【76】挨拶
数日間そんな生活が続いた。
体を重ね、眠り、シャワー、食事。
食事は四回だけ、外食に出かけた。
和食とフレンチとイタリアンと中華だ。
人生が変わった気がした。家では先生が作ってくれて、これもどれも美味しい。
餌付けには成功したみたいだと言って、先生が楽しそうに笑っていた。
なお、三日目に、本当に婚姻届に名前を書いた。
名前欄以外全て埋まっていた!
政宗さんと上村先生の名前があって吹いた。
一緒に出しに行って、確かにすぐに恋人ではなくなったのだが、奥さんになった。
これに関する会社の手続きまで、政宗さんがやってくれるらしい。
大学の手続きは、上村先生にやらせたと言って、紫さんは笑っていた。
そんなある日、先生の車で、私の実家へと向かった。
もう結婚しちゃっている。怒られるだろうか?
ドキドキしながら家に着くと、両親が出迎えてくれた。満面の笑みだった。
それから居間に行くと、弟、そしてなんと晶くんと伯父夫妻、奥田先生と上村先生と政宗さんがいた。状況が飲み込めない。
しかし先生はするっと輪に入った。私は挙動不審になりつつも、隣に座った。従兄と奥田先生が紫さんを大絶賛! 伯父夫妻は、従兄が行くというのもあって、来たらしい。
従兄と奥田先生の二人は、紫さんに会いに来たと言っていた。
上村先生と政宗さんは、たまたま仕事できていた設定で、私と紫さんの両方を、いつもよりも非常に丁寧な口調で大絶賛。私の場合、講義態度や成績、仕事ぶりを褒められた。
政宗さんの誰もが知る大企業の社長であるというプロフと海外留学時の友人という話から、紫さんもまた高IQの話(アレには触れず)や、御家族があちらにいる話、なんと実は、政宗さんよりも大金持ちだとか、うんぬんかんぬんまで喋っていた。
ついていけなかった。両親も弟もにこやか。
紫さんは、とてもいい人風の外面。私は作り笑いだ!
その後、関係ない人々が帰るというので、母が見送りに行った。
そして戻ってきた後、両親と弟と私たちで改めて挨拶がはじまった。
一番反対しそうだった母が、乗り気すぎて引くレベルだった。
なんで早く言わなかったのーなんて言われた。
そう言われても、決まったのは数日前なので、何とも言えない。
弟は、私が良いなら良いんじゃないって感じだった。天使のようだ!
そんなことよりも、自分の顔の出来を自覚している弟が、俺と同じくらいイケメンだと呟いたことに衝撃を受けた。そうなの!? 弟は、紫さんなら、若く見えるし(?)私の隣に立っていても顔面レベルが丁度良いと言う。どういう意味?
父はずっと穏やかな笑顔で見守っていた。
そして最後に、母と弟を下がらせた。
三人になって少し雑談したあと、父が苦笑した。
「ちなみに鏡花院先生は、まさかうちの娘に、子供作った感じで入籍させちゃったんだったりしますか?」
なんで分かったんだろうか。その通りだ。私は引き攣りそうになる顔を必死で叱咤し、とにかく何も言わず表情も変えなかった。
「ええ、申し訳ありません」
私はさらっと答えた先生を、思わず勢いよく見てしまった。
「いえいえ、他に伊澄が同意する以前に好意に気づく気もしなくて。不躾で申し訳ありません」
「こちらこそ非常に申し訳ありません」
「お気になさらず。何日前です? 連絡を頂いた日の前日というところですか?」
「ご察しの通りです」
「やっぱりなぁ。なんでまた?」
「その二日前に、お嬢様の大学入学当初から、面談のためだけに情報を集めていたんじゃないのではないかと友人に指摘されまして、当初はともかく、少なくとも卒業後の気持ちを振り返る限り、間違いないと思いました」
「行動が早いなぁ! まぁ、付き合いは長いですしね。とすると、交際期間は三日くらいですか?」
「ええ」
「大正解だと思いますよ。伊澄はあきっぽいし。あ、家事は得意です?」
「もちろんです。お嬢様には一切何も希望がなければさせず、俺の手が離せない場合があれば、家政婦を雇います」
「心強すぎる! それと、聞づらいんですが、自殺願望とかはお持ちですか?」
「俺にも俺の家系にも無いです。嫁入りした祖母がそうだったので、一人だけ例外がありますが、俺はそちらは継いでいないようです。ただ、それもあって、何よりこれまでお嬢様と過ごし慣れているので対応は誰よりも自信がありますよ」
「神だな。寿命までお願いします」
「お任せ下さい」
「家系も、ということは、俺の孫もアレな可能性があるのかぁ」
「告知を受けていたんですか?」
「日本人での例、一桁目」
「名前にありませんでしたが――ああ、本名記載なしの、被験者Aですか」
「それそれ」
「遺伝性は証明されていませんが、可能性が高いです。はっきり言って八割、俺はこのお互いの家系だとほぼ十割だと思っています」
「そうですか。ところで、アメリカへの研究も行かないですよね?」
「すみません、今は行く予定が無いです」
「いえいえいえ」
「鋭いですね」
「まぁ大事な娘ですし。ですが、先生くらい根回しの良い方が一番安心です。よろしくお願いします」
「俺だったら、娘を自分みたいな男の所だけにはやりたくないですけどね」
「そうでもないですよ。先生なら、伊澄もあきなさそうで、良さそうだ。例えば子供って全然あきないんですけど、子供というか、根本的にあきない相手が必要みたいだから。正直、どんなに好きでもあきる日もあって、まぁまた好きだと後々は思うんですけどね」
「分かる、分かります。こちらとしても、全くあきない彼女が奇跡だ」
「俺としては、それが同意見なので、落ち着かないから伊澄だけはお嫁さんにしたくなかったので、逆かぁっと思います。先生って変ですね。でも女にモテるな、これ」
「自慢ですが、興味が一方向にしか行かないので、浮気はしたことないです」
「セフレ並行はできても、本命にはってやつですか?」
「何故ですか?」
「いや、自己紹介です」
「お嬢様の前でなんていうことを。俺も言ったけど」
「だろうなぁ。正直そうで何よりです。俺は口が裂けても女房には言えない」
「殺されそうですもんね」
「そうなんですよ。ああ見えて、長男も固くて」
「あ、そうなんですか」
「しっかりしてるのは良いんだけどなぁ。一見伊澄もかなりしっかりしてるのに、抜けていて不思議でならない」
「そこが良いんですよね」
「そうなんですよ。先生良く分かってるなぁ」
「頭の使い方を間違っているのが可愛くて可愛くて」
「分かる分かる。言いたいことが伝わらなくて!」
「そうなんですよね! この伝え方を考えるのだけでもあきなくて」
「遊園地に連れて行こうと思って、観覧車に乗ろうって言ったら、分かったって言って設計図書き出して困ったことがあって」
「はは、すごく想像がつきます。え、どうなさったんですか?」
「まずは見本を見に行こうって」
「あはは」
「帰り際に満足したから家には作らなくて良いねって」
「お上手だ」
「今後もいっぱいあると思うので、よろしくお願いします!」
褒められているのか違うのかよく分からなかったが、父はすごいと思った。
こうして無事に家族にも認められ、私はまた先生の家に帰った。