【69】二択
「――本当は最初、俺が実際は死にそうだからこう言うインパクトのある出来事をして自分に対して死を忘れさせようとしていると思った。もう一個の案としては、前回面接時に約束しなかった段階から実験だった可能性。三個目、偶然事故に遭っちゃったからそれっぽくして実験。この辺を考えていたら、協力者のはずが予想外に動揺していた上村先生や、まさかの聞かされることが来なかったはずの暴露話をされたり、佳奈ちゃんが来たり、この辺で、ああきっと俺は死なないし、前回約束しなかったのは偶然だし、けど実験は偶然では無かったと理解し、動揺していたんだから対象被験者は上村先生だと理解した。そこまでは良かった。そして俺が片思い説を否定したところも良かった。ただ、ここで否定されたから、ちょっとホッとしちゃった。さらに本日、人払い状態でホッとした。また、そうではあるけど大人数が見ていると聞いて、またちょっとホッとした。だけど本日君は考えた。周囲が知る君の性格的にさ、周囲は君に『幸い意識は戻ったんですがもうどうしようもないんです』なんて言えないじゃん? だから、そういう意味合いでのヤバイを改めて想定しなおしたのが、ひとつ。つまり意識が運悪く戻ってしまったので、対策したいから雛辻さんを呼んでください的な感じでこういう流れになったパターン。さてもう一つ。実際には全部とは言わずともほぼ全て嘘で、ここは何せレンタル施設であり、病院物のAVとっちゃう場所かもしれません。そこに自分を好きだと言っている男性と二人きり。他に人気なし。別に自分も嫌いじゃない。しかもこのパターンはかぶっているかもしれません。蘇る言葉、セックスボランティア。それで、どうなると思う? それも読者様にお任せするの?」
「……」
「――俺、明日まで生きられないかもしれないんだって。尋常じゃなく、今、雛辻さんが好きなのに、もうどこにも一緒に行けない」
「……」
「――だけど、大好きな人にこんなことを言ったら、苦しめてしまうかもしれない」
「……」
「――というのはどちらも実験です」
「……」
「――でも、真実であり、せっかくなので、人生の最後にそれをやらせていただく事にしました」
「っ」
「雛辻さんは、今、何が一番信憑性が高いと思ってる」
「……」
「俺が死んだら悲しい?」
「もちろんです……ただ」
「ただ?」
「……先生は死なないと思うんです」
「どうして?」
「先生は必要な人だから。前に話した通りです」
「よく考えて、雛辻さん。果たしてそれは、世界に? 雛辻さんにとって、俺は必要なんじゃないかな」
「だけどみんなにとっても――」
「言い直すよ、俺が必要とされたい人間は、雛辻さんなんだけど。雛辻さんにとって俺は必要?」
「……」
「俺には雛辻さんは必要な人間なんだけどな」
「その……必要なんですけど、今回電話をもらった時に、必要な人間の、必要な部分の種類が色々あるんじゃないかと考えて――」
「もういいや」
「!」
気づくと引き寄せられていて、唇を塞がれていた。手首は掴まれたままで、もう一方の手では腰を抱き寄せられた。抵抗しようと手でもがくうち、舌が口腔へと入り込んできた。ゾクリとして身動きを止め、そのうちに息苦しさを感じながら体が温かくなってきた気がし、それからツキンと何かが疼いたとき、怖くなって思わず先生の腕の服を掴んだ。そのあとすぐ、体の力が抜けて思わず前側に倒れかけると抱きとめられた。
「意外だね。君の性格だと、後ろに逃げると思ってた。前に来た方が確実に息は楽になるけど、逃げられないから。それとも、息継ぎを習っていないとか?」
「……」
先生が何か言っていたが、ほとんど聞いていなかった。
――まだ、体が温かくて、ふわふわするからだ。
抱きしめられたというのとは違うのかもしれないが、初めてきつく体に腕を回され、先生の思ったよりも厚い胸板に額を当てていると、安心しきっている自分がいた。
「雛辻さん、顔を上げて」
言われた通りにすると、先生の冷淡な笑顔が視界に入った。
だがすぐに、それは不思議そうな顔に変わった。
力の抜け切った私の体から、片方の腕をはずし、そして私の頬に手を添えた。
「もしかして、力が抜けちゃっただけ?」
「……」
「――気持ち良かった?」
するりと聞かれて、私はぼんやりとしながらも考えた。
気持ち良かったのかもしれない。きっと、そうなのだろう。
全然嫌じゃなかった。どうして嫌じゃないんだろう。私は先生が好きなのだろうか。
「ことごとく想像を裏切るよね。まさかそういう顔をされるとはなぁ」
「……?」
「そんな風に、濡れ切った期待されている目で見上げられて、誘われるとは考えてなかった。俺と、したかったの? それとも想像していたよりも良かった? ああ、最初から期待してた? ずっと体が寂しかった?」
「……」
「今日はねぇ、そもそも本当は何もしないつもりだったし、そうじゃない場合でもキスまでかなぁって思ってたから。それ以上は想定してないんだよね。どうしようかなぁ」
「……」
「雛辻さんは、どうしたい?」
「……」
「雛辻さ――」
「……」
「……」
「……」
「……今、何を考えてるの?」
「私……先生のことが好きなのかな?」
「――どうして?」
「体に力が入らなくなっちゃって……たぶん、こういうのよく分かんないけど気持ち良いんだろうなと言われて思って……嫌じゃないし……なんだかよくわからなくて。何を考えたら良いのかも分からなくて。どうしたら良いのかも分からないし。私は何を考えたら良いんですか?」
「何も考えなくて良いんだよ」
「?」
「体の言う通りにすれば良い。なんだ、ただの経験不足か。ごめんね、意地悪言って。そうか、こういう方面でも自分の気持ちが分からないし、考えすぎてどうして良いのか分からなくなっちゃうんだ。雛辻さん、嫌か嫌じゃないか、それが大切だから、そこが分かったら、もう考えなくて良いんだ」
「はい……」
「研究興味から質問させて。付け加えるなら、俺個人の嗜好として、相手の経験は全く気にならない。だから正直に答えて。経験人数は?」
「……二人です」
「――回数は?」
「二十回くらいだと思います。ええと、毎年二回三日帰省して……」
「初めてはいつ? 俺と会う前だよね?」
「はい。東京で一人暮らしを始めてすぐ――……その……新歓に行ったら……」
「新歓?」
「……」
「雛辻さん、教えて」
「……記録に残さないでください」
「……まずは、俺を信用して話して」
「……家に連れて行かれて、そこで、その……」
「――強姦されたのか?」
「……」
「それ、話してないの?」
「……」
「話してないんだね。記録にも残して欲しくないんだから、誰も知らないということだ。広野くんは知ってる?」
「……最低だって思いますけど、言えませんでした」
「そんなことはない。君は、気を使っただけだ。他の人間に言わない被害者は多い。それ、いつごろ?」
「入学式のあとで、オリエンテーションの前でした。その後は、大学に必死で――」
「二回目は?」
「広野さんと、一年から二年になる春休みかな……帰省した時に」
「最後は?」
「広野さんと別れた時の帰省だから、四年の春かな……?」
「自慰は?」
「っ……その」
「いきなり照れなくていいから。不意打ちでそういう顔されると、逆にいじめたくなる。わざわざ冷静に聞いてるのに。俺は気にしないから、正直に答えて」
「たまに……暇なときにやってみるんですけど、よく分からなくて」
「たまにって、具体的にどのくらい?」
「二ヶ月とか三ヶ月に一回くらいです」
「本当にたまにだね。ちょっと見せて」
「え?」
「下着下ろして膝立ててそこに座って」
「え」
「絶対にひどいことはしない――脱がせて欲しい?」
「いえ!」
なんだか慌てて言われた通りにした。
体勢を直した先生は、それからじっと私の陰部を見据えた。
研究している時の瞳だ。診察を受けている気分である。