【29】似ている
「先生は、どうしてお医者さんになったんですか? 国家資格が欲しくて?」
「ううん。合法的に人体を切り刻んでみたかったんだよ」
「ほう」
確かに、お医者さんはそれが可能だ。選択肢としては、まっとうだ。
「じゃあ外科医が良かったと思います!」
「うん、だからさ、俺の理由にひかない上に、そういう提案してくるのがもうアウト」
「え」
「最初は当然、外科系に行こうと思ってた。その頃はね、もしかして俺は人を殺してみたいのかと考えてたんだ。ただ、命を奪いたいわけでもないし、動物とかを殺してみるわけでもないし、なんで切り刻みたいのかわからなかった。しかも、そっち系の講義、全く興味が起きないし、外科医ってそもそも命を救う場面が多いわけで、と、考えてくうちに、結局、結論として、理由なく人の体を切り刻みたい理由を追求するために、精神科に行くことに決めた。ほら、自殺したり色々で、俺と違って実際に切り刻む人いるわけだから」
「それを聞くと、精神科で良いような気もします」
「だよね。で、とりあえず専門医になるまでは、その理由を考えつつも、忙しい毎日を送ってた。まぁそんな感じで過ごしていたある日、もしかしてこれは、本当は切り刻みたいんじゃなくて、無意識下にある何事かを、意識化する際に切り刻みたいに変換してるんじゃないのかと今更ながらに気づいた。当時は、あんまりフロイトとか興味なかったから、思いつかなかったんだ、それまで」
「ああ、なるほど」
「本当にそうなのか確認するために留学した。最先端を専門的にやらないとわからないと勝手に思ったんだ。で、戻ってきて、今に至る。もう医者としての臨床は少数にして、というか、言っちゃ悪いけど、はっきり言って、最低限の研究対象の相手だけにして、じっくり専門的に続けることにしたんだ。この大学、お金持ちだから、研究費もいっぱいくれるし。自由度高いしね。俺にとっては最高の職場だ」
「結局、無意識下にあったのはなんだったんですか? しかも無職になる要素ないし!」
「――証明困難な学問だから根拠はないけど、多分ね、人を切り刻みたかったんじゃなく、自分を切り刻みたかったんだ。それと、死にたいわけじゃない。これが重要な部分。だから、自分を切り刻んだら死ぬだろ? その点でも、無理だ。あとね、無職っていうのは、俺が興味をすぐ失うからなんだよ。だから、様々な理由をつけて、病院もバイト先も転々としてたんだ、俺。嘘をつくのはとっても上手いから、誰にも変に思われず、今のところむしろとても素晴らしい経歴だとすら言われるけど、ぶっちゃけあきると辞めたくなるんだよね、すぐ。しかしながら、興味を持ったことに関しては、ずっと考えてる。まぁそっちを考えるのに忙しいから、あきた方はどうでもよくなるっていうのもあるんだろうなぁ。だから医師じゃなかったら、職歴汚しだったね、ただの」
「なんだか、なんだか、すごく共感します。断言して私は変人じゃないけど、あきっぽいし、後、切り刻む理由。なるほど、そっか、そうなんですね。なるほどなぁ。ああ、そっか、人を切り刻むのと自分を切り刻むのか」
私は本気で先生に共感を覚えていた。今まで、少し似ている気がしていたが、本格的に似ている気がしてきた。なのでこの時、どうして自分を切り刻みたかったのか聞くのを忘れた覚えがある。
「共感するところおかしくない? 無職部分は理解できるけど。そういえば、雛辻さんは、なんでこの大学に来たの? さっきの話によると、第一志望だったんでしょ?」
「退官しちゃった先生に習いたかったんです」
「通ってたそうだもんね。そりゃあ残念だった。運が悪い。けどまた、どうして犯罪心理を? 大体、それが好きなら、社会心理のゼミ行けば良かったのに。犯罪心理の大半が統計だって知らなかったの?」
「知ってましたけど……なんていうか」
「うん」
「先生ほど難しくもないし、深くも考えてないけど、似たような理由です。けど、ひかれそうだから言いたくないです」
「ひかないよ。俺は話したのに、意地悪だな。教えてよ」
「志望動機書読んでください」
「嘘まみれの?」
「っ」
私は言葉に窮した。そして少し迷ったが、まぁいいかと苦笑した。
先生は口が硬そうだし、二度と雑談する機会もないと思っていたからだ。
「――ある人に、自分を殺すことと他人を殺すことは、同じことだと言われたんです。あ、その人の個人的な考えらしいんですけど。それで、じゃあ私は、いつか人を殺すのかなと思って、殺すというのは犯罪だから、だったら犯罪について学ぼうと思って! それでほかの学科系も含めて色々本を読んだ結果、ここの先生の本が一番面白かったんです!」
「俺だったら法学部いって、いかにして自分を無罪にするか考えるな」
「それ、人を殺した場合に限ってしか役に立たないじゃないですか!」
「まぁねぇ」
「それに私はどちらかというと、だから共感した部分と一緒で、本当におんなじなのかなとか、自分は人を殺したいのかなとか、そういう無意識下の気持ちみたいなのが知りたかったんです!」
「俺と一緒で、他人に害をなす可能性はあるけど、興味あるのは自分自身だったんだ」
「そう、それ!」
「俺も君に共感した。その話聞いて、俺たち似てると思ったよ」
「やっぱり似てますよね!? うわー! 先生は大丈夫! 変じゃない! だってごく普通の私に似てるんです!」
「逆々。変人評価の高い俺に似てるんだから、雛辻さんが変で決定」
「え」
「あと、いくつかつっこんで聞いて良い?」
「なんですか?」
私は雑談の延長だと確信し、理解者ができたことにひたすら喜びながら聞いた。
先生は新しい珈琲を渡してくれた後、少し真面目な顔をした。
お互いに煙草には火をつけていた。
「さっきさ、あの人って言ったけど、それって精神科医?」
「え?」
「――いやね、その『あの人』とやらも、変わった人だと思って」
「はぁ……」
今思えば、最初にスクールカウンセラーかと聞かれなかった時点で、先生は半分位は確信していたのだと思う。
「そうですよ。精神科医の先生です。ちょっと骨折した時があって、そしたらなんだか話す機会があって。その時に教えてくれたんです」
「はっきり聞くけど、自殺未遂して受診?」
「いやただの骨折の時に聞いたんです」
「俺のさっきの話だって、俺に精神疾患の疑惑がかかる。だから仮に雛辻さんが精神病でも誰にも言わないと約束する。もし俺が誰かに言ったと分かったら、その時点で俺の考えを雛辻さんも暴露していい。ま、俺の話した事柄の証拠を雛辻さんは持ってないけど。証拠がなくても、俺はかなり面倒くさい事態になる。だからこれまでには、この話はほとんど誰にもしたことが無かった。なんだか、雛辻さんには話てもいい気がしちゃっただけで」
「みんなに話してるネタじゃ――」
「違う違う。学生で話したのなんて雛辻さんが初」
「……」
「教えてよ」
「……どうしてですか? 問題あったら病院に行くんですか?」
「違うよ。一応俺、研究者だから。個人的な興味だ。そこまで俺は優しくない」
その言葉に、少し迷ってから、私は答えた。
深々と吸い込んだ煙で肺を満たしたあと、煙を吐き出してからだ。
「高一で、結果的にはなんでもなかったんですが、病気の疑惑が出て、その検査結果で不安だった頃に、受診したことがあります。その時の先生が、高二で骨折して入院してた時に、なんだかお見舞いに来てくれて、雑談してたら流れで教えてくれたんです」
「――自分を殺すことと人を殺すことの雑談だったんだから、自殺の方も考えた経験があると思うんだけど、それは最初の受診時? それとも骨折自体が未遂? ま、お見舞いという名の受診なのか本当にお見舞いかは知らないけど、後者は少なくとも疑惑は持たれたはずだ。ということは、最初にかかってた頃に何かやったんだ」
「病気を苦にした自殺がすごく多いって教えてもらった程度です」
「死にたいー! って、わめいたの?」
「そうそう、そんな感じです! 病気怖いって泣きわめきました!」
「へぇ。病気も骨折も経験してるんだ。若いのに大変だね」
先生はそう言ってから、煙草を深く吸い込んだ。
煙を吐く姿を見守りながら、この先生が精神科医だったことを改めて思い出していた。
「その精神科医って、変な人の上にヤブ医者なの?」
「違いますよ! 大人気で一番忙しい先生です。私も変な人だとは思うけど!」
「必修の実験前から、検査経験あったの?」
「知能とMMPIはあります。ロールシャッハはなかったけど。MMPIとロールシャッハに関しては、正直な話、自分について知りたくていっぱい文献調べただけで、隣の人についてのレポートのできは、そのついでです。かつ、自分について知りたいだけで、他の人に興味ないから、研究室行きたくなかったんです」
「なるほど、よくわかった。すごくわかる。俺も自分のことが知りたくて色々やってる時、ついでに患者とか同僚の考察すると絶賛されるから。本当は興味ない部分まで、非常によくわかるよ。幸い最近俺は、他人にも興味出てきたけど。だから今は、雛辻さんに興味がある。実験時、事前知識でMMPIに嘘書いたりした?」
「してないですよ! どこが※虚偽項目なのかとか、どこをどう見るとうつなのかとか、人格障害なのかとか知りたくて、必死でした!」
「当時の結果は?」
「異常なしで困っちゃったって言われました。喜ぶべきところですよね!」
「どーだろ。異常あってくれたほうが投薬は楽だからなぁ。で、実験時の自己判断は?」
「どこをどう切り取っても正常の範囲内で、ちょっと目立つような部分もなく、自分じゃなくて隣の席の子の抑うつ傾向を発見しちゃいました!」
私の回答に、先生がクスクスと笑った。
それから珈琲を飲んだ後、カップを置いた。
「あきっぽいって言ってたよね。俺に共感してくれたって」
「ええ」
「――人生に、あきちゃったりしたことないの?」
意地悪い笑顔の先生を見て、思わず吹き出してしまった。
一瞬硬直しそうになってしまったが、この時は自然と笑うことができたのだ。
「それも経験談ですか?」
「かもね」
「誰にだってあるんじゃないですか?」
「確かに人間誰しも死にたくなることはあるだろうね」
「断言して、私は一度も死にたいと思ったことはないです」
「一度も?」
「はい」
「――それは、非常に変だ」
「え? すっごく精神的に健康ってことですよ!」
「いいや。死にたいと思っても、君の知る範囲の言葉で簡単に言うなら、無意識下に沈めてるだけで、意識上に死にたいという気持ちが登ってこない。つまり、特に紙系の検査は、君の場合自覚がないんだから、何の異常も見つからなくて当然だ」
「……いや、世界にはそんなに死にたい人多くないと思うんです」
「第一、さっき君、死にたいって喚いて受診したって言ってたのに、今、一度もないって言ったけど、どう考えても最初のほうが嘘だ。しかも病気でちょっと悲しい気分になった程度でそこまで検査しない。つまり、一度は死を考えたはずなんだ、本格的に。なのに今の君の断言。どう考えても、勢いで言ったようには見えなかったし、本音だ。とすると、当時から君は、自殺願望を意識的に持っていたわけじゃないけど、死のうとした過去があり、骨折もその観点から自殺を疑われた。ま、そんな感じじゃないの?」
「っ――先生の推理にはなんの根拠もないです。証拠もないです。火村先生を見習ってください!」
「俺の専門は、物的証拠がいらない学問だから。状況証拠を積み上げる形だって知ってるはずだけど。ちなみに雛辻さんてさ、面倒くさがり?」
「へ? また、どうして?」
「興味ない講義サボりすぎ。興味あるのは熱心すぎだけど。普通は、どちらか片方。多くの場合、この大学では、全てサボる人間が多い。そして君のお友達はそういう人間が多そうだ。普通は一緒にサボると思う。ただ関心事へ熱心なのは、良いけど――普通に、サボってもいるわけだしさ、早起きじゃないって言ってたし、本来は面倒くさがりなのかと思って」
「かなり面倒くさがりです、実際。研究室の検査とか死ぬほど面倒くさかったです」
話が変わったんだと少しホッとしていたら、先生が吐息に笑みを乗せた。
「じゃ、人生に面倒くさくなっちゃったことは?」
「え?」
「人生でもいいし、まぁ一般的には進路をはじめとした人生だけど――雛辻さんの場合、正確に表現するならば『生きること自体』に面倒くさくなっちゃったことはある?」
「なんですか、それ」
「生きるのにあきた、生きるのが面倒になった――両方、あるいは同時に、経験あるんじゃないかなと思って。これは、経験談ではないけど、診たことや聞いたことがあるいくつかの例。リセット願望とか消えたい願望の重いバージョンで、その中に時折、こういう理由の人がいる。本人には、死にたい理由の自覚はない。だけど他のバージョと違って、考えるだけでは終わらないパターンが多い。死んじゃうんだよね。自分でも死にたいって思ってないから人にも訴えないし、なにか実行して初めて周囲が気づくことが多い。運良く助かった場合ね。だけど診察してみても、本人は、面倒だったとか、そういう感じでしか言わない。何が原因かわからない。だから周囲に聞き取りをして推測してみるものの、本人は、別にって感じだったりする。特徴は、普段は明るいことくらいかな。ただ、双極性障害方面で、普段は元気なのにうつが来るのであれば、理由が自覚できるはずだから、ちょっと違う感じなんだよねぇ。なんなのかな?」
「いや、なんなのかなって言われても。私にもわかりません」
「『私にも』っていうのは、経験があるけどやっぱり自分じゃ分からないって事かな?」
「……いや、だから、専門家の先生に分からないのに、私にはなおさらという意味です」
「じゃあどうして、そういう人々と同様で、精神科受診時に自殺を疑われた形あるいは発覚した形だけれど、全くそういう意識がないの? 案外ね、死にたいと思ったことがない人って、滅多にいないんだよ。本気の自殺という意味で」
「きっと他の人よりも、私は性格が明るいんだと思います! だから自殺とか考えないんだと思います! 喚いた話は、悲しかっただけで、本気で死ぬ気はなかったって事です!」
「俺はこの症例に、とても興味があるんだ」
「へぇ! 研究頑張ってください!」
「うん。だから君は、いい被験者だ」
「は!?」
「色々教えてよ。聞きたいことが盛り沢山だ」
「だから私は違います!」
「違うかどうかを判断するのは俺だから。安心して、守秘義務があるから、絶対に漏らさない。どんな結果になってもね。健康であっても、もちろん」
「……」
「院の部屋でも研究室でも、この部屋でもバレるから、ここに来て」
先生がそう言うと、私に薄い冊子を手渡した。
受け取り眺めてみると、私の住居のとなりの隣の駅に存在するようだった。
個人経営の小さな心療内科クリニックらしい。
「保険証はいらないから。診察でもないし。この日は俺の受診日でもない。そもそも患者さんがほとんど来ない、すごく暇なところでもあるんだけど、週二日、ちょっと俺も診てるから融通きくんだ。ここの面談室を借りる。被験者よろしく! こういうのかかるの嫌がる人多いから、真横にお店があるからそこでバイトしてることにするといいよ。誰に疑われることもない。お店の休憩室がクリニックの敷地内レベルだから。あと、喫煙許可ももらっておくよ。ゆるいところだから、大丈夫! 今日見てた感じ、俺よりヘビースモーカーだね」
「え」
「それと今日この部屋に来たことは、言っちゃダメだよ。俺、学部生を教授室に呼んだの、君が初めてなんだ。なんだか、面倒くさいことにお互いなると思う」
「え!? 面倒だし言わない部分はわかるけど、なんで私を呼んだんですか!? 最初から被験者!?」
「違う違う。話してみたかったのと、あとはこの部屋にあの本の関係論文があるから。あ、そうだった。はいこれ」
その後立ち上がった先生に、私は論文を借りた。断ろうとしたのだが、なんだかその間もなく、私は曜日と時間を指定され、その週からクリニックに通うことになった。