ドイツ国内ではシェリルという名前で活躍中の彼女は、俺に「緑と呼んで」と笑顔で言った。人生で初めて、動悸がした。完全にあがった俺は、料理の味が全くわからない。彼女がトイレに立った時、気づくと自分でも驚くような言葉が出ていた。

「紺」
「なんだ? そういえば、いつもとなんか違うけど、具合でも悪いのか?」
「お前の妹、恋人とかいるのか? いるよな……」
「……ほう。お前、そういう興味、ちゃんとあったんだな」

 紺は一口飲み物を飲んだあと、普通に教えてくれた。

「いない。好きな相手もいない。初恋すらまだ。彼氏がいたことが一度もない」
「……本当に?」
「ああ。父は絶対プライドが高く育つと考えていたらしいが、そばに母が常にいたせいなのか、その方向性は、別の方面で発揮されていて、恋愛方向は、母似で激ニブ。言い寄る男がいても気づかない。母そっくりで、交わすのがうまいが本人には交わした自覚もない。多分、最初に告白に成功した男に惚れる」
「……」
「別れるにしろ、一度くらい彼氏作れってみんな思ってるから、お前がいいんなら告白してくれ。好きだとか愛してるだとかって言葉じゃ伝わらない。ちゃんと恋愛的な意味だって言わないとダメだ。直球で」
「……家柄が釣り合わない。まさかオーウェンとはなぁ」
「関係ない。誰も気にしない。現にうちの一族の配偶者の出身は適当でバラバラで国さえごちゃごちゃだ。日系が多いけどな。お前なら多分喜ばれる。理由は、父が絶対ドSが彼氏としてやってくると思っているからだ。お前は父の想定よりはSじゃなさそうだ。少なくとも、日常会話上。ベッドの上は興味がない。むしろ妹のそんな話は聞きたくない」
「……そうか」
「勝負をつけるなら早いうちがいい。俺は、今から急用で抜ける。頑張れ。頑張ってくれ。友人としてお前のためにっていうよりも、行き遅れそうな緑のために。頼むぞ!」
「……」

 紺は、そう言うと、本当に帰ってしまった。
 どうしようかガラでもなくド緊張しながら待っていた俺は、緑が戻ってきた時、テーブルの下で手を握った。

「あら? 紺は?」
「急用ができたそうで、先に帰ると」
「せっかく来てあげたのに。まったく、勝手なんだから。紺と付き合うなんて、ジェイクも変な人なのね。私と二人が嫌でなければ、せっかくですし残りの料理も楽しみましょう」

 思っていた印象よりも、明るく気さくで優しい彼女に、俺はもうクラクラしてしまった。

「ああ、ぜひ」
「大学でのお話を聞かせて。紺ってどんな感じなの? もう、ずーっと離れて暮らしてるし、最近紺の友達と会ったことがないから、気になって気になって」
「法律の話ばかりだから、つまらないと思うけどな」
「構わないわ!」

 こうして俺は構内での紺の様子を語った。
 ――そして気づくと、法律について熱弁していた。
 我に返った時、冷や汗をかいてしまった。これは、普通にひかれるパターンだ。

「――そうなの! 法律って思ったよりも面白いわね。ということは、その第八条は、最初の二条二項と組み合わせると効果的なのかしら?」
「――ああ。それが最高の組み合わせだ。他にはないと俺は思っている」

 しかし、しかしである。彼女は引くどころか、食いついてきた。
 俺はもう、完全に彼女に惚れたと確信した。
 惚れっぽいと思ったことは一度もない。一目惚れする日が来るとも思っていなかった。
 そもそも恋をすることなどなく一生を終える自信があった。
 そう、いうなれば、これが初恋だ。

 そこで、紺のアドバイスを思い出した。今まで彼が嘘をついたことはない。

「緑」
「何? どうかした?」
「俺の恋人になってくれないか? 好きだ。今日中にご家族に挨拶しに行って結婚してもいいくらい、愛してる」

 最初、緑は目を丸くしていた。わずかに沈黙が流れた。
 ――失敗だろうか。
 というか、うまくいくと思った俺がおかしいのはよくわかる。