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 ここは、最下層。

 有籍者孤児院街である。
 完全階級制の社会の中において、ここに住まう人々は、人間だとはみなされない。
 戸籍が無いのだ。

 しかし、この孤児院街だけは、当代ゼスペリア猊下の養子として、『ゼスペリア姓』を与えられる。

 これ以外の街では、当代法王猊下の養子となるため、使徒ヴェスゼストから取り、『ヴェスリウス姓』となる。

 よってこの孤児院街の牧師のみが、『牧師』と呼ばれる。
 他の正規の神父とは異なり、特別恩赦により、前任者や代表者の特別指名により選ばれるからだ。

 その代わり――宗教院の裏の仕事をする『闇猫』と呼ばれる集団の、ゼスト・ゼスペリア直轄部隊として、全員が高度な暗殺技術を身につけて、直々に、代々のゼスペリア猊下に直接仕える事に決まっているのだという。

 他の闇猫達は、宗教院で教育を受けて各所に配属されるが、ここの孤児達は、幼い頃から特別教育なのだ。そしてその筆頭が、ゼスペリア教会孤児院である。

 ゼスペリア教会孤児院の筆頭牧師である、ゼクス=ゼスペリアは、タバコをふかしながら庭にいた。

 略称でゼスト・ゼスペリア家の人間が名乗る以外は、名前の後に直接ゼスペリアとつくのは孤児だけだ。

 ゼクスは、ゼスペリア猊下直轄部隊の、現在筆頭である。

 これは全ての闇猫の筆頭でもあるそうで、これまでにも何度か他の闇猫部隊を指揮した事もあった。

 生まれながらの暗殺者兼――影武者。それが自分だとゼクスは知っていた。

 なんでも本当は、ゼスペリア十九世猊下が生まれた時に、病気だった時に備え、移植手術等のために作られたクローンなのだという。

 けれどゼスペリア十九世猊下は幸い移植等は必要なく、父のアルト猊下と同じ、特異型PSY-Other過剰症という遺伝病以外は、健康であり、それは移植で治るものではないから――ゼクスは本来は殺害されるはずだったそうだ。

 けれどゼスペリア十九世猊下のご両親を始め、周囲や幼かった十九世猊下の願いにより、髪のご慈悲で生かしてもらえたのだという。

 だから――必ずお守りするようにと言われてゼクスは育った。

 クローンだから、ゼクスもまた特異型PSY-Other過剰症という病気であるが、PSY色相などは、ゼスペリアの青と呼ばれる、PSY-Otherの絶対補色・青という単体色相以外は同じなのだという。

 これは直系長男にしか出現しないというから、クローンにも出ないそうだ。

 それでも他の人よりは多いらしいから、影武者をしても露見した事はない。
 影武者をして、ゼスペリア十九世猊下の弟の前で兄のふりをしたこともある。
 次期法王猊下と名高い従兄弟のラクス猊下の前でそうした事もある。

 しかし今では二人共知っている。
 ゼクスは、やはり本物は違うのだろうと常々思っている。

 なんだか本当の弟のように思ったこともあれば、従兄弟のように感じたこともあるが、それは恐れ多いことである。

 なにより、本物のゼスペリア十九世猊下を、闇猫装束で顔を隠してではあるが護衛したこともあり、本当に心優しく上品な方であったのを覚えている。

 まずもって――庭で、それも教会の庭でタバコなど吸わないだろう。

 なお筆頭で護衛によく出るから、この教会には孤児はいない。
 それが筆頭の決まりだそうで、ゼクスは一人でここで暮らしている。

 ほかのものは、きちんと孤児がいる、
 筆頭のラフ牧師が管理するハーヴェストクロウ教会孤児院で、働いている。
 榛名と政宗と若狭の三名だ。
 一応直属の部下となる。

 そしてラフ牧師が、ゼクスの前任のゼスペリア教会の筆頭牧師であり、ゼクスを含めて技術を教えてくれた育ての親でもあり、師匠でもある。

 この三名は名前付きで捨てられていたそうだ。
 なお若狭は現在の副リーダーだから、副と呼ばれている。

 また最下層には、戸籍を持たないガチ勢と呼ばれる殺し屋や情報屋集団がいて、みんな彼らとも仲が良い。

 そこに住まう長老の緑と赤にも、技術を教わったし、あちらの教会には定期的に本物の神父であるザフィス神父もやってくるので、彼にもまた技術を教わった。

 あれは黒色と呼ばれるギルドの技術だそうで、ラフ牧師や赤と緑の師匠に教わったのは、万象院冠位や匂宮冠位という院系譜や華族の技術であるらしい。

 他にもザフィス神父には、猟犬と呼ばれる王家の直轄部隊の技術も習った。

 どれも厳しい修行だったが、生かしてもらえているし、他の人々よりも頭も悪ければ、PSY値も低いのだから、せめて技術だけでも覚えようと、幼い頃は頑張ったし、勉強も良くした。

 それでもあまり結果が出ず、結局武力のみ、なんとか身に付いた。

 なんでもゼスペリア十九世猊下は、PSY値も過去最高かつ、IQも国内最高であるという。さらに綺麗なPSY-Otherの単体青なのだそうだ。

 だから、というか――優しい方だから、ゼクスは何となくお守りしたいと思う。
 小さい頃からそれが自然な事だと思って生きてきたというのもあるが。

 ただ、残念な事に、非常に体が弱いのだという。
 そこは逆だと良かったのだが。
 なんだか悪い事をした気分である。

 ゼクスは、最高学府への入学も許されず、つまり天才機関からの認定書なども来なかったから、幼い頃に何やら紙のテストをたくさん受けただけだ。きっと義務教育の内容だったのだろう。

 皆、非常に簡単だった記憶がある。そして一応自分の部下である三人は、全員が最高学府の通学免除による紙の試験を受けた。

 同じ紙だが内容が違うのだろう。

 さらにその向こうで兵器研究をしながら暮らしている、万象院列院総代兼匂宮配下家の当主だという高砂は、現在院系譜の万象院と黒咲からの出向という形でこの部隊にいるのだが、完全ロステク兵器の専門家であり、頭の出来が違う。

 なんと最高学府で教授をしていた事まであるそうだ。さらには、その直角で向かいにある、慈善救済診療所の時東修司という医師など、医療院というこの国で最高の医療機関で勤めていたらしい。

 政宗も表向き強めていたことがある。
 一応闇猫は医師免許が必須だそうで、ゼクスもそれは持っているが、誰でも取れるのか非常に簡単だった事を覚えている。

 まぁそんなメンバーと日々を送り、最近は、伴侶補という王妃様替わりの仕事をしている、英刻院琉衣洲様に、ゼクスは直接、武力指導をしている。

 英刻院家のような名門中の名門貴族が何故と困惑したが、猟犬になるのだという。
 貴族にも裏の顔があるらしい。琉衣洲と呼んで欲しいと本人にも、その父である藍洲にも頼まれた。

 藍洲はゼクスが小さい頃から最下層にちょくちょく顔を出していて、かき氷氏などと呼ばれている。

 ゼクスは藍洲にもまた色々と教えてもらった。
 最近では藍洲の弟子であり、ゼクスの一応兄弟弟子となるのだろう榎波柊護衛隊長が、琉衣洲や英刻院藍洲閣下とともに連れてくる、なんと第一王子の花王院青殿下や、もう一人の伴侶補であり華族で一番偉いのだという美晴宮家の朝仁様まで、貴族院の慈善事業で顔を出す事がある。

 他によく来るのは橘大公爵だ。
 彼もまた完全ロステク兵器の専門家であるそうで、九歳の子供と三歳の子供がいるらしく世話を頼まれる事もある。

 この人物は気さくな人で、大公爵とつけて呼ぶと怒る。

 榎波も華族の男爵だが、榎波で良いという。

 榎波は実は、ゼスペリア家の十八世猊下の弟の息子でもあるそうで、ラクス猊下や十九世猊下とは従兄弟だというから、護衛対象なのだが、本人がかなり強いから、そういう扱いをすると怒るし、会うたびに腕試しだといって、ゼクスを攻撃してくれる。

 榛名と政宗は特に榎波にも懐いていて、榎波を『師匠氏』なんて呼ぶこともある。

 なんというか――平和だ。

 青い空を見上げる。
 白い雲。
 ゼクスは、こんな毎日がとても好きだ。

 だから、これを少しでも守っていけたらな、等とたまに崇高なことを考えて、そんな自分に苦笑する。

 それからタバコを消して室内に戻った。
 そして、腕を縛って、栄養剤を注射した。
 貧血とめまい。
 最下層の人々の持病である。

 周囲は、病気の兆候だというが、大げさだと思う。
 むしろ具合が悪い時ようと言って、こうして栄養剤の注射をもらっているだけ、自分はとても恵まれているとゼクスは思っている。