【5】青時雨と料理、起請文
菖蒲の宴から数日が経った。
僕は庭を見ながら、何気なく胃の上を手で押さえた。
第三吉原の多くの見世が同一だと思うのだが、ここ東屋でも夕食は基本的に出ない。
お客様にごちそうしてもらわなければ、僕達は食べることが出来ないのだ。
ただし東屋では、朝ご飯におにぎりが出る。
これだけでも他の見世に比べれば恵まれている。理由は、僕のようにまですくすくとは背が伸びないにしろ、ここにいるのは育ち盛りの男娼ばかりだからだ。お腹がすいてしまうのである。お腹がすいては、腕立て伏せなどの特訓も出来ない。
そして僕には現在ではお客様は、雨宮様お一人と言っていいし、その前は庄野様ただお一人だった。庄野様は豪勢に宴会をするのが好きだったから食事には困らなかった。来てくれているうちは困らなかった。勿論来てくれないので、僕は毎夜のひもじい夜に堪えた。
その内に夜は食べなくても、朝に食べると平気になってしまった。
だから、まだ雨宮様に食事をねだったことはない。
木々の青葉からぽたぽたと落ちていく雨の滴を眺めながら、僕は考えた。
雨宮様は、あまり食べない。
見世に来ると、飲んでいることが多い。飲むと言っても、僕の部屋に行く前の付き合いだと思う。本当はそう言うお客様は珍しいのだ。
体を求める見世ではないのだ、東屋は。
雨宮様は、何が楽しくて東屋に来ているのだろうか?
どんな食べ物が好きなんだろう?
東屋はお酒だけじゃなく食事も美味しいから、是非とも食べて貰いたい。
「雨宮様は、どんな食べ物が好きですか?」
「――それは何か食べたいものがあると言うこと?」
僕の声に、その日も来てくれた雨宮様が首を傾げた。相変わらずニコニコしているが、若干面倒くさそうな表情に見えた。別に普通の質問をしただけなのに、そんな風に穿った見方をしなくても良いと思うのだ。
「聞いてみたかっただけです。嫌いな食べ物でも良いです」
「ああ、そう。そうだね、好きな食べ物は紫陽かな。嫌いな食べ物はナマコ」
「えっ、ナマコって食べられるんですか?」
「刺身とかね」
想像して聞かなきゃ良かったと思った。僕はああいうグニャグニャしたモノは嫌いなのだ。紫陽花という名前になってから、よく『カタツムリが好きだろう?』といって同僚達にわざわざと持ってこられて以来苦手になってしまったのだ。カエルも同じ理由で苦手だ。
梅雨のイメージを勝手に関連づけないで貰いたい。すごくそう思っていたが、今年は梅雨が大好きだ。だって雨宮様が来てくれるのだから。
「だけどじゃあ急に食事の話なんてどうしたの?」
「雨宮様がお食べにならないから心配したんです! 僕はそりゃあもう雨宮様の体調が心配で仕方がないんです」
僕は営業トークに換言してごまかすことにした。考えてみたら好きな人の好物を知りたいというのはなんだか恥ずかしい。
「食べないのは紫陽の方じゃないか」
「僕は毎朝おにぎりを食べています!」
「……ここは、この一番高いフグの刺身あたりを頼んでも良いんだよ」
「いただきます!」
「まぁ無理にとは言わないけど、そう、食べたいんなら、ここのお品書きにあるものを全て頼んで持ってきてもらっても良いよ」
「そんなに食べられません」
「別に食べなくても売り上げにはなるよね?」
「もったいないじゃありませんか」
「紫陽らしいな」
頬杖を突いた雨宮様が、漸く吹き出すように笑った。面倒くさそうな表情では無くなった。ただ折角なので、東屋の美味しいお料理をぜひとも雨宮様に堪能してもらいたいと思う。よく胃袋を捕まれたと聞くから、この見世の料理に、雨宮様の胃袋をつかんでもらいたい限りだ。それにしても雨宮様はそんなにお金があるのだろうか?
「ナマコ料理はないので、それ以外なら大丈夫ですか?」
「食べられるという意味では大丈夫だけど、今はお腹はすいていないよ」
「え」
「紫陽がすいているんじゃないの?」
残念ながら僕は夜は食べなくてもよくなってしまったのだ。
それにほとんど手つかずで、見習いの子達に渡しているが、雨宮様はいつもお刺身の盛り合わせをどんと頼んでくれる。
雨宮様は庄野様と違って静かなお部屋が好きらしく、現在室内には僕と雨宮様しかいないが、隣の控えの間では見習いの子達が、雨宮様からいただいたお刺身を食べているのだ。僕も見習いの頃はよく食べさせてもらったものである。
そうか、もったいなとは思うけれど、あまれば、見習いの子達が……とはいっても、流石にお品書き全ては残ってしまうと思う。それに見習いの子達には、僕ら(一応も僕も入っているはずだ)の稼ぎから一律で引かれて夕食もきちんと出るのだ。一応高級店なので、栄養失調はあり得ないのである。
「黙り込んでどうかしたの?」
「いえその別に……雨宮様は、どうして食べないのかなと思って。美味しいですよ?」
「東屋の料理は評判だからね」
「だったら――」
「どうしてそんなに俺に食事をして欲しいの?」
「退屈じゃないかと思って」
「……それは紫陽が、俺と話をしているだけでは退屈だと言うこと?」
また雨宮様の顔が面倒くさそうな顔になった。
今日は一体どうしてしまったのだろうか。ニコニコしている表情の陰に、ちらちらとイライラがかいま見える気がしてきた。
「まさか! そんなはずがありません!」
「そうそう、その調子」
「え?」
「もっと俺との話を盛り上げて。その方が食事をするよりよっぽど体に良いよ」
「あの……何かあったんですか?」
「は?」
まずい、つい聞いてしまった。雨宮様が、一瞬真顔で返してきた。
思いの外怖かった。いつも笑っている人がたまにまじめな顔をすると、とても怖い。それにここでは仕事の話は禁止だった。何をしているのだろう僕は。それにしても、ただ好きな食べ物を聞きたかっただけのはずなのに、どうしてこんな空気になってしまったのだろうか。
「――ごめんね。ちょっと取引先ともめてね」
しかし大きく吐息すると、雨宮様が苦笑した。
「気づかれるとは思わなかった」
続いたその声と表情に、僕は思った。僕は多分、今では些細な雨宮様の表情変化が分かるようになったのだ! なんだか感動したら、頬が熱くなった。
「……どうして目を輝かせてるのかな。俺がもめると楽しいのかい?」
「いえ! まさか!」
「ああ、そう。兎に角そう言うわけで、ちょっと苛立っていたみたいだ。君に当たるなんて無粋だったね。今夜は帰るよ」
「大丈夫です。かわりに、かわりに飲んでください!」
「俺は嫌なことがあったからと言って酒に逃げるようなことはしないんだ」
「じゃあ僕の所に逃げてきてください!」
「もう来てるじゃないか」
雨宮様は冗談めかしてそう言ったが、その瞳はどこか暗い。僕にもう少し教養があったら、何か相談にのれるのだろうか? のれない気がする。それよりも今僕に出来ることは、プロとして、お慰めすることだ!
ただちょっと意外だった。雨宮様でも、仕事で失敗(?)する事などあるのか。
普段は一切仕事の気配がしないから、驚いてしまった。
結局、本当に雨宮様が帰ってしまった。
僕は上手く引き留められなかった。
そして本日……雨が降ったのに、雨宮様は来てくれなかった。
僕はやっぱり余計なことを言ってしまったなと思いながら、てるてる坊主を見上げた。
なんだかお腹がすいた夜だった。
やっぱりフグの刺身を食べておくべきだった。
ただこれをきっかけに僕は、もっと教養を身につけようと思い立った。
一応社会人は、イチとシチを間違えないように、七をナナと読む事などは、見習いの頃に教わっている。だが、雨宮様に、気軽に愚痴を言って貰ったりするには足りないような気がする。だからといって何をすれば足りるのかも分からない。
今日は雨宮様は来てくれるだろうか?
青時雨を眺めながら、僕は細く息をついた。
「この前はごめんね、紫陽」
雨宮様が来てくれたのは、四日後のことだった。もう来てくれないかもしれないとまで考えて不安でいっぱいだった。良かった。お顔を見られたことだけで僕はまず安堵した。
そして決意した。
不安を打ち消すようにひたすら勉強したビジネス用語を披露しようと。本当は余計なことはしない方が良いだろうがとも思ったが、後ろに進むよりは前に進んだ方が良いと思うのだ! とりあえず僕も自分がこの前迂闊に聞いてしまったことを謝ろう!
「僕も陳謝します!」
「いや別に良いけど。紫陽は何も悪くないし」
別に普通に流されてしまった。陳謝という言葉は日常的に使うのだろうか……きっとそうなのだろう。どんな発言をしたら、勉強したことが伝わるだろうか?
じっと雨宮様を見ると、今日はいつもの通りにニコニコと笑っている。
そうだ、笑顔を褒めよう!
……どうやって? だめだ、僕の頭には応用力というものが無かった。
「お詫びに今日は何でも好きなものをごちそうするよ」
「え?」
「確かに俺も一度くらいは味わって食べてみたいしね。本当は、俺にお勧めの料理を教えてくれようとしたんでしょう?」
「どうして分かったんですか……?」
「紫陽のことならなんだって分かるようになりたいんだ。どれがお勧めなの?」
「やっぱり桜鍋が美味しいです」
結果的には、僕が最初に意図した通り、雨宮様に召し上がってもらえることになった。
なんだかよく分からないが、毎日お会いしていると、不思議と通じ合ってきたりするのかななんて思ったのだった。
その後は、食事を味わった。
さて――翌日。
今日は、五月闇の夜だ。
この闇では菖蒲も見えないだろう。
「紫陽、動かないで」
「っ、ぁ……雨宮様……ッ」
先ほどから雨宮様は、丹念に僕の菊門の襞を舐めている。
一本一本ほぐすように蠢く舌先の感覚に、僕は気が遠くなりそうになりながら震えている。背をそらせて体を突き出している僕は、両手で畳に触れた。
雪洞が、立てかけてある打掛の影を僕の方にまで届かせる。
「ぁ、あ、あ……ううっ」
それから舌先を抜き差しされて、僕はゾクゾクとした快楽が走りあがってくるのを止められなかった。ただ舐められているだけだというのに反り返った僕の陰茎からは透明な密がしたたり落ちそうになっていて、このままでは畳を汚してしまいそうで怖い。
もう中に指を入れて、激しく動かして欲しかった。
だがそんなことは恥ずかしくて言えない。
「っ……あハッ、ン……は」
――すでに二時間になろうとしている。僕はただずっと、舐められているのだ。
これで動くなという方が無理な話である。
「いやだ、もう……雨宮様っ……!」
「まだきついと思うよ」
いつもみたいに指でほぐしてくれれば良いじゃないかと思いながら、僕は抗議を込めて雨宮様を睨んでみた。すると雨宮様はニコニコと笑っていた。服はどこも乱れていない。
「かわりにこれを挿れてもいい?」
そして雨宮様は着物の裾から、細長い木箱を一つ取り出した。
なんだろうかと見ていると、ふたが開けられる。中に入っていたのは小さな卵形の玩具で、細長い棒が二本ついていた。棒の先端からはコードが伸びていて、スイッチがある。
「なんですか?」
「挿れてみればわかるよ」
分かりたくない気がした。
「嫌です! 僕は雨宮様が良いです!」
「ものは試しだよ」
そう言うものなのだろうか。だが、だとしてもなんだかこんな不穏な物体を挿入されるのは怖い。無理だ無理だという思いを込めて首を振ると、体を反転させられた。
「お願い」
「……っ、雨宮様……」
お願いされてしまった。いまだかつて雨宮様に何かをお願いされたことなどあっただろうか。それがちょっとだけ嬉しくて、気づくと僕は曖昧に頷いていた。頷いてしまっていた!
「っひゃ」
すると、雨宮様が球体を押し込んできた。
見ている分には小さかったというのに、内部では異物感を覚える。
それから指先でその球体を雨宮様が、僕の中の感じる一点に押しつけた。
「んぅ」
声が鼻を抜けていく。
「本当にここが好きみたいだね」
「あ、あ」
「いっぱいシてあげるから」
雨宮様はそう言うと、僕の額にキスをした。なんだか気恥ずかしい。
「!」
その時再び体を反転させられ、強く棒を動かされた。
「あああ!!」
二本の棒を握った雨宮様が、それで球体を僕の前立腺にぐりぐりと押しつけ始めた。
途端に走った強い快楽に目を見開く。
「あ、待って、あ!! あ!! うああッ!!」
しかし嬲るような動きは止まらず、僕はそれだけであっさりと射精してしまった。
的確な位置に当たりすぎて、果てるまで僕は何も抵抗できなかった。
「好い所にあたるでしょう?」
「っ」
「まだあってね」
「――うああああんんん!!」
瞬間カチリとスイッチの音がした。同時に内部で球体が振動を始めた。
「あ、あああっ、いや、いやだ、いやですそれ、えっ!」
骨を通してまで振動が伝わってくる気がした。
規則的なその細かな震えにあわせて、強制的に快楽の波が全身に広がっていく。
僕の意志なんかお構いなしに、快感がどんどん強くなっていく。
こんなの怖かった。
「んア――っ、く、ァ……あああああ!! やぁ――!! また、出――――!!」
それまで二時間も我慢していたというのに、僕はガクガクと全身をふるわせてあっけなく二度目の精を放っていた。
「いや、いやだ、っ、も、もう、ああああああああああああああ!」
しかし雨宮様は止めてくれず、そのまますぐに僕は三度目の絶頂を迎えさせられた。
飛び散った白液が、畳を汚していく。
そのまま僕は意識が飛ぶまで、棒付きの球体で中を弄ばれた。
翌日になっても体が怠かった。全く雨宮様はいったい何と言うことをするのだ。僕は機械的な大人の玩具など、はじめてだったから、横で眠っている雨宮様を一人ムッとして見据えた。東屋では、振動する玩具は禁止なのだ。訓練の頃に張り型は使うが、それだって振動なんかしない。
まれにいるらしいのだ。玩具の方が良くなってしまう男娼が。もし僕がそうなったら一体どうする気なのだ! それにちょっと青くなってしまうくらい、無理矢理気持ちよくさせられたから、快楽が怖いなんて思ってしまった。なんだそれは。
「――ん、早いね紫陽。先に起きてたのか」
その時雨宮様が目を覚ました。
「僕だってたまには先に起きます」
「じゃあもう少し俺と一緒に横にならない?」
雨宮様はそう言うと僕の腕を引いた。体勢を崩すと布団の中で抱きとめられた。そのまま横になって、ギュッと抱きしめられる。
「昨日の紫陽はすごく可愛かったよ」
「え」
「怖がって、嫌だ嫌だって首を振るんだからね」
クスクスと雨宮様が笑っている。実際怖かったんだから仕方がない。
「あ、雨宮様! ああいうのは持ってきてはいけないことになってます」
「そうなの? 知らなかったな」
そんなはずがないと思う。雨宮様はニコニコしているが、これは絶対とぼけている。
「僕はああいうのは嫌です」
「怖いから?」
「そ、そうです!」
「――玩具じゃなくて、感じすぎるのが怖かったんでしょう?」
図星だったので、言葉に窮してしまった。
「俺は感じてくれている君を見るのが好きだよ」
「……」
「もっと俺の腕の中だけで可愛い紫陽を見せてくれないかな」
雨宮様はずるい。こんな事を言われたら照れてしまう。
それから日が昇り、五月闇が晴れるまでダラダラしてから、僕は雨宮様を見送った。
そして一人きりになった部屋で考えた。
雨宮様はもしかすると、ただの意地悪ではないのかもしれない。サドなのかもしれない。世に言うSMのSだ。だけど僕はMじゃない。
Mじゃないともう来てくれなくなってしまうのだろうか? 僕をMだと勘違いしているのだろうか? 僕はMについて勉強した方が良いのだろうか? ここはそういう性技をする見世じゃないから、僕は詳しく知らないのだ。本当は玩具のことを楼主様に報告しなければならないのだが、それは僕は黙っていることにした。
悶々と悩んでいるうちに、夜が来て、また雨宮様も来てくれた。
結局答えは出なかったので、僕は直接勇気を出して聞いてみることにした。
「雨宮様は、Sなんですか?」
「っ、どうしたのかな、急に」
雨宮様が猪口を落としそうになった。
動揺していると言うことは、やはりそうなのだろうか……? どうしよう……。
Mの勉強ってどうやってすれば良いんだろう……?
「僕はMじゃないですが、来てくれますか……?」
「別に俺だってSじゃないよ。面白いことを言うね、紫陽は。相変わらず」
至ってまじめに聞いているというのに、面白いとは失礼だ。
僕なりに勇気を振り絞っているというのに……!
「俺は紫陽がMっぽいから会いに来た覚えなんて無い……はず」
「はず!?」
「うーん、虐め甲斐はあるよね」
「優しくして下さい! 僕は優しい雨宮様が好きです!」
必死でそう言うと、ニコニコ笑いながら抱き寄せられた。
「全力で優しくするよ。君に好きでいて欲しいからね」
だから僕も、ギュッと雨宮様を抱きしめ返した。
良い香りのする着物の肩に額を押しつける。
しかし振り返って思ったのだ。やっぱり雨宮様はSだなと。
なお――僕は雨宮様のイメージは雨だと思っている。
翌日訪れた雨宮様を見て、改めてそう思った。
だけど精悍な表情を見ていると、若葉の頃に吹く青嵐みたいだなともちょっと思う。
「あ、あっ、ああっ、ン――雨宮さ、ま」
僕の首筋を舐めあげた雨宮様に優しく口づけをされる。
舌と舌とが絡み合い、口腔を貪られると背筋を快楽が駆けめぐった。
僕は雨宮様のその温度が好きだ。もう雨宮様の体温なしじゃ、僕はいられないかもしれない。それから首元にキスをされ、ピクンと肩がはねた。強く吸われる。降りてきた舌は次に右胸の飾りをゆっくりと舐めてから、舌先で刺激を始める。
「ンぅ――」
我ながら甘い声が漏れてしまった。
気恥ずかしくなってギュッと目を閉じると、頬に手を添えられた。
「俺を見て、紫陽」
「雨宮様……っ」
そして再び唇が降ってきた。この薄い唇の感触が僕は好きだ。
息が苦しくなってくる。
片手では先ほどからゆるゆると陰茎を撫でられていて、そこからはい上がってくる疼きに僕の腰は震えていた。
「あ、んんっ」
「気持ちいい?」
「気持ち、良っ」
「もっとしてもいい?」
「もっとしてぇっ」
喉をふるわせてそう言うと、涙がこみ上げてきた。痛みもないし恐怖もない。純粋な快楽からだった。僕は、雨宮様にこうして優しく触れられると、訳が分からなくなってしまう。
「雨宮様ぁ」
「どうしたの?」
「中もっ」
「うん、良いよ」
香油をたぐり寄せ、雨宮様が指にそれをまみれさせていく。僕はぼんやりと――多分情けないことにうっとりとそれを見ていた。
「ッ」
すぐに中へと入ってきた二本の指の大きさが、とても大きく思えて僕は息を飲む。
ゆっくりとゆっくりと入ってきたそれは、僕の前立腺を探り当てると、優しく刺激した。
「ああっ、う」
そこを弄られると、もう訳が分からないどころではなくなってしまう。
それも、こんな風に優しく穏やかに刺激されると、体がとけてしまいそうになるのだ。
「んア、あ、んんン――……っふあ」
「可愛いな、紫陽は」
「ああっ、うン」
雨宮様が先端を感じる場所に押し当てたまま、指をふるわせ始めた。
熱が内部中に響いていく。自然と僕の腰は震えた。立ち上がっていた陰茎がさらに張りつめ、たらたらと密が零れ始める。
「あ、あ、もう、挿れてっ」
「良いよ」
今日の雨宮様はとても優しい。
「んあ――――!」
すぐに求めていた刺激が訪れて、僕は快楽を受け入れることに無我夢中になった。
はじめはゆっくりと入ってきた雨宮様の楔は、次第に速度を増していき、最後には二人で同時に果てた。僕は心が満たされた気がしてぐったりと雨宮様の腕の中に、体を預けた。
それから雨宮様の腕の中で少し眠った。
ギュッと雨宮様の着物をつかんで。
嗚呼――朝が来なければいいと思う。三千世界の鴉を殺したい気持ちが分かるかもしれない。可哀想だから僕には鴉は殺せないけど。ずっとずっとずっと雨宮様と一緒に眠っていたい。雨宮様の腕の中にいたい。本当はこんな事を考えちゃいけないはずなのに。
僕は、雨宮様が髪を撫でてくれていることに気がついて、やっとはっきりと目を覚ました。何故都々逸のことなんか考えていたのだろう。
「ごめん紫陽、起こしてしまったかな?」
「ううん、起きてたんです」
「そうなの? そうは見えなかったよ?」
「体は眠ってたんです」
「不思議だね」
僕は雨宮様の胸の服をつかんで額を押しつけた。相変わらず雨宮様は僕の髪を撫でてくれている。それがくすぐったくて気持ちいい。
青嵐に吹かれているみたいだった。
「雨宮様はどうして僕に優しくしてくれるんですか?」
「優しいのが紫陽は好きなんでしょう?」
「そうですけど、そうじゃなくて」
「満足できなかった?」
「しました! だから、そうじゃなくて!」
「紫陽?」
「……雨宮様のバカ」
僕は多分雨宮様に、『紫陽のことを好きだから』と言って欲しかったのだ。
出会ってこのかた、この言葉ばかりは、一度も言われたことがない。
雨宮様は、僕に好きだと言ってくれない。嘘でも良いのに言ってくれないのだ。
正直者は馬鹿を見るとも言うのに……!
「バカとは酷いな」
雨宮様は苦笑していた。
そしてその後三日間来てくれなかった……。
僕がバカと言ったせいだろうか?
散々悩んで一人で格子の中で床を見ていた僕の所に、三日後顔を出した雨宮様は、出張だったと言って笑っていた。お土産に、ブルートパーズのネックレスをくれた。お星様の形をしていた。
「紫陽によく似合う色だと思って買ってきたんだ」
「ありがとうございます……!」
プレゼントだ!
嬉しくなって見つめていたら、雨宮様がそれを僕の首に付けてくれた。
「紫陽花の花の青に似ているよね。花の方が艶っぽいけど」
「どちらも綺麗だと思います」
「一番綺麗なのは紫陽だよ」
僕は照れたので俯いた。雨宮様は本当にお上手だ。
「機嫌は直った?」
「機嫌?」
「この前はすねていたみたいだったから。バカなんて言うんだから」
そう言って雨宮様がクスクスと笑ったので、なんだかさらに恥ずかしくなってしまった。
この日も雨宮様は優しかった。
「んア、ああっ、う」
後ろから挿入されて、僕は背をしならせた。
腰を両手で捕まれて、抽挿される。
ぬめる香油の感触と、固いもので前立腺を擦られる感覚に、クラクラしてきた。気持ちいい。全身が蕩けていくようだった。雨宮様と一つになれるのであれば、それも良いかもしれないと思う。
「あ、ア――――!! あ、ああっ」
最初はこんなのは、一夜限りのお客様の、お戯れだと思っていたはずなのだ。
けれど今は、一夜だけなんかじゃ全然足りない。
全ての夜を、雨宮様と一緒に過ごしたい。僕は雨宮様に、夜だけで良いから側にいさせて欲しい。ずっと雨宮様が僕を買ってくれたらいいのに。
「ん、ぅ、あ、ああっ、ひぅ」
「紫陽、可愛いな」
「あ、ン」
「もっと激しくしても良い?」
「聞かないで――……っ、うああああああ!!」
雨宮様の動きが激しくなり、僕の目の奥が白く染まった。
涎が零れそうになってしまったから慌てて唾液を嚥下する。
「あ、あああ!! ふあ、ひ、ン――――!!」
「気持ちいい?」
「う、うん……ああっ、あ、雨宮様ぁ」
僕は涙をこぼしながら、ギュッと手で布団を握りしめた。
快楽が全身に染み渡っていき、おかしくなりそうだった。それをもたらしているのが雨宮様なのだからなおさらだ。
「僕、僕、雨宮様のことが大好きです」
「っ……そう……ッ」
「あああ!」
雨宮様が果てた。その衝撃で僕もまた果ててしまった。
「ごめん、持って行かれちゃったよ、紫陽があんまりにも色っぽい事を言うから」
意識を飛ばして寝入ってしまう直前に僕はそんなことを聞いた。
――僕は決意した。
起請文を書こう。
熊野神社から御符を貰ってきて、筆をしたためて、雨宮様のことを愛していると誓おうと。すぐに御符は手に入ったので、僕は、雨宮様のことを愛していると筆で書いた。
これは古くから続く、吉原での習わしだ。痛かったが、ちゃんと血判も押した。
吉原の人間に限り七十二枚まで書いても良いらしいが、僕は人生で初めて書いた。
「雨宮様、これを貰って下さい」
次の日来た雨宮様に僕は、愛していると書いた紙を封に入れて渡した。
すると雨宮様が目を見開いていた。
「……今まで、何人にあげたの?」
「初めてです!」
思えば庄野様にもあげたことがなかった。
僕はそんなに雨宮様のことを好きになってしまっていたのか!
「殺し文句だね」
起請文を受け取ってくれた雨宮様は、僕の肩に手を置くと、優しくキスしてくれた。
こんな幸せがいつまでも続きますようにと、僕は神様にお祈りしたのだった。
――今日は、小雨が降っていて、それが風に吹かれている。
まだ見世が始まったばかりだというのに僕は、早く雨宮様は来ないだろうかと、格子の中で一人楽しい気持ちになっていた。雨宮様が来たら、今日は何を話そう?
そんなことを考えていたら、楼主様に呼ばれた。
何でも秋桜太夫のお客様が、お友達を連れていらっしゃるから、お座敷に出て欲しいというのだ。僕は雨宮様以外――その前は庄野様がたまに来てくれるしか暇ではない時間がなかったので、時にこういう風に頼まれることがある。
……雨宮様はまだ来ない。
そしてこれも仕事だ。僕が頷くと、楼主様が何故なのか胸をなで下ろした。
きっと僕以外誰もあいていなかったのだろう。
馴染みのお客様のご同伴だから、特例で初会なしに、宴会の席をご一緒させて頂くことになる。その代わりに、同じ枕にはいることは今日はない。まぁ今日でなくとも僕はないかもしれないが。
――それにしても、このお客様というのが、すでにできあがっていらした。
本来であれば、東屋は泥酔客は禁止だ。入店禁止なのだ。
だが、秋桜太夫のお客様が連れてきたからと、目がつぶられることになった。
そして僕は、なるべく薄く薄く焼酎を作っているのだが……さっきからずっと肩を抱き寄せられている。これも仕事だから、嫌だと言うつもりはない。ただちょっと、本気で嫌だと思うのは――……。
「紫陽と言ったな、ほら、もっと飲め」
先ほどから、飲んでも飲んでも飲んでも、お酒を勧められることである。
僕は見習いの頃教わったとおり、頑張ってアルコールを舌で飛ばして飲んでいる。少なくともそう試みている。口に含んで舌の上に少しお酒を置くと、アルコールが飛ぶのだ。
だけどそれでも追いつかないくらい、次から次へとお酒を注がれる。
それも苦くてあんまり好きじゃないビールだ。ビールだから、アルコールを飛ばすなんて言うほど強くはないはずなのに、もう四杯も飲んで僕は、頬が熱くなってきてしまった。というか、ビールにもアルコールとばしはきくのだろうか。さっきから口に含んで舌の上に置いておくと、舌がぴりぴりするから、結局すぐ飲んでしまっているのだが……。
その時楼主様に呼びに来られて、僕はお座敷を中座した。
「雨宮様……! 会いたかった!」
静かに感じるお部屋で二人きりになった瞬間、僕は思わず雨宮様に抱きついてしまった。
「どうしたの紫陽、珍しいね――……姿が見えなかったけど」
「お手伝いに行っていたんです」
「手伝い? 他のお客様が来ていたにしては、早いと思ったけど」
「はい。もう、早く雨宮様が来てくれないかと思いながら、ずっと頑張ってビールを飲んでました!」
「それでお酒の匂いがするんだね。飲み足りたの?」
「もう飲まなくて良いです。十分です」
そう告げながら雨宮様の両手の袖を握って顔を見上げた。
やっぱり僕の顔はほてっている。
「――他のお客様の勧めるお酒は飲めて、俺のお酒は飲めない?」
「え?」
雨宮様はそう言って意地悪く笑うと、僕の手をほどいて、猪口を持ち、日本酒を口に含んでから、僕のあごに手で触れた。そして引き寄せられる。
「ン」
キスを去れ、直接口の中に、日本酒を流し込まれた。流し込まれた……!
吃驚して目を白黒させると、口を離して、手の甲で雨宮様が口をぬぐった。
「お酒を飲んでいる紫陽がすごく色っぽく見えてね。そうさせたのが俺じゃないと思うと嫉妬したんだ。だから俺のお酒も飲んでほしくてね」
「え、あ……」
お酒のせいでなのか、そんな言葉に照れたからなのか、どちらなのかは自分でも分からなかったがさらに照れてしまった。
それから僕の部屋に移動した。
「うぁあああん、あ、雨宮様……っ、んぁああ!」
僕が酔っているからそう感じるのかもしれなかったが、今日の雨宮様はなんだか激しい。
先ほどから何度も角度を変えられ、体勢を変えられ、僕は深々と貫かれている。
雨宮様は普段、僕のことを触って焦らしたりしている時間の方が長いけれど、今日はずっと雨宮様の楔で激しく揺さぶられている。
「あ、あ、あ、ああああっ!!」
いつもだと僕の感じる場所を嫌と言うほど刺激されてばかりで、雨宮様はそう言うのが好きなのかと思っていたのだが、今日は違った。
「やぁああ、あ、あン――!! ひう、あ、ン――――!!」
まるで獣同士が交わるように激しく、どこか強引に僕は体を貪られていた。
皮膚と皮膚がたてる高い音がする。
雨宮様が出したものと香油が混じり合って、僕の中でびちゃびちゃと音を立てている。
今日は雨宮様も、もう二度も出している。
それでも夜は終わらない。
酔いのせいなのか快楽のせいなのか今度は分からなくなりながら、僕はドロドロになってしまう気がした。激しすぎて、息が苦しい。
「ひあ、ああっ、ン――っん、あ、あ……ああっ、うあ、あン!!」
雨宮様の腹部でこすれた僕の陰茎も、精を放った。これももう数度目だ。
今日の雨宮様はどうしてしまったのだろう。
野生動物みたいに、獰猛な顔に見える。凛々しく笑っているのが、なおさら怖い。
――だけど愛おしい。
一つになる感覚、そんな気持ちになった。
がつがつと体をこんな風に求められるのは初めての体験で、何故なのか僕は、これはこれで満たされていく気がする。
「うあ、あ、ン――あ、雨宮様、あっ」
「っ、紫陽、俺だけのものでいてくれるかい?」
「あ、あ」
もうとっくに僕は雨宮様だけのものだって言いたかったけど、僕は一応仕事があるし、言葉に悩んだのもあるが、口を開けば嬌声しか漏れては来なかった。
「俺だけのものにするけどね」
「ンあ――――!!」
そのまま一際大きく突き上げられて、僕は意識を失ってしまったようだった。
目を覚ますと、もう雨宮様はいなかった。
それからもう一眠りして起床すると、楼主様がニコニコしながら僕の部屋にやってきた。
「紫陽もたまには嫉妬させておやりよ」
「嫉妬……?」
「一途なのも良いだろうけどねぇ、たまにはやきもきさせてやった方が良いんだよ、お客様なんてものはね」
楼主様はそう言うと帰っていったが、僕は二日酔いと、昨日の激しかった行為のせいで頭痛に襲われていて、あんまりよく聞いてはいなかった。
この日の夜も雨宮様は来てくれた。
僕の頭は、相変わらず痛いままだった。
「紫陽、顔色が悪いね」
「平気ですよ。きっと雪洞のせいです。取り替えてもらいますか?」
仮にもプロなのに、二日酔いなんてかっこわるくて言えない。
それに腰が痛いのは恥ずかしくて言えない。
「もしかして昨日みたいなのはいやだったかな? 愛想を尽かされてしまったのかな」
「ち、違います!」
「違うんだ?」
……出来れば僕は、優しく抱いてもらうのが好きだとは思う。反射的に否定してしまったものの、それでも別に、本当に、雨宮様が相手だったのだから、昨日のことは嫌じゃない。むしろ、雨宮様にあんな風に情熱的に求めてもらえたのは嬉しい、ような気がする。
「――無理をさせたのは、これでも分かっているつもりだよ。酔っていたのにごめんね。つけいるようなことをして」
「別にそんなこと無いです」
「紫陽」
すると、ぴとりと雨宮様の手が、僕の頬に触れた。冷たくて気持ちが良い。どうせならば、額に触って欲しかった。
「額も」
思っていたら、つい言ってしまった。
するときょとんとした後微笑して、雨宮様が僕の額に触れてくれた。
「もしかして二日酔いで頭が痛いの?」
「どうして分かったんですか?」
「紫陽のことだからね。俺が持っている頭痛薬で良ければあげるよ」
「いいんですか?」
頷いた雨宮様は、僕に錠剤を二つくれた。雨宮様は、優しい。