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 さて翌日、この日は王都からザフィス神父が、ハーヴェストクロウ教会に来る日だったので、ゼクスも顔を出すことにした。月に一度、本物の(最下層以外の)聖職者である神父が、代表してお祈りに来るのである。その担当がザフィス神父だ。

 出迎えは、ラフ牧師だ。この二名、あまり仲が良くないのか、昔から会うと口喧嘩が始まるので、対応はゼクスがする場合が多い。他の人々は、内部で準備をしておくとか適当な事を言って、ふたりの表面上は静かだが殺気で繰り広げられる喧嘩から退避している。

 この日も、ラフ牧師は出迎え担当なのに「来たら呼べ」と言って出てこないので、ゼクスが立っていた。慣れたもので、そこへザフィス神父がやってきて、いつも通り無言で頭を下げた。この人物、非常に寡黙で、滅多に口を開かない。が――この日は違った。

 いつもの通り、ラフ牧師は待たずに中に入ろうと一歩踏むだしかけたところで動きを止めた。そして鼻までギルドの布で覆っているので、唯一見える両目でゆっくりと二度瞬きをしたあと、ゼクスに向き直り、つま先から上までゆっくりと見たあと、手にしていた聖水入りの小瓶を落っことした。冷や汗が浮かんでいるのが見える。

 ザフィス神父がここまで動揺しているのをゼクスは初めて見た。これまでにどんな黙示録風大災害が起きてラフ牧師ですらちょっとは動揺していた時さえ不動だったザフィス神父が、抑えきれない様子で『動揺している!』という感情が含まれたESPをぶっぱなしたのだ。何事かとゼクスは焦った。

 さらにザフィス神父は「鴉羽、ちょっと来い!」とまで言った。鴉羽とは、なにやらラフ牧師のことらしく、ザフィス神父は真面目な話をする場合は「鴉羽卿」と呼び、なんだか親しいのか何か意味が不明な時は「鴉羽」とラフ牧師の事を呼ぶ場合があるのだが、使い分けやらなにやら、意味も含めてゼクスすらもそれがよく理解できない。ザフィスの気配と、しかも、ゼクスでさえ初めて見た叫び声、大きな声に、無論走っていたラフ牧師も出てきた。

 周囲も今度は何が攻めてきたのだろうかと焦り、近隣に住む時東まで診療所の窓を開けた。

「何事だ? 世界が滅ぶのか!?」
「見るべきものは私でも、未来でもない。よく見ろ」
「……? っ、え、あ、え!? 恩若桜木印綬!? な、な、な!? はぁ!? 何だこれは、なぜここにある、どういうことだ!?」
「……そちらは知らんが、下はエンジェリック・ラヴァーズ・ローズだ」
「――へ? とすると……所有していたのだろう人物は一名だな……」
「私は早急に、とりあえずエンジェリック・ラヴァーズ・ローズの存在を法王猊下へ直接的に連絡してこなければならない」
「私も印綬の件を朱匂宮に話して来なければ……ザフィス、持ち主に関しては法王猊下も私と同じことを考えるというか法王猊下ならば確認をしていたはずだから聞いて参れ。こちらも万象院含めて反応を伝えるから」
「わかった。鴉羽、おそらくハーヴェストにも伝えに行くことになるであろうから、私はそれが終わってからもどるだろう」

 二人が、黙示録風の事態の時さながらに呼吸を合わせて頷きあった。それから、二人は改めてゼクスを見た。

「え、ええと緊急事態なのか? ならば、本日のお祈りは、代わりに、誰かに読ませておくし、聖水はまぁ無くても良いだろう」
「「……」」
「俺は何か手伝えるか?」
「い、いや特に平気だ。私としては、お前の子供が見たいな!」
「ラフ牧師……俺が死にそうなのか? そんな事態が……?」
「あ、いや、その」
「――ゼクスよ。ところで変わった指輪をしているな。外して見せてくれ」
「ん? ああ、ちょっと待ってくれ」

 言われてゼクスは外そうとし――……

「え、抜けない」
「「!」」
「まぁずっと付けておくように言われたから、抜けないようにできてるのかもな」
「ずっと付けておけ!?」
「……本来的にそこにはめるのは、婚約および結婚指輪だと思うが」
「ああ、これ発信機と通信機らしくてな。俺の指、ほか全部埋まってるから」
「「……」」
「もしかしてその何か大事件を予測して俺に榎波が渡したのかな? 榎波に連絡しておくか?」
「「不要だ!」」
「そうか」

 頷きつつもゼクスは、こちらも動揺しているらしく無意識PKで周囲の窓をピシピシと割っているラフ牧師と、それを無意識になのか修繕しているザフィス神父の姿に困惑せずにはいられなかった。

 ラフ牧師もまた滅多に動揺などしないが、こちらは動揺した場合、PKで窓ガラスを割りまくることはみんな知っていた。だが、普通は一枚くらいで、こんなに大規模ではない。前回の黙示録風事件の時の三枚が過去最高であるし、その時はザフィス神父は修理などしなかった。

「とにかくこのことは他言無用」
「ゼクス、今日はザフィスと私の代わりにお前が祝詞を読んでおいてくれ」

 そう言って、すぐに二人はいなくなった。残されたゼクスは困惑しつつ、しかし二人は一発で何かに気づいたのに自分にはいつもと同じ状態に見えるので不思議な気分で中へと入り、皆になにか異常があるのか聞いて、逆に質問攻めにあった。このようにして、その日はゼクスが代打をしたのだった。