【三】暗殺事件
「山縣?」
回想に耽っていた山縣は、朝倉の声で、我に返った。
「ん?」
「どうしたんだい? 難しい顔をして」
「いやなぁ。今の俺には、色々あるなと思ってな」
「――……そういえば、聞きたい事がある」
色々という語に気づけば力を込めていた山縣は、不意に言われて、顔を上げた。
「何だ?」
「山縣って、羽染に本気なのかい?」
単刀直入な朝倉の言葉に、山縣は僅かに片眉を下げた。
「副官として引き抜きたいと言うのは本音だぞ」
「恋は?」
「……朝倉こそどうなんだよ?」
「僕が先に聞いたんだ」
「だから何だ? 聞いた方が優先順位が高いだとか、疑問に疑問で返すなと言うのは、俺は下らないと思ってるぞ」
山縣が平静を装ってニヤリと笑ってみせると、朝倉が嘆息した。
「僕はちょっと欲しいけど、それは信頼的な意味合いが大きいよ。別に羽染を恋人にしたいというのは無い――し、ちょっとした復讐でもあったから」
その言葉に、寝ぼけた羽染が、朝倉を押し倒して刀を突きつけた事を、山縣は思い出した。
「あれは、急に近づいたお前も悪いだろ」
「その部分じゃないよ」
朝倉は内心をそれでも押し殺した。単純に過去に嫉妬した晴親の子息を汚してみたかったと伝えたら、山縣が目を剥く自信があったからだ。
「まぁ、山縣が本気じゃないなら、別に良いけど」
「なんだよそれは」
意味が分からず、朝倉宅の冷蔵庫を勝手に開けながら、山縣は短く吹き出した。こういう表情の時の朝倉は、それ以上内心を語らないと知っていた。ただとりあえず、朝倉も本気では無いらしいと山縣は判断する。それでも述べた。
「ただ、気を抜くなよ。羽染は、お前の命を狙ってんだからな」
「うん。分かってるよ。で、今日は何をする?」
「オセロ」
「良いけど」
ゲームボードを取りに、朝倉が立ち上がる。その背中を眺めながら、山縣はプルタブを捻った。心地の良い炭酸を味わいながら、山縣は考える。自分と朝倉だけの空間に入ってきても許せるのは、猫くらいのものだなぁ、と。
その日のオセロに勝利したのは、山縣だった。山縣は、席を立つと、出かける所があるからと、朝倉のマンションを出る。本日は、坂本に頼まれている事柄を月に一度果たすべく、第三吉原へと足を運ぶのだ。もうじき、梅雨が訪れるという頃合いだった。
坂本靖眞の頼みは簡単で、嘗て惚れていた相手の身辺を確認して欲しいというものだった。彼は、現在貿易会社の社長という表向きの肩書きと、裏の軍籍を持ちつつ、国外で活動している事が多い。
そんな坂本の元恋人は、第三吉原一の男娼による遊郭、東屋の楼主、天堂雨瑛である。線の細い美人だ。山縣よりも少し年上である。
「これはこれは、山縣様」
柔和な微笑で出迎えられた山縣は、ちらりと見世の前にいた青年を見た。身なりの良い和装の青年が、この見世で誰も寄せ付けないと噂の男娼の前に立っていたからである。確か、男娼の名前は、紫陽花だ。皇位継承権第二位の紫陽花宮と同じ名を冠している。現在、皇族に類似した名前を持つ事は、誇らしい事であるという風潮があるから、それだけ期待されているのだろうと、山縣は思っていた。
「今日は、あの子を」
山縣は適当に別の男娼を指名し、本日も初会として、酒を飲む選択をする。そうして相対した人間に、楼主情報を聞くのが仕事だ。頷いた楼主が、見世の若衆に、山縣を引き合わせる。先導されながら、山縣はそれとなく振り返った。
「これはこれは雨宮様」
楼主は次の応対をしている。先ほどの身なりの良い青年が入ってきた所だった。その後視線を戻して、若衆に案内されながら、山縣は歩いて行った。そうしてその日も仕事を果たした。
――羽染が、朝倉の暗殺を実行し、意図的に失敗したのは、その年の冬の事だった。山縣は事前に察知し、有馬を焚きつけて、それを阻止させた。有馬と羽染は、この頃には本当に恋人同士となっていたのだが、結果として、有馬と羽染は斬り合った。
なお羽染は、朝倉の体を浅く斬り気絶させ、偽装で鶏の血を撒き、やはり有馬を煽った。何でも、有馬に殺されたかったらしい。山縣は、羽染のその願いを叶えてやりたいとも何処かで考えていたが、結果として、有馬はとどめをささなかった。
しかし羽染は、搬送された病院で死亡が確認された――という事に、公的にはなっている。実際には一命を取り留めた為、本格的に諜報部の一員として迎える事となった。
この事実に、山縣は、どこかで安堵していた。朝倉も生きていて、羽染も手に入った、その事に。どちらかが欠けていたならば、心が冷えていたような気がした。
有馬を焚きつけた時、山縣は述べた。
『親友なんかじゃねぇよ。本当は。いつかお前も言ってたよな? 「朝倉さんには山縣さんがいる」とかなんとか。そうだ、俺はあいつを愛してる。だから、手に入らないくらいなら――……俺の心をただ乱すだけの存在なら、いらねぇんだよ、もう』
だから、己は暗殺を止める気は無いから、行くならば自分で行けと有馬を焚きつけた。しかし用意していたこの台詞を述べながら、これは本心では無いのかと考える気持ちが山縣にはあった。ただその愛情の種類は、やはり親愛であるべきだ。
――そうでなければ、壊れてしまうのだから。
よって後日、偽りだったと有馬に説明した。朝倉の前で。朝倉の執務室でそれを語ってみせた後、羽染の病気の妹の見舞いに行くと口にした有馬を見送った。
そうして、朝倉と二人きりになった執務室において。
ポツリと朝倉が言った。
「それで?」
「あ?」
「どこまでが、本心だったんや?」
気さくな口調で問われて、山縣は笑ってみせる。
「全部だよ」
「そう言うと思った」
――なお、静養する事になった羽染は、暫し朝倉宅の一つに滞在する事が決まった。
まだ羽染は諜報部の事を何も知らないから、親しい朝倉が面倒を見る事になったのである。