朝が来るまでの間、二人は寝台の上で、他愛もない話に興じた。別に甘い睦言というわけでも無く、羽染はただ自然体で話が出来る事を嬉しく思いながら、有馬を見ていた。

 帰り際、シャワーを借りてから、羽染は有馬の家のエントランスの前に立った。すると有馬が、羽染の腕を引き、改めて抱きしめた。ドキリとした羽染は、それでもやはり恋人になるというのは困難だろうと思って、苦笑してしまう。

「じゃあな。また来いよ」
「……ああ。そうだな」

 こうして羽染は帰路に着いた。自分の寮への道を、白けた空の下、進みながら考える。
 ――恋人。
 有馬の言葉は、意識しない方が無理だ。だが、立場が違いすぎる。それから羽染は暗い瞳に変わった。立場以上に、軍閥以上に、真っ直ぐな有馬と、手を汚す未来がある己は釣り合わないと、そう考えてしまった。

 それでも、有馬の言葉が嬉しかったのは事実だ。朝靄の中を歩きながら、気づくと羽染は微笑していたのだった。心が、温かくなっていた。