卒業のための論文を書きながら、十七歳になった俺たちは、ひたすら毎日、法律の議論をしていた。喧嘩のごとく議論した。だが、意見が食い違っても、終わると紺は普通になる。そこもまた落ち着く。俺は当然、紺も法律の道へと進むと思っていた。しかし、である。

「卒業したら、俺は経済学部に編入する」
「……そうか」

 俺には止める権利はない。それが分かっていたから頷いたが、内心寂しかった。

「だから毎週土曜の夜な。開けられない日は連絡をよこせ」
「……土曜に何かあるのか?」
「何って、飯を食うんだろうが。同じ学内にいる友達は、お前だけだ。そのうちほかに出来たら、そいつも呼ぶ」
「そうか。そうだな」

 俺は表情を変えなかったが、泣くほど嬉しかった。紺も俺を友達だと思っていたのだ。 十八歳で卒業式を迎えた俺達は、その日は見に来た家族と過ごし、翌日二人で祝いの食事をすることにした。すると紺が、妹を連れてくるといったので、断る理由もないので俺は頷いた。

「はじめまして、鏡花院緑です」
「……シェリル・オーウェンさんじゃなくて?」

 訪れた人物を見て、思わず俺は口走った。
 俺にしては、非常に珍しい事態だ。

「何だ、知ってたのか。お前が知ってるとは思わなかった」
「紺。冗談だろう? 逆に知らない人間がいるのか? 少なくともドイツで」
「俺は十歳くらいまでしかドイツにいなかったからな。知らん。緑、何か悪いことでもしたのか? 今なら俺、弁護するぞ」
「するわけないでよう、紺。あなたと違って私はとても真面目だと思うけど」
「つまりモデルでそこそこ売れてきたのか? 知らなかった」

 紺の言うとおりである。
 世界屈指の大企業創業者一族であるオーウェン家の直系長女、シェリル・オーウェンといえば、飛び級して一流の精神科医兼研究者(しかもすでに権威)でありながら、同時にTOPモデルなのだ。時折CMにも出るが、基本は雑誌のモデルで、高級ファッション誌(若年の富裕層女性向け)の表紙を飾っていることが多い。どころかパリコレに出たとかなんとかで、ドイツでそのニュースが連日放送されたこともある。とにかく国内人気NO.1と言ってもいいほどの人物だ。日系であるにも関わらず! いや、国籍はどこなんだ?
 さらに――ということは、紺もまた、オーウェン家の人間であり、妹だと言っていたのだから、双子か年子の兄……つまりオーウェン家の長男であり、ゆくゆくはオーウェンの社長になると考えられる。あそこは、一族の直系が継いでいると聞いたことがある。日系人が多いからであるようだ。日本人には同族経営という概念があるらしい。全然似ていないが、言われてみると紺も端正な顔立ちをしているかもしれない。あまり良くわからないが。

「それで、紺の友人になるなんて奇特なそちらの方は?」
「――はじめまして、ジェイク=フォーランドです」
「フォーランド? ドイツの車の会社みたいなお名前ね!」
「――ええ。そこの現代表取締役の長男です」
「まぁ!」
「ジェイク、お前、車の会社を継ぐのか? 車? へぇ」
「いや、俺は弁護士になる。会社はまぁ、名前だけは取締役になるけど、社長は社員に任せる予定だ」
「ああ、それは楽でいいな。金も入ってくるし」
「そうだな」
「そういう手もあるのか、なるほどな」
「私から言わせてもらうと、二人共頭がおかしいわ。確かに会社はいつ倒産するかわからないけど、資格を取っておくのも保険にはなるけど、どうして素直に会社を継がないの?」

 何度も言われてきた言葉だ。だが俺は言葉に窮した。
 正直人生で初めて、女性を見て、緊張していたのだ。

「お前にとってのモデル業が、ジェイクにとっての会社役員業ってことだ。な、ジェイク?」
「――ああ」

 しかし俺の心を紺が代弁してくれた。安堵してしまった。
 さすがは友人だ。

「そういうものなの。それで、何を頼むの?」

 その上、不安だった彼女の反応は、非常に落ち着いたものだった。