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その頃、ゼクスは、無事に四階にたどり着き、前々からこの石室には似合わないと思っていた木製の引き出しを開けた。
そしてラフ牧師に言われた通りに指輪をつけた。
なにやら説明書のようなものが入っていたから、それもポケットに入れてから、今度は黒い手袋をはめる。
そして口布を引き上げた。
金色と銀色と黒色の糸で刺繍がされている、ギルドの口布だ。
完全フル装備だ。
しかも本来の黒色とは違うらしく、背中には黒咲の関連らしい、月と桜が、これまた黒い糸で刺繍されている。
ただしこちらは時折銀色に光るのだ。
その上、右手には、なんでも万象院の袈裟だとかいう金の紐が絡まっている。
ゼクスはこんな格好をしていたら目立つと思うのだが、みんなはこれを着ていろというのだ。
ゼスト家直轄部隊はそれを着ていなければならないという。
確かに榛名達も同じ格好だから良いのだろうか。
そんな事を考えながら、地下通路を進み始めたのだが、胸の中にざわりざわりと嫌な予感が広まってくる。
だけど、夢を見たのは昨日だし、急にラフ牧師に何かあるわけがない。
必死で内心をそう落ち着けて、目的地にたどり着くと、緑の僧服の上に黒いローブをまとった長老緑と、赤い着物の上に茶色いローブをまとった長老赤が言った。
「あ、あの、お久しぶりです……」
「「……」」
この二人は、いつもゼクスに対して、あまり言葉をかけてくれない。
やはり今日もそうだった。
「ラフ牧師が、二人の所に行って、この手紙をと。あと、なんかラフ牧師は黒き黒翼の天使かもしれないって、俺が変な夢を見たから、危ないって……それで金の指輪とか緑の数珠とか渡されたけど、これ、二人のだろ? 返した方がいいか……? ラフ牧師が持っていて、見せてはダメだと……その……」
すると緑が、ローブのフードをとった。
そして手紙を受け取り読み始めながら言う。
赤もまた受け取り読みながら、こちらは黙っていた。
「ゼクス。確かにラフ牧師がそう言ったんだな?」
「ああ。なぁ、危ないなら、助けに行ってくれ。俺が一緒に来てくれと言ったら、強いから大丈夫だと言うけど、俺は、なんだか胸がざわざわする」
「――ほかに、なにか聞かなかったか? 例えばお前の出自や家族のことを」
「信じられないけど、俺はクローンじゃないって言ってた。ラフ牧師の孫だって」
「――それだけか?」
「……十九世猊下の双子の兄だと。けど、そんなの――」
「どんな夢だった?」
戸惑いながらもゼクスが言うと、険しい顔のまま、緑が頷いた。
「――ゼクス、よく聞け。それは事実だ。そして緑羽万象院がわしの名前であり、お前の曽祖父、ラフ牧師の片側の父親。こちらは朱匂宮、もう一人のラフ牧師の父親であり、お前の曽祖父だ」
「え……」
「右手の全ては、元々お前が持つべきものだ。何の心配もいらない。そして左の全ては、真のゼスト・ゼスペリアしか触れる事はできない。そしてそれは歴代でも無理だった。最後になくなる前、あそこにおさめる決まりであり、持てる場合のみ、継承してきた。よってそれもまた、持つことができたお前のものだ。仮にお前の双子の弟もまた手にできたとしても、最初に手にできたお前のものだ。それは生涯変わらない。だから決して私てはならない。それが万象院、匂宮、ランバルト、ゼスト家、ハーヴェスト家でもあるロードクロサイト家の決まりなんだ」
「っ……」
「これは守り伝えていかなければならない事だ。ゼクス、お前がどう思おうがこれが決まりだから、決して渡さないと、わしと約束してくれ」
「……」
「約束だ」
「……」
「ゼクス、約束しろ」
「……わかった。約束する」
「よし、それで良い。ラフ牧師の事は――心配は不要だ」
「本当か!?」
「近所に天才的な医者も住んでる。それはそうと、次の点滴はいつだった?」
「明日だ」
「ではこの鞄を」
「これは?」
「中に必要な点滴類が全て入っている。処置は全て自分でもできるな? 必ずきちんと点滴は続けるように。献血はもう不要だ。それ以外を必ずするように。もしも足りなくなったら、ハーヴェスト侯爵、アルト猊下、法王猊下、舞洲猊下、英刻院藍洲閣下、時東、ザフィス、この辺りを探るか、医療院関連病院に内密に行き、『鴉羽ゼクス』と名乗って、提供を受けろ。これらの場所以外の全てでは、受けてはならない。絶対にだ」
「う、うん」
「今から、法王猊下の元へお前をテレポートさせる。そうしたら、手紙を渡せ。そうなれば、おそらく左手のランバルトの青という銀の指輪と、使徒ゼストの十字架を見せるようにと言われるだろう。法王猊下に対してはそうして良い。だが、仮に舞洲猊下や護衛の闇猫であっても、決して同席させてはならない」
「わかった……あ、あと、これを時東達、こっちを榛名達に回し読みさせるように長老達にあずけろって……というか、テレポートなんてできるのか?」
「承知した。必ず渡す――この時に備えて用意していた。ゼクス、達者でな」
「え、俺もう戻ってこられないのか?」
「それはまだわからない」
「……また会えるよな?」
「お前がそう願うならば、わしは叶うと思っている。朱はどう思う?」
「朱匂宮の跡取りが破れる事などありえないよ。ゼクス、匂宮の誇りを忘れてはならない。偽ゼスペリアとかいうのに負けてはダメです」
「それを言うなら万象院の誇りも鴉羽――ラフ牧師の誇りも、ついでにザフィス牧師の誇りとかも全部持っていけ。お前はどう思ってるかは知らんが一応わしたちは愛情を持って育てたんだ。厳しくな。それが万象院流儀だ」
「――ああ。感謝している。そうか、家族だったんだな。なんだか嬉しいな。次にあった時に、もっといっぱいお礼をする。ラフ牧師達にも」
「期待している。では、な」
「うん。また。二人共、ちゃんと元気にしていろよ」
「ああ」
そういった瞬間、光に飲まれ、目を閉じた瞬間、青い色につつまれた。
息を飲んでから、光が収まったので目を開くと、真正面には目を見開いている法王猊下の姿があった。
直後ハッとしたように、左右にいた聖書の騎士服姿の闇猫が十字架型の兵器を突きつけた。
そばにいたラクス猊下が驚いたように法王猊下のそばに歩み寄った。
その姿に、反射的にゼクスは膝をついた。
「――ゼクスか?」
「はい。ゼスト家直轄の闇猫の――」
「良い、分かっている。緑羽万象院先代だな?」
「はい。それで、ラフ牧師からはこの手紙をお渡しするようにと……」
ゼクスがそう言う間に、手で法王猊下が闇猫達を下がらせた。
そうでなくとも、ゼクスは闇猫達のトップだ。ゼスト家直轄なのだ。
「ゼスペリア猊下……では、ないですよね? ゼクスって、ゼクスですよね?」
「ご無沙汰いたしております、ラクス猊下」
「……その聖遺物のような気配は?」
「ラクスよ、詮索するでない。そして、闇猫二名を連れて下がっていろ」
「えっ、ですが、この者と二人は危険では――」
「ラクス。この後、臨時の枢機卿議会を開くことになる。全ての者、十二名を呼び出しておけ。まだ残っておるだろう? 残っていなければ、大至急呼び戻せ。話はその時だ。これは非常事態だ。宗教院にとっても、そして――おそらく世界にとっても」
「っ、はい」
こうしてゼクスが言うまでもなく、法王猊下が皆を下がらせた。
そして手紙を受け取った。
それを眺めながら、法王猊下が思いため息をついた。
「気配でわかる。確認するまでもない。だが、お前の顔と、お前が指輪、ランバルトの青と、使徒ゼストの聖遺物である大いなる黒き十字架をつけている姿がみたい」
「はい……」
言われた通りにゼクスは手袋をはずし、もう一方の手では、十字架を見せた。
目を見張り息を飲んだ法王猊下は、優しい目をして苦笑すると頷いた。
「しまっておけ。以後は、見せぬようにな」
「はい」
「それと――どんな予兆があってラフ牧師はお気づきに?」
「予兆……?」
「これを渡される前に、どのような話をしたんだね?」
「ええと……変な夢を見たお話と、黙示録が聖書から消えてしまったお話を……」
「詳しく話してくれんかね?」
「その……」
「大丈夫だ、決して他言はしない」
「……はい」
こうしてゼクスが夢の話と聖書の話、使徒を探すことや、ラフ牧師が危ない可能性、だけど全部自分のただの夢だということを告げた。
「不敬な夢を……」
「いいや。それは正しく使徒ゼストだと私は考える」
「それなら、ラフ牧師を助けに行かないとなりません。俺は帰ります。こちらからはテレポートはできないのでしょうか?」
「それはならない」
「でも」
「何も心配はいらない。逆にゼクスが行ったら、足でまといになるかもしれん。万象院と朱匂宮までいる。ゼスト家直轄部隊の他の者までいるのだ。なにが心配なのだ? 何も心配はいらない」
「……」
「それはそうと、今は、PSY-Otherを抑えておるな?」
「ええ。過剰症に悪いからと言われたのと、長老の緑――その、万象院様? の教えで最下層の者は気配を消せと……」
「この宗教院には過剰症対策の聖なる結界が張ってある。開放してみよ」
「え、ええ……こ、こんな感じでしょうか?」
「っ」
膨れ上がったあまりにも神聖な気配に、法王猊下は気づくと硬直していて、目を見開いていた。
レベルが――違った。
どころか宗教院中の聖職者が、その気配に気づき各地で目を瞠った。
「もう良い。ゼクス、後ほど、その気配のまま、ヴェスゼストへの赦祝を読んでもらいたい。全文だ」
「――……」
「覚えてはいないかね?」
「いえあの……先程、ラフ牧師より二冊の聖書を預かって、旧約と新約だと思うのですが、今後はそれ以外は読んではならないと……」
「っ、それも持つことができたのかね? 触れることが? 持っておるのか?」
「え、ええ。お渡ししましょうか?」
「いいや、ならない。絶対にほかの者にも持っている事を告げるな。私以外の何びとにも告げてはならない。必要があれば、私から伝えよう。それらは――旧世界より使徒ゼストが持参し、そして使徒ゼストが記し、集めた、現在最古の聖書だ。もう三百年以上の長きに渡り、持つことができた者は存在しない」
「……」
「ならばそれを読むと良い。以後、必ずそれを読むように。だが、中身は誰にも見せてはならない。多少市販品と差異があっても気にすることはない。間違ったとでも言っておけ」
「わかりました……」
「着替えを用意する」
「い、いえあの、ラフ牧師が、絶対にこれを脱いではダメだと……」
「そうか、ならば、そうしよう。その格好で過ごして構わない。ただ、読む時は口布とフードだけは取るように」
「は、はい」
「それと今より隣室を、ゼクスの部屋とする」
「え……? けど、そこはゼスペリア猊下の代々のお部屋では?」
「そうだ。して、今まで、どちらがゼスペリア十九世かわからなかったため、この二十七年、誰も入室してはいない」
「……あの、本当に俺は……」
「ああ、本当だ。私を疑うかね?」
「いいえ、そういうわけでは、ですが――」
「何も心配はいらない。決して偽ゼスペリアに手出しはさせない」
「それは、まさか、あの」
「――まだわからない。あくまでも、一つの予測だというのが、ゼクスのあちらの祖父、ザフィス神父の予測であるし、私もこちらのあの子を優しい子でもあると思っている。無論、ゼクス、お前も大切だ……別段、黙示録を救って欲しいだけではない。私は孫を守りたい。そして――この手紙を持っているように。一通は、もし私に何かあった場合。その時はこれを、美晴宮静仁様に一つ、もう一通を花王院紫陛下にお渡しするように。そしてこちらは、もしもお前を偽ゼスペリアだと疑う者がいた場合に、お前が口頭で読むように。まぁ、言うなれば、私の福音だ。現ヴェスゼスト代理としてのな」
「……法王猊下も危険なのですか?」
「――歳だ。おじいちゃんだから仕方のないことだ」
「……」
「隣室には、闇猫をつける。安心できる者達だ――ただし、直感的にそう思えなかった場合は、いつでも逃げよ。また、それはこの宗教院にいるすべての、ラクスも弟のゼスペリア猊下も含めてだ。あちらには、本当は、ゼクスという名前を与え、そしてその名で育てるはずだったのだが――悪いが私の一存で別名を付けてある。リュクスと言う。よってゼクス。今後、ゼクス猊下と呼ばれたら自分のことであると理解するように。そして、ゼスペリア十九世もまたお前だ。クローンではない。双子の正式な兄だ。全ての生体鑑定も保持していて、公開する」
「……その場合、そのリュ、リュクス猊下はどうなるのでしょうか?」
「正式なデータを公表する」
「……別に、そのようなことは……」
「法王としての決定だ」
「……」
「それでは隣室にいるように。聖書を読んでおくといい。載っていると良いのだが、載っていなければ、棚にある」
「はい」
「二名の闇猫の前で読むことになるが、中身は見せぬようにな。ほかの身につけているものも」
「はい」
「それと、こちらの声は全てそちらに聞こえるが、そちらの声も気配も、こちらには聞こえぬ。だから、声が気になっても我慢してくれ」
「平気です。ゼスペリア教会孤児院は壁が薄かったので」
「そうか」
法王猊下が微笑した。それからゼクスは隣室へと向かった。
するとすぐに、聖書服姿の、白い猫面をつけた正式装備の闇猫が二名やってきて、ひざをついた。ゼクスは慌てて立ち上がる。
「あ、いやあの、今日は任務指示とかで来ているわけじゃなくて――」
「伺っております」
「我々は、元よりゼクス猊下がゼスペリア十九世であると確信しておりました」
「え……」
「命にかえてもお守りいたします」
「お待ち致しておりました。よくご無事で」
「いや、あの、命に代えないでくれ。俺は大丈夫だから危なくなったら逃げてくれ。俺も逃げるから」
すると二人が微苦笑した気配がした。
それからゼクスはソファに座り、居心地が悪かったが、聖書を取り出した。
幸い、法王猊下に指示されたヴェスゼストへの赦祝も記載されていた。
だがやはり、覚えている内容とは少し違った。
古い言葉なのかもしれないし、解釈や翻訳(?)、方言などが違うのだろうと考える。
だいたい一度読むと暗記できるのがゼクスのひそかな特技だった。
それを終えてから、チラりと闇猫二名をみる。
――いつもだと、クローンだとかバカだとか陰口を叩かれるのだが、そういう雰囲気がないから不思議だった。
隣室から声が聞こえてきたのは、その時のことだった。