【4】
相変わらず自信家で俺様の、滅多に笑わない空音を見ていると、ただの考えすぎのような気もしたし。ルドルフと定期的に関係を持ちつつ、研究を続けた。その後、ルドルフには恋人が出来たので、私達は関係を持たなくなった。
そんなある日、意見が対立して、私はボロクソに空音に言い負かされた。
あんまりにも頭にきて、これは私の悪い癖だが、研究に無関係の相手のプライドを傷つけてやるような言葉を瞬時に模索し、嘲笑しながら言ってやった。
「気づいていないようだから教えてあげるけど、あなたみたいに顔も頭も兄弟姉妹どころか一族最低レベルの才能しか持ち合わせてない、性格の悪さだけが最優秀な従弟と長時間一緒に研究することを押し付けられた私って、なんて不幸なのかしら」
きっといつものとおり、饒舌で嫌味でも返されると思っていた。
そもそも、多少傷つけることはできると思ったが、空音がそのようなことを悩むタイプだと、私は思っていなかった。
するとその時、小さく吹き出すような吐息の気配がした。
「知ってる。誰よりもそれは俺がよく知ってる。何を言ってるんだ、今更。正直、親戚というだけで俺の世話をさせられているお前が哀れだし、悪いとずっと思ってた」
空音は、いつもとは違い、笑っていた。静かに、穏やかに。
ただ――その瞳が、悲しいとも少し違うのだが、無論泣きそうでもないのだが、余りにも透き通っていて、見ているこちらの呼吸が止まりそうになった。一種の宗教画のようでさえあるのだが、あんまりにも私の胸には、言い知れない悲愴がこみ上げてきた。本人は笑っているのだ。なのに、私の直感が、まるで永久の別れを伝えたかのような、そんな不思議な心地だった。二度と会う機会がいない、というより、正確にいうなら、死んでしまう気がしたのだ。
いいや、そんな馬鹿な話はない。
「ずっと、言いたかったんだ。言えて良かった。もう満足した」
それから口元の笑みを少し深くすると、あとはいつもどおりに戻り、てきぱきと研究を片付け、空音は帰っていった。その様子を見て、気のせいだと私は理解した。確かに私の直感は外れないけど、空音が死ぬなんてことはありえない。きっと白熱した議論で言いすぎた自覚があったから、態度を軟化させたんだろう。人への気遣いが全くできないわけじゃなかっただけだ。知らなかったから、驚いてしまっただけ。自分の考えに私は納得してから、帰宅した。空音はモデルのバイトだ。
その夜、空音が、一酸化炭素中毒で搬送された。
偶然マネージャーが忘れ物を取りに戻ったところ、意識がなかったらしい。暖房器具が不具合を起こしていたらしいのだ。私は自分の直感が当たったことを知ったが、これが世に言う第六感かと、そういうのははじめてなので驚いた。生死の境をさまよった空音は、ギリギリの所で命が助かった。マネージャーがいなければ、確実に鬼籍に入っていた。
目を覚ましたと聞き会いにいくと、上半身を起こしていた空音がいつもどおりの顔で私を見た。
「ああ、来てくれて悪いな。何しに来たんだ? 俺がいなくて研究が進まないだろうから、大変そうけど、まぁ、頑張ってくれ」
「……ええ。あなたがいないと困るから、早く退院してきてもらえる? クソ忙しいのよ、こっちは! もう平気だって聞いてるんだけれど!?」
「念のための検査だそうだ。俺より、暖房器具の検査をすべきだと何度も言った」
「正論ね」
思ったより元気そうで、少しホッとした。また、空音がいないと研究が進まないのは、ただの事実である。一応、早く元気になってという意味と死ななくて良かったという意味も込めたので、当然私は伝わっていると思っていた。
それから数日後、空音が復帰した。
いつもどおりの研究室で、いつもどおりの空音。
空音がいないと逆に落ち着かないなと、一人で苦笑した。
こうして戻ってきた日常に、満足しながら過ごしていたとき、ふと、空音が薬品だなの前に立っているのを見た。昼食帰りの私には、空音は気づいていないようだった。私は空音が、その内の一つを、なぜなのか目薬の容器に移し変えたのを見た。――?
そしらぬふりで見ていると、そのまま空音が外へ出た。
興味本位で私は追跡した。実は趣味で、米国で探偵の専門資格を取得したのだ。
空音が向かった先は屋上で、まず彼は、設置されている倉庫から電動ドライバーを取り出した。そして一番古びているとはいえ、勿論頑丈なフェンスの前に立ち……ネジを四ヶ所緩め始めた。位置はバラバラだが、その四本が抜ければ、重みをかけたらフェンスはすぐに外れる。さて、そのネジに――空音は目薬の中に入れてきた薬品をかけた。急速にネジは劣化し、ボロボロになった。私は非常に視力が良い。――なにをするつもりだろう?
その状態のネジを定位置に緩めにはめてから、空音はドライバーを倉庫に戻した。終始淡々とした顔だった。こういう無表情は時折見る。なのでごく普通の顔だ。空音はその後、フェンスの下を確認していた。ひと気を確認したと直感した。それから空音は、フェンスに背を預けようとした。
「空音!」
直前で私は声をかけた。すると、空音が小さく息を飲んだ。
「――なんだ? 研究で詰まったのか? まだ休憩時間だろう。食事に行ったんじゃなかったのか? 第一、よくここがわかったな」
「なにをしているの?」
「別に。たまには空でも見て休憩しようと思っただけだ」
「錆びさせたネジをゆるめて、体重をかければ外れるようにしたフェンスに、背をあずけて休憩するの?」
「……どういう――」
「外食は取りやめて買って帰ってきたの。そうしたらあなたが興味深いことに、目薬の中身を薬品と入れ替えているから、何をするのかと思って付いてきたら、こういう結果だったの。素晴らしいことに、事故死に見える自殺の手法としては完璧に思えるんだけど――まさか、一酸化炭素中毒も自分で?」
「……」
「なにか辛いことでもあったの?」
聞きながらも私は距離を詰め、強引に空音の腕を取った。
彼が答える前に、フェンスから移動させ、実行不可能にさせた。
私がじっと見ると、空音がゆっくりと顔を上げた。
最初は気怠そうな顔で――それから、前に見た、こちらが辛くなる笑みを浮かべた。
「特に何もない。ただ、面倒くさくなっただけだ」
「何が面倒なの?」
「さぁ――……毎日、というか、なんなんだろうな。人生が、とでもいうしかない。特に理由はないんだ。面倒だなと、そう思っただけだ」
「あなたは病院に行かなければならないわ」
「佳奈、このことは誰にも――」
「ダメよ」
「……それもそうだろうな。いいか、もう」
「……」
私は意味を聞きたかったが、完全に、見えないだけで空音はうつ病だと考えていた。
なので、少なくとも現在この国にいる中では一番の腕前の母に連絡をした。