7
その後、一時手前に、ゼクスは衝立の後ろへ連れて行かれた。
網目越しにたくさんの人々が集まっているのが見える。
「皆さん、お手元の準備は良いな?」
法王猊下が、声をかけた。各自PSYモニターを起動し、これまでのリュクス猊下、ゼクスの生体データ、左にこれから読む人物の直接取得データ、中央には今からはじまる祝詞の測定等が表示されることになっている。
既にそのモニターにて、双子であったという事情等は表示されていたし、リュクスの能力や即位しない事実を訝っているものもいたのだが、圧倒的に多かったのは半信半疑のものだった。
「よし、では、ゼクス。Otherを全て解放して構わない。先程のような手加減は不要だ。そして、ヴェスゼストへの赦祝を」
「はい……」
頷き、ゼクスは先程暗記したものを唱えた。
一部が違うのだが、これを読むと決まっているのだから良いだろう。
それから深呼吸をして、精神を集中させた。
不思議なことに、あまり読んでいる気分がしない。
歌っているとも違うのだが、頭の中で映像が再生されるのだ。
これはいつものことでもあるが、それがより鮮明だった。
ゼクスはそれしか考えていなかったが――瞬間、宗教院どころか、それが立つ崖の遥か後方に広がる街のものまで息を呑み、皆無意識に宗教院の方を見上げた。
なにか、そうなにか、そこには神聖なものが降り立ったようだった。
なのだから聞いている全員は、それどころではなかった。
非常に落ち着いて住んだ気分になるというのに、冷や汗が浮かんでくる。
神聖な気配だけでもそうではあるのだが――この祝詞は、普通ではない。
中にはこの法王猊下がこれを読む前から枢機卿だったものがいるが、このようなものを聞くのは初めてだった。
まるで違う。
――信仰することを許されているのだと、そんな壮絶な喜びが浮かんできて、動悸がした。
早鐘を打つ心臓、そして同時に、この人物を絶対に失ってはならない、守らなければならない、そんな心境になる。
まるで自分自身が、使徒ヴェスゼストになったかのような、その器や写し身、いいややはりその者になった錯覚。
脳裏をよぎる光景。
それがOtherによる映像再生や聖歌だとどこかで理解しているのに――映し出された、ゼクスそっくりのはにかむ、直感的に使徒ゼストであるとわかる青年と、使徒ヴェスゼストだとわかる青年がそこにはいた。
こちらは誰にも似ていない。
膝をついて、どこか苦笑するようにゼストをみあげている。
ゼストは首から、使徒ゼストの十字架をさげ、指には銀の指輪、右手には金の指輪をしていた。そして、右手の親指にはめていた金色の大きな指輪、ルビーがついた指輪を、ヴェスゼストに差し出した。
それは――今も代々法王猊下に継承されている品と同一だが、つねに現法王猊下が身につけている者ではなく、このイメージを送り出しているゼクスが想像できるはずもない代物だった。
その上これらは、宗教院中の、Otherが弱いものにまではっきりと見えた。
ただ一人、リュクスを除いて。
だからリュクスは唐突に周囲が、呆然としたように立ち尽くしたものだから困惑していた。しかし議会室にはそのような事は伝わらない。
周囲は完全な静寂で、ただただゼクスの祈りの声だけが響く。
「――使徒ヴェスゼストへの赦祝」
こうして無事に唱え終わり、ゼクスは細く吐息した。
なんだか清々しい気分になった。なので自然と浮かんできた微笑そのままでいると、衣擦れの音がした。
何事だろうかと網目越しに視線を向けて息を呑んだ。
法王猊下を含めて、全員が膝をつき、手を組んで目を伏せていたのだ。
これは、宗教院のしきたりなのだろうか?
困惑しながら、ゼクスはおろおろした。
長い時間それが続いた。
これは立ってくださいとか言ったほうがいいのだろうか?
ゼクスが悩んでいると、法王猊下がようやく立ち上がった。
「ゼスペリア十九世、ゼクス猊下、こちらへ」
「は、はい」
「――皆の者、ここにゼスペリア十九世猊下を紹介する」
しかし法王猊下以外は誰も立たず、目も開けない。
「ゼクス猊下、少しOtherが強すぎるようだ。そうだな――最初に私の部屋で見せてくれたものの、三分の一程度にしてもらえるかね?」
「は、い……このくらいでしょうか?」
「うん、それで良い」
すると、安堵したように呼吸するものが続出した。レクスとラクス猊下まで冷や汗をだらだらとこぼしていた。
兄上――確かにそこにいるのは自分の愛する兄だ、それは確実だが――同時にゼスペリアが宿っている。
その重大な事実にレクスは気づかされた気がした。
ラクス猊下もまた、法王猊下の座などと言っている場合ではないと確信した。
自分が仕えるべきゼスペリアそのものが、目の前にいるのだ。
他の者達は涙していたり、惚けたような顔をしている。
「歩み寄らずともここにいる皆は区別が容易いと思うが、こちらをゼクス猊下、そしてこれまでゼスペリア十九世候補であったもう一人をリュクス猊下と呼ぶように」
全員が頷いた。
「――して、ゼクス猊下、こちらへかけてくれ」
「はい」
おずおずと勧められた椅子に座る。すると法王猊下が続けた。
「モニターを確認する余裕もなければ、必要もなかったわけではあるが――彼は使徒ゼストの写し身であると考えられる。そして、黒き黒翼の賢者が、危機を察知しこちらへお送りになった。既に黙示録の兆候として、これまでゼクス猊下がいらした教会、黒翼の賢者がいらした教会の黙示録が消去されている。使徒探しの妨害だ。偽ゼスペリアの脅威が迫っている。我々は、ゼクス猊下をお守りしなければならない。それが、この、宗教院が存在する根源的な理由である」
それに全員が頷いた。
ゼクスは奇妙な気分になった。
ここにいる全員よりも自分は強く、これまで、自分が守る側だったのだ。
護衛についたことがある枢機卿も何人かいた。
「そして、黙示録には、偽ゼスペリア候補が五名記載されている。ならびに、当家ランバルトに、使徒ランバルトが記した文章、ランバルト機密が存在し、そこにもう一名の名前がある。計六名の候補がおるが、偽ゼスペリアとなるのは一名だ。また、二名に関しては、安全であると私は考えている」
そんなにいるのかと、ゼクスは目を瞠った。
「よってその候補者の名前を挙げる。正しき使徒、あるいは信徒となるよう、目を配らせてほしい。近いうちに、呼び寄せることとなるだろう。まず、リュクス猊下。双子の弟だ。これはランバルト機密による」
周囲が少しだけ息を飲んだ。
「次が、ゼスペリアの剣の候補者である、ここにはおらぬ私の最後の孫である榎波柊、他には榛名享、橘大公爵――安心な二名は第四使徒と考えられるレクス伯爵と、第二使徒と考えられるラクス猊下だ」
ゼクスは、突然あがった友人達の名前に目を瞠った。
――使徒?
使徒とは自分を守ってくれる人だと考えられるが、そういうイメージは誰にもない。
榎波は攻撃してくるし、榛名は弱いし、橘はそもそもガチ勢等ではないのだ。
研究者である。
後でしっかり読まなければと決意した。
先程も読もうかと思ったのだが、失敗しないように、今読んだものばかり繰り返して眺めていたのである。
一回目で頭に入ってはいたのだが、念のためだ。
さらに考えてみる。
彼らが、偽ゼスペリアになる?
全員、良い人だからそうは思えない。
「続いて、阻止しなければならない四つの厄災と、救済策について検討する。まず第一の厄災――『それは風邪に似た不調から始まるであろう。悪に染まりし者、動植物の額に赤き点が出る。これを闇に染まりし偽ゼスペリアは選ばれた者の証として解くであろう。偽ゼスペリアの邪念が感染していくのだ。目に見えぬ悪意の赤い雷を伴い、それは人々の体を犯すであろう。そして偽ゼスペリアは、ゼスペリアであると称して偽の神の御業で、人々を盲目にし、その点があたかも消失したように見せるであろう』――これである」
「――法王猊下の今のお言葉に、補佐として解決策を続けます。『第一の厄災を放置すれば、大地の四分の一の者が失われるが、虹色の羽の御使いの持つ壺の聖水と、翡翠の羽の御使いの住まいの御霊の宿りし湧水を合わせ、使徒ゼストの写し身と、緑の羽根の御使いの化身、ゼスペリアの医師と、虹色の羽根の御使いの化身が浄化の秘薬と、虹で守られし神の光を用いれば、人々の瞳は色を取り戻し、真のゼスペリアに気づくだろう』――と、なります。意味の解釈や、ご意見がある方は?」
続けたラクス猊下の声に一同が沈黙した。
色々考えているのだろうが、これは簡単だなとゼクスは思った。
すると法王猊下がゼクスを見た。
「ゼクス猊下はどう思う?」
「えっ、あ、あの、義務教育の知識なんですが……」
「――構わないから、思った通りに」
「ええと、偽ゼスペリアは、PSY-Otherの青を持っている可能性が高く、よって身体派生の精神感染症を出現させ、さらにESPがあれば、それにより拡散できます。この場合、青色相が、闇汚染されていて、色相判定で黒色等の特定指定色相となります。その際、PKが混ざり飛ぶと、人体に限らず動植物等も持つ、PSY受容体が直接影響を受けます。例えば、過剰型PSY-Otherなどの深刻な病状と同じで、こうなるとPSY値が正常な円形範囲を描写しなくなります。これは人間の場合は額部分にあるので、直接赤味がPK刺激されて変形すれば出現することがあります。精神汚染兵器と同一の効果です。雷はPKの暗喩とされます。それで、受容体の変貌により、PSY知覚取得が狂うため、風邪に似ためまいや吐き気、バランス感覚の消失による食欲の喪失、それらによる脱水で下痢などが起こります。これを言っていると思います。そして悪化すると、直接人体被害もでるため、視覚にも異常をきたしますし、同時にPSY知覚情報が遮断されているため、そちらでの受信もできない状態、それが盲目だと思います。これは兵器の場合のマインドクラックを伴う人体汚染型兵器と同種と考えられるので、闇汚染された偽ゼスペリアの発したESPに触れたものは、思い込みや洗脳も受けます。たとえばそれは、救世主が偽ゼスペリアであると思ったり、終末が訪れたと思い込むなどです――それで解決策ですが、各歴史階層研究と地層研究、科学レベル研究と旧約聖書の創世記を照らし合わせて該当御使いを特定した場合、虹色の御使いとは、現在の院系譜の錦雅院となり、翡翠――緑は万象院です。前者は完全ロステク兵器管理寺院で、後者は……ここでいうのもなんですが華族における宗教院のような存在で、完全PSY、特にESPの絶対原色・緑を保持している、唯一の血統継承の寺院です。これを照らし合わせると最初の聖水は、錦雅院の完全ロステク兵器技術を応用した技術的な薬物の生成であり、後者はESPによる治癒、および拡散効果のある水――水が直接摂取なのか、それとも水流波形形態によるESPによるワクチン伝達を指すのかは出来上がったワクチン次第ですが、結果的にPSY融合医薬品を生成しろということだとおもいます。化身というのは本尊か列院総代で、万象院は緑と言い直しているので、多分列院、錦雅は現在の形態からしても本尊総代です。写し身と医師はわからないですが、作成者だと思います。それで、錦雅院の神の光というのは、マインドクラック解除兵器を使い、精神汚染をとけ、あるいは洗脳を解除しろという意味だと思います。このワクチン生成とロステク兵器でのクラック解除は、基本的な精神感染汚染兵器への対応策であり、同一の効果を持つ闇汚染された青色相にも効果があるとされます――……と、小さい頃に勉強したように思います……」
それまでまっすぐな瞳で語っていたゼクスだが、最後の方は、小さな声でそう付け足した。
しかし――こんなものは無論、義務教育の初等科課程ではない。
最高学府の博士号以上のレベルだ。
そして彼らは、これまでの資格や学歴も全て変わっているのだという事――本来の持ち主はこちらであり、今まのリュクスには本来あるはずのこうした知識がまるでなかったこと、並びに――ゼクス自身も、リュクスが自分を天才だと信じているように、あまり頭が良くないと思っているのだろうことを思い出した。
訪れた沈黙にいたたまれなくなり、ゼクスが俯いた。それを見て、レクスが言った。
「兄上の話は昔から頭が良すぎて難しくて理解できないんだ」
「……?」
「そういうものは、最高学府で習う。兄上は、紙のテストで合格していて、全部幼少時だから、義務教育と間違っているんだ。それが義務教育ならば、今頃とっくにワクチンとやらを開発して用意している」
「……」
「レクス伯爵の言うとおりです。精神感染症系統の兵器の存在は知っていましたが、詳細は僕も知りませんでした。ただし感染症を引き起こす兵器であり、引き起こした場合、PSY受容体が攻撃されること、そこにPKが含まれていて変形すれば、赤い湿疹反応が出たり、知覚情報に異常を来すことは、大学院の博士課程で習いました。PSY復古医療においてです。そこには融合医療に類似のものも含まれていました――全て、僕の知る医学知識二足して正確です。また、聖書学的に寺院研究と御使いの一致は僕も習いました」
「……」
「なるほど。ならば、第一の厄災は、写し身であるゼクスと、ゼスペリアの医師――の候補である時東修司、万象院列院の総代と錦雅院の総代となるな」
「……たしか、高砂という完全ロステクの研究者が万象院列院総代で、錦雅院は、さっき名前が出た橘大公爵だと前に聞きました。変わってなければ、その多分」
「ありがとう、ゼクス猊下。そうか、ならば既にめぐあっていたのだな」
「俺が本当にそうかはわかりません、それと――……そもそも引き起こさせなければいいので、候補者のPSY感情色相波形計測をして、闇汚染レベルを確認し、悪化時は封印固定処理をすれば、この現象は阻止可能です。先程あがったなかにいるのであれば、ですが……もしもやるならば、俺もまた双子に該当するので、俺にも……その……」
「それは非常に有効ですね。なるほど、そういう手段があるわけですか。それならば、時東先生もプロなので、確定診断できると考えられます」
ラクス猊下の声に、ゼクスは安堵して小さく頷いた。
そういえば時東は医療院から左遷されてきた、頭の良いお医者さんらしいから、知り合いだったのかもしれない。