10




 これには高砂がほっとしつつドキっとした。
 ゼクスの涙などベッドの上以外では見たことがなかったのだ。
 いつもゼクスは能天気に笑っていたからだ。

 つまり――本当に嬉しいのだろう。
 楽になったのだろう。そして自分はこれまで、その辛さに全く気付かなかったのだと思い知らされた気持ちになった。

「別に延命処置としてショック死対策をしたわけではない。俺の天性の才能によりショック死しないレベルになってしまっただけで、それは俺にかかる以上の不可抗力だ。それと点滴の内容説明をすると、この黄緑から橙色になる薬。これが心臓付近でこれまで栄養失調を誘発していたPSY色相を調整する。現在お前は赤紫でほぼ黒。これは基本はこの点滴の橙色部分なんだが、ロイヤルパックのこれまでの品との濃度不一致で足りなかったのを自力で自己修復していたのが限界ギリギリだからその色。よってこの点滴補佐で、ロイヤル栄養剤のカロリー補強以外の根本治療がなされるので栄養失調も起こらず、心停止まで起こらなくなってしまったがこれは不可抗力であり、延命治療ではなく俺に責任はない。俺は濃度調整をしただけだ」
「……」
「さらにこちらの黄緑から水色。これが肺機能周辺において同様の濃度調整を自力に行っていた結果、お前のはブロンズ像も真っ青な石色なのを本来のこの水色に調整する薬だ。これにより呼吸不全、謎の肺炎が起きることもなくなってしまったがそれもまた仕方のないことだろう。そしてこれらのせいでバッキバキになっていた濃度調整能力をこの水たまりのような点滴で接着剤でガラスをくっつける要領で補強を開始したので今後これを続ければ点滴なしでそれらがなされるし、バキバキのガラスが治るとPSYを用いても体に痛みが走らなくなる。同じことを内部からしてPSY色相を整えるのがこちらの虹色だ。それから優しい青緑はPSYでレベル調整可能な睡眠薬。現在は弛緩剤として用いているが痛みにかかわらず、これでもう少しは眠れるようになると期待しよう。痛みだけではなく睡眠障害の訴えも改善したわけだ」
「……」
「ロイヤルパック自体もお前用に調整し、アルト猊下で実験したかったけどできなかったことをしている。PSY血核球パックもそうだ。そしてなによりこの銀色。俺はこれの人体実験を死ぬほどやりたかったので、今嬉しくて泣きそうだ。これにより、お前の体のOtherは完璧に遮断しても補給されるので、停止装置をフル作動させても自己治癒と痛覚遮断は起きることになるので、今後レベル5になりうっかり意識を喪失しても心停止はより困難になってしまったが医学の発展のために許してもらうしかない」
「……」
「最後に灰色で、赤と緑の濃度調整もお前用にしてある。これで対処療法と栄養補給と最低限の基礎根幹治療と睡眠に関しては対応できたとしよう。あー、なんだろうなこの久しぶりの充実感。すげぇ楽しい。ちょっと休む。お前なにか飲むか? 後俺タバコ吸うけどいいか?」
「どうぞ吸ってください。俺にはおかまいなく」
「まぁそう泣くな。ま、気持ちはわかるが。ライチジュースをやるから泣きやめ」
「ありがとう……」

 左手で受け取り、服の袖で涙を抜いて、それでもうるうるした瞳のままゼクスがストローを銜えた。

 非常に見ている側までもらい泣きしかけた。

 余裕の笑みの時東はタバコを銜えてオイルライターで火をつける。
 こちらの前にはブラックコーヒーのホットだ。
 時東はこれしか基本飲まない。

 が、ライチジュースに関しては、これもまた時東復古の栄養剤だったりするから、すごいのだ。

「まぁとりあえずこれでほぼレベル6なのにお前が無理矢理レベル5にしていたものが完全にレベル5にはなった。三週間以内にレベル4に近づくだろう。痛みはその間にレベル2になるのを目指すし、貧血と栄養失調は根本治療が間に合わずともこの点滴類で改善状態になっていることを期待できるから、体温はおそらく三十五度以上、人間レベルに戻るし、きちんとした思考状態の元々のIQで清明な意識状態でいられるはずだ」
「本当にありがとう」

 ゼクスが涙ぐみながら微笑んだ。

「まさか、こんなに痛みが楽になって意識もはっきりとした状態で安楽死できるとは思わなかった。夢が叶った気分だ」

 笑顔のその言葉に、周囲は絶句した。
 てっきりこのまま治療をすると思い込んでいたからだ。
 だが――時東は別に驚いた様子もなく優しい瞳をしている。

「痛い最後だの、IQが落ちて意識がはっきりしない最後だの、寝不足の最後だのは最悪だからな。まぁ、もうちょっと頑張れるのであれば、三週間と言わず俺に治療および実験を続けさせるんなら常時レベル4維持、レベル3期待、痛みはレベル2固定程度には、そこそこの時間はかかるだろうが落ち着くとは思うが――あくまでも俺はペインコントロールが医療院医師にはまるで出来ていないというような部分を否定したいだけだし、安楽死処置手続きにはどちらかといえば肯定派で、俺自身も書類を持っている上、同じように有事の際はそれを選ぶ。俺がお前ならばとうに死んでいるので、お前は既によく頑張っていると俺は思うぞ。よってその努力に免じての処置でもある」
「時東先生、本当にありがとう。俺はもうどうしようもなく嬉しい。常識的に治療を勧められると思って今ひとしきりの断り文句を考えていて苦しかった。それまで消えた」
「泣くな。それはお前の選択だ。それにこの病気は悪化する場合が定期的にあるから、落ち着いてもまた悪くなることもあるしな。根治できるとも完治できるとも俺には言えん。しかしながら医学の進歩と復古と発展と、ザフィスよりも俺の腕がいいことは付け加えておく。あの鎮痛剤で効かなくても当然だな。俺とは時代が違うんだよ」
「三週間の間、できる治験実験はなんでも付き合う。その間に発展させてくれ」
「正確には三週間後の何時なんだ?」
「ええと、三週間後はレクスの誕生日の三日後で、その日の午前十時から午前中の内と決まっている。俺はその日に、宗教院の医薬院で処置を受ける予定だ」
「同伴者は?」
「――いない。日取りは時東先生とその病院の安楽死担当医しか今、知らない。話したことはないんだ。レクスの誕生日が過ぎたらと伝えてあって、おそらく半年後以上だろうと周囲は考えていているはずだから、その間に処置を受ける。迂闊に止められると困るんだ」
「なるほどなぁ。まぁ美人薄命とも言うしな」
「あはは。眼科の治療は自分ではできないのか? しかしこのライチジュースは美味しいな。時東先生、俺は思ったより喉が渇いていたみたいだ。なんだかいくらでも飲めそうだ」
「おかわり要求はもっと素直にして良いぞ」
「おかわりをぜひ頼む」
「良いだろう」
「ありがとうございます」

 時東が指を鳴らすとグラスが満ちた。
 実際に喉が渇いていた可能性もあるが、これは必要カロリーを体が求めている分だけ飲めるから、それが理由だと医学知識があるものは知っていた。

 普通は一口程度で満腹になるのだ。かつ栄養失調ならば、半分も飲めば本来前回復する。
 このように飲めるのは、高カロリーを必要とする高IQあるいは高PSYもしくは比例するから両方の人間の一部の体質のものだけである。

 時東はといえば笑顔でそれを観察しつつ、内心やっぱり誰にも言っていなかったなと判断し、聞いた自分を褒めた。

「で、残りの三週間は何をするんだ?」
「うん。痛みがなくなっていたから、やり残したことをやれそうだ」
「やり残したこと?」
「ああ。まずゼスト直轄闇猫の指揮院の地下二階の書類全部だろ? それからギルドの第二本部の二階の左端の書庫の書類全部だろ? それに闇の月宮の別館兵器管理室の地下三階から七階までを整理して、上の五階の古文書を全部片付けて、最後に万象院本尊の蔵のロステク兵器を全て直せる。今なら、体が痛くて無理だったから諦めていた仕事をすべてやりきれる。満足すぎて死にそうだ」
「お前完全に英刻院閣下の親戚だな。あきらかに英刻院の血だろ、それ。なんで余命三週間を仕事に使うんだよ?」
「やりたくてやりたくてできそうにもなかったことだからな。時東先生のおかげだ。俺にこの天敵設備を一式売ってくれ。俺はこれを持って今すぐまずゼスト家からやりにいきたい」
「いや待て。やらないで死ぬ予定かつ全部の箇所で他のやつらに委任済みなんだろ? おそらくそこ全部も、現在の自体終了後に各自各所で整理しやすいように書類か何か残してあるんだろ?」
「う、うん、ま、まぁそうだけどな……」
「だったら俺の治験実験に付き合うといったんだからここで付き合うべき義務があるだろ。俺はお前がここにいるというからペインコントロールをしたのであり、お前がやり残したことをやる時間を作ってあげたわけでも何でもない」
「あ、ああ……そ、そうだな。うん。俺にできることならやる。では、ここに座っている」
「そうしてくれ。やぶってどっか行ったらお前の家族全部にお前の状態を通達する」
「わかった。絶対に座っているしどこにも不測の事態以外ではいかない」
「不測の事態であっても英刻院閣下と俺の許可なしの単独行動は不可だ」
「……」
「当然だろうが。お前は猟犬配下であり、俺の患者だという立場を忘れるなボケ。お前は一番偉くなんでも決定権がある人物ではなく、ここではただの病気の客人であることを念頭に置き行動しろ」
「はい……」
「それでこうもっとやりたいこととかないのか? ん? 私的に」
「……タバコが吸いたい」
「お前さっき聖職者がどうのとかなんとか言ってなかったか? 確かタバコだめだろ?」
「……けどな、痛い時吸うと楽な気がして吸っていたんだけど肺炎になってから禁止されてから、ずっと吸いたくて……ただ高砂がタバコ嫌いだというから……」
「あいつも吸うのにか?」
「うん……けど、別にもういいだろ? 時東先生、一本恵んでくれ」
「まぁいいけどな」

 時東が微苦笑して渡すと、ゼクスが手馴れた様子で銜えて火をつけた。
 ものすごく似合っている。これはこれで良い。

「気分がいい。実は死ぬ前に吸おうとダースで持ってきていたんだ。今日から吸う。自分に許可する。三週間存分に吸う! あとライチジュースをください」
「どうぞ。何吸ってるんだ?」
「まさにこれ。同じの」
「すごい強いだろうが。久しぶりなんだろ? ヤニクラは?」
「無い。昔はこれの三つ上のタールを三箱開けていた」
「ほう。それはやめておけ。普通に生体の肺機能が低下する。今後もせいぜいひと箱からふた箱が望ましいな、多くとも。できればひと箱いない、俺は十本程度を進めるがまぁ人生の最後用に俺も買う気持ちはわかるからそこは自由だ」
「あはは、ありがとう。ジュースもありがとう」
「どういたしまして。他にやりたいことは?」
「うん。そうだな、とりあえず毎回食事にロイヤル三ツ星の厚切りビーフステーキ三枚を個人発注で追加する。俺はあれをとても食べたかったけど、制御装置つけていると1切れしか食べられないんだ。そこに秋葉亭の卵煮込みカツ丼も一個付ける。あれも装置があるとかつ三切れでお腹いっぱいで悔しかったんだ。さらにエンガリアッタのロイヤルスイーツ季節のおすすめタルトとガトーショコラとロイヤルクラシックチーズケーキを全部ホールで付ける。気分によってそこにシュークリームかショートケーキか、だな。後この机の上には常にあそこのクッキー詰合せをこれから置くことにする。後は高高というお店のカレイの煮付けも追加しよう。あれ、美味しいんだ。あとは銀おかの特上和というお寿司もつける。うん、それが良いな。それと王宮の料理はこれまでどおり食べるんだ。そこに毎日どこかから気分で取り寄せる。完璧だ。好きなことをして死ねるとは良いな」
「食べ物ばっかりじゃねぇかよ」
「食べたくても食べられなかったんだ」
「カロリー供給増やすか?」
「それは任せるが、そういうことではなくて、味だ。そして全部ちゃんと残さず食べられるという充実感を味わいたい。もう十年近く、食事を残さなかったことが一度もなくて、なんか非常に心苦しくてな……なんかこう王都のおすすめ料理ガイドブック的な人物は存在しないか? 実際に食べた人間が良い」
「榎波はロイヤル三ツ星の孫で本人もシェフだ。あいつは料理もうまいが知ってる店も全てうまい」
「本当か……! では榎波男爵に教えてもらうことにする」
「外に食べにでも行ってきたらどうだ?」
「いいや、それはしない。俺はここで食べる」
「なんで?」
「基本的に俺は、一人で食事をするのが好きなんだ」
「なにか理由はあったりするのか?」
「……食べるのが遅いんだ。かついっぱい食べるから、先に食べ終わった人に見守られると、焦るし味がしなくて嫌だ。さらに食事中に会話に気を遣うのも嫌だ。無言で味に集中したいんだ」
「俺は早い方で周囲に人がいても気にならないが、会話に関してと無言集中は完全に同意見だ。だが俺は周囲を無視して飯に集中する精神力を持っている。お前も俺を見習い今後周囲の雑談など無視して飯に集中しろ」
「それは良いかもしれないな。まぁ基本、一人で食べているから特に周囲も今は接待以外ではないし、ここにいる三週間は集中できるだろう」
「そりゃ何よりだな。ところで、飯以外には?」
「う、うーん。そう言われても、タバコにご飯にと、もうこれ以上ないほどに幸せだからな……」
「せっかくだからやりたいことをやりつくせ」
「……仕事」
「不可だボケ」
「……だったら、うーん、そうだなぁ……特別に思いつかないな。第一あんまり思いついても死にたくなくなりそうだし、時東先生もそれが目的か? こう、生きてやりたい決意をというような」
「それはまぁあるな。俺は賛成派だが、お前の死には反対派ではあるから、お前が意見を変えて死なないというのが望ましい。が、どちらかといえば単なる雑談だ」
「正直で話しやすいな、時東先生は。そうだなぁ、うーん、まぁなんだろうなぁ……やりたいこと……時東先生なら最後に何をする?」
「俺? そりゃあ医療に邁進する」
「仕事だろうが!」
「趣味と実害を兼ね備えているだけだ。かつ俺の場合、自分が楽に死ねる手続きだ」
「なるほど。う、うーん。それ以外は?」
「やらん。喫煙と、食える身体状態なら飯でお前と完全に同じだ。ま、強いて言うならその時俺にこう誰か恋人でもいるなら別れるだろう。かつ家族とも絶縁。一人で失踪後そこで死ぬ」
「すごく良くわかるそれ! 俺も同じ気持ちだ!」
「嫌だよな、こう看取られながら死ぬの」
「そうなんだよ。本当にそれだ。それとしか言えない」
「けどお前、高砂と別に恋人でもないし、ただの法的な関係だろ? せっかくだから恋愛行動を楽しんでみたらどうだ?」
「どう考えても高砂に迷惑だし、やつは病気を知ったら俺に同情して付き合うタイプだ。絶対にそれは嫌だ」
「俺がお前なら病気を利用して押し倒すけどな」
「俺とは愛の方向性が違うだろうな。俺は見ているだけで良い。かつなるべく邪魔にならないようにひっそりと遠くから見ているだけで良いし、たまに見られればそれで良い」
「Other抜かれるのが良かったとかでもないのか?」
「なんでそう破廉恥なんだよ。別にそういうことじゃなく、あるだろ、なんかこう存在が好きというか」
「ふぅん。ま、人それぞれとしか言えんな。けどこの三週間の間に高砂がどっかの誰かと付き合ったりしたら、それ見たらショックじゃないのか?」
「それはない。恋人がいて幸せなら何よりだ。一応、万が一に備えてあいつの次の婚約者の手配は百二名ほどしてあるんだけどなぁ……できればこう、幸せそうな高砂を見て死にたい」
「……いや、え? 俺には理解できない。なにそれ。嫉妬とかないのか?」
「まぁ特にないな。なにせ俺が恋人になる日が来ないことはだいぶ昔からわかっていたことだし、安楽死の決断より先に諦めたぞ」
「……そうか。ま、まぁ、そうかもな。じゃあこう友達とかは?」
「寂しいことを言わせないで欲しいが、俺には仕事関係の知人しかいない。これまでずーっと仕事しかしていない。あとは参拝客の顔見知りだな。むしろここへ来て大量に様々な人々と人生で初めて私的な会話をしたレベルだが、これも接待だときちんと理解している」
「……なるほど、最後に恋人つくる以前に友達作ってる段階か」
「まぁそうなるのかもな。が、それを言うなら家族関係の構築から開始だろうな。俺はもうそういう人間関係を作るとか入らない。むしろ天国あるいは地獄がないことを祈り、無になり人付き合い等をしなくて良い生活を期待してる」
「わからなくはない。周囲に他人だらけでしかも気を遣いながらだとかだるくて死ぬ」
「だろ?」
「ちなみに本心としては今この雑談をどう捉えてる?」
「ミシュリネル中心療法だろ? さっきから傾聴だ。時東先生は精神科もできるんだな。安楽死断念を推奨する周囲がよく専門医を派遣してきた」
「なるほどなるほど。正直その通りだから困るな。精神科はほどほどに得意というところだからなぁ……そこにラクス猊下という専門医がいるが、お前には無理そうだ。なにせあいつのエンジェリックスマイルとかいうの無効化だろうからな。使徒ミナスの聖遺物もお前の聖遺物まみれ状態では効果が期待できない。だが、投薬も無意味そうだ」
「そういう場合の家族療法とかなんだろう? お断りだ」
「だよなぁ――困ったな。こちらの打つ手が、新薬点滴によるペインコントロール以外ない。無能で馬鹿な医者が余計なことをしてお前におかしな防衛スキルを与えているのが非常によくわかる。俺に気をつかって打ち解けた会話をしているだろう?」
「名医だな、時東先生は」
「せめて否定もしてほしかったね。しかし非常に安楽死決意が固いな。まぁ六年前から準備だしなぁ。今一瞬で対応できるとは思わないが」
「うん。時東先生には本当に感謝しているのは事実だ。ただ人生にはもう満足もしてる」
「諦観の間違いじゃなく?」
「――その二つは俺にとっては同じことだ。望めばきりがない」
「死ぬのは怖くないのか?」
「怖くない人間がいるのか俺は知りたい」
「ま、そうだよな――ちなみに残りの三週間で話をしたい人間をこの王宮であげるなら?」
「まず英刻院閣下だな。仕事について残作業を全て語り尽くして死にたい。同じ理由で次がユクス猊下」
「仕事から離れろ」
「その場合でも英刻院閣下だ。あの人はよく死にかけるから気が合う」
「どんな気の合い方だよそれ。じゃあ次は?」
「うーん榎波男爵から美味しい料理店情報を聞くだろ? これは重要だ」
「ほう。あとは?」
「ユクス猊下からレクスの話を聴こうかなぁ。けど彼には雑談よりも行動して今後レクスを守れる体制が万全だと証明してもらいたい。雑談に興じて仕事をサボるようでは根性を叩き直す必要性があるだろう」
「ぶは。他は?」
「そうだなぁ時東先生にこれらの点滴のつくり方を聞きたい」
「そうして脱走して自分で作成しながら仕事をするのか。ダメだから。かつ俺の設備がなきゃ作るのは無理だ」
「……その設備を俺も作る」
「二度と見せない」
「意地悪だな」
「阻止する側だからな俺は。じゃあその次は?」
「難しいな。仕事ならば若狭さんに情報システムについてちょっと話したいこと、橘大公爵にロステク操作で話したい事があるんだけどなぁ。まぁそれらは英刻院閣下に一括で資料を渡す予定だから別に問題はないんだ」
「他」
「……真朱様かなぁ。あの人もまたよく死にかけるから」
「なんなんだよその基準は。もっと明るい方向で他」
「うーん……話ではないが、ラクス猊下の祝詞を聞き、桃雪様の神聖な儀式の踊りを見たらこういい感じにあの世にいけそうだな。万象院のお経も聞きたいが、それを唱えられる人物で顔を見たい相手はいない。高砂とレクスは論外。しかし桃雪様は覚えていないらしい。高砂復古配下家もまだだそうだし」
「それ、明るい話か? 死に備えてる暗い話に俺には思えるぞ? というか、高砂と弟はなぜ論外なんだ?」
「まずレクスとはあまり親交を深めずショックを減らすべきだ。この万全の状態を維持したい。高砂は、さっきも言ったとおり、遠くから眺めると満足なんだ。お前、死に際に好きな相手からの冷たい言葉を聞きながら死にたいのか? 俺は嫌だ」
「……非常に正論だな。いっそ、高砂を忘れ、他を見つけるとか」
「試みたが無理だった。そのせいで、高砂には申し訳ないがこれまで許嫁でいてもらった。これが俺の唯一のわがままかもなぁ」
「お前が死んだら周囲が悲しむぞというのはどうだ?」
「俺が告知を受けてから何人も周囲で死んだし俺は何人もの葬儀をやってきたが、だいたい三周忌の頃にはみんな落ち着いているし、そうでないものには時東先生よりは腕が劣るにしろ医者がつくから問題ない」
「せめて敵集団が完全にいなくなるまで、精神的支えとかいうので」
「だからもうほぼいないし、俺が死ぬまでに全滅だ。可能性としてあるのは三週間いないに敵集団が残して作動中の兵器の誤作動による爆発くらいだがそれを阻止したら完全にこの処置でも心停止を今度こそするだろうからあの世に俺は行くし、お前らへの被害もないから大丈夫だ。Win-Winというやつだろう」
「幸せな家庭を築くとか子供が欲しいとかは?」
「好きな相手と結婚できないのに家庭はないだろ。ほかのやつと結婚とか嫌だ。さらに子供に関しては人工授精の手配済みだから俺の死後に誰かを代理母にしてその内生まれる。よってゼスペリア猊下二十世だのもきちんと世に出るから問題ゼロだ。個人的には子供は好きだけど、病気の父親は子供は心配で辛いというのを俺は知っている。元気になって欲しいと考えながら過ごすのは、俺は良いが子供にさせたくはない」
「じゃあもっとかなり長生きして治療が進んだら倉庫整理だのの仕事ができるとしたら?」
「うん。それが一番迷うな。だが、その最中に悪化したら中途半端になるだろう? 俺としては一気にやりたいんだ。俺は一夜漬けタイプだから、ちょっとずつというのは好きじゃないんだ。それを考えるとやはり手をつけずの方が、まだ気が楽かなぁと思う」
「もし今の生まれじゃなかったらやってみたい仕事とかは?」
「そうだな……ケーキ屋さんの店員になり、廃棄手前の品をもらって帰りほのぼの暮らしたい」
「勉強したいこととかは?」
「全てのジャンルで最高学府は紙でやったから特にない」
「お前、趣味は?」
「趣味? うーん……猫を眺めることだが、飼うのは嫌だ。死ぬのを見たくない。こう境内に集まっているのを眺めるのが好きだ。だからペットセラピーのようなのは逆に見たくないんだ。俺の死後に残される想像をすると嫌な気持ちになる」
「こう、極めたいものとか」
「特にないな。だいたい極めた」
「行きたい場所は?」
「体が痛いからなるべく座って過ごしたい」
「遺書とかは作成済みだろ?」
「勿論だ」
「今一番やりたいことは?」
「この時東先生の弛緩剤、効きそうだから眠りにつかせてもらい、その状態で心停止してそのまま眠っている内にあの世に逝きたい。タバコよりも食欲よりも、そちらが叶うならそれ優先で良い」
「――俺が絶対に治すと言ったら?」
「いや、治るまでの時間を考慮すると耐えられない。本当に限界なんだ。痛みが今、本当にこれまでにないほど一気に楽になったからこそ、再び襲われることを考えると大至急死にたい。慢性化していたからギリギリ維持してきたが次に襲われたらおそらくまた舌を噛み切るだろう。これは双極性障害の鬱状態が少し改善した時とおそらく類似の衝動だろうと俺は思う。精神感情色相に異常はないから普通のメンタル的な問題だ。俺はだから先程から死よりもそちらが怖いから身につけていた兵器類を亜空間に撤去して万が一に備えて噛む布を用意している。よって自殺可能性はゼロだが、衝動的にそうなる可能性があるのも踏まえて痛みの復活が何よりも現在恐ろしい。泣くほど体が楽になったのが本当に救いではあるんだけどな。再びあの痛みに襲われることを考えると非常にそれが既に怖い。死ぬことよりもそれが何よりも恐ろしい」
「その恐怖を緩和できそうな事柄はなにか思いつかないのか?」
「ゼロだ。例えばの話、おそらく時東先生は高砂に事情を話し、優しくしろとでもいいそうだが、そうされたらおそらく逆により恐怖が募る自信がある。例えばレクスに気を使われてもそうなるだろう。それもあるから彼らとは、俺側のメンタル保持のためにも距離を置きたい。わかっているだろうが、時東先生はほぼ他人に近いからこうして話せるだけだ」
「なるほどな。正確に自分の状態を理解しているわけか」
「専門家ではないから出来る範囲だが、あらゆる精神療法系統も試したが恐怖が消失しない。封印暗示も実は試した。制約暗示もだ。それでもダメだった。ホスピス患者を見てきた経験もおありだろうが、完全にそれと同一だ。その上でギリギリで耐えているのが正確なところなんだ。今、うかつな刺激があると、俺は多分持たない」
「もたないとどうなる?」
「良くて自殺、悪くすれば防衛はしているが感情色相に関しての汚染可能性が出る。痛み自体が闇汚染の引き金のひとつだ。もしも俺が闇汚染された場合、PSY融合兵器で全てを全滅させる可能性もある。それは絶対に阻止しなければならない」
「非常に理知的かつ冷静に自己統制していることまで承知した。だが客観的にも治癒可能性が俺が主治医として存在する以上ゼロではなく改善が見込め、悪化時も対処可能である以上、鴉羽卿にはなんとしても生存してもらい、実働ではなく猟犬顧問としての指示相談に乗る業務および各集団への連絡統制等をしてもらいたいのが実情だ。ゼクスの力と才能と知識は必要だ」
「そう言われて悪い気はしない。だがどのみちそれでは俺が倒れたら再び指揮系統は揺らぐ。完全移行し、俺に何かある前に安楽死処置しておくのは、俺自身の痛みおよびそれへの恐怖への対応だけではなく、率直に言って全てのものにとっても安全な対応策だと考えている。さらにレベル7へと移行した場合、受容体が傷つけば、俺自身のPSY暴発の危険性もある。これは、非常に危険なことでもある。俺自身の頭部破裂で死ぬだけならまだしも、PSY災害を引き起こしかねないと俺は思う。安楽死処置および植物状態維持はそのための対策側面も兼ねているんだ」
「せめて植物状態維持に変更する気はないか?」
「目を覚ました後に、痛みが残存しているならば同様だから、俺にその選択肢は無い――タバコとライチジュースをもっとくれないか?」
「しょうがないなぁ。それはまぁ良いだろう」
「ありがとう」
「それと、俺は今後、ゼクスのその安楽死希望をお前の意志で撤回してもらう行為をさせてもらう。どうするかはこれから考えるが誠実であることの証明に先に告げておく。だが俺側から誰かに協力要請をすることはしないと約束する。ただし先程王宮には敵が多くどこで誰が聞いていたかわからないから、もしそれらの人物に阻止協力を申し出られた際は、阻止メンバーに加えるから医師としてお前のメンタル面を考慮して情報提供をさせてもらう。だがそれにはお前の口出しは許さない。これは俺による終末医療の研究でもあるから、お前にはその被験者にもなってもらう。お前は出来ることはすると約束した以上、その義務を全うしなければならない。さらに投薬点滴類もまた実験を兼ねているから継続、ペインコントロールは俺の個人的な処置だから今後も必ず付き合ってもらうし、それはここで行ってもらう。さらに個別外出は先程も告げたとおり英刻院閣下と俺の許可が必須だとわきまえるように――俺の医師としての判断として、お前のレベル7移行によるPSY暴走よりも、お前自身の能力による敵集団の今後の対策、これは別の敵集団の出現に備えても、ロステク類復古を考えても、そちらのほうが利益が大きいという判断も含む。だが無論正式な安楽死許可が降りている以上、三週間以内の行動であり、その後の法手続きとしてのお前の選択を阻止するものではなく、あくまでもお前の意志による撤回を前提としているから、宗教院等に根回しすることはしないと約束する」
「――そんなに王宮には敵だらけなのか? 俺はPSY停止装置をつけているから全く誰が聴いていたのかわからない……迂闊だったな。かつ治験実験にも簡単に同意すべきではなかった……だが、一度約束してしまったから撤回はお礼も兼ねてできないし、俺が急に押しかけた来訪客であることは紛れもない事実だから英刻院閣下には猟犬顧問としても従わなければならない。時東先生は思ったより上手だった」
「ご評価頂き何よりだ。悪いが至急対策を練りに行く。さらにお前自身の希望で英刻院閣下とは仕事の話をしたいそうだから、主治医としてそれだけは仕事であっても許可するし英刻院閣下のみ俺からも話をさせてもらうが、それは良いか? これまでのように鴉羽卿であることを秘匿して話すよりも効率的だろう?」
「ああ、わかった。ただ……高砂とレクスには言わないでくれ」
「彼らが敵でなくこの場の話を聞いていなくて質問されなければ言わない」
「そうか。ならば大丈夫だろう。あの二人は別段俺に興味を示さないだろうからな」
「どうだろうな。それは俺にはわからない。だが聞かれた場合は当然回答する。さらに彼らは、配偶者相当と実の家族であるから質問された場合、医師として回答義務が俺にはある。それを破ることは不可能だ」
「……そうか……では、その場合があるのならば、俺の精神を刺激しないように態度を変えるなとだけ付け加えてくれ」
「承知したが彼らの行動を俺に制限する権利がないことは先に述べておく」
「……まぁ大丈夫だろう。彼らは俺に興味もなく、一部が癪に障る程度の嫌悪程度だろうしな」
「それは俺には不明だ。ならびにレベル7移行時の暴発に備えて、今後は迎賓館の特別室ではなく、こちらのPSY災害防止システムが配備してあるこの部屋で生活してもらう」
「っ、それは」
「これも睡眠障害対策と同じでお前の不安軽減処置と同じだ。睡眠時および症状悪化時はその辺に、以前に預かった首飾りでベッド類を整備し、その許可はこちらで得る。通常はそこに今までどおり座り、治験実験だと口にしておけ」
「……ああ、わかった」
「それと、俺、及び俺に一応そこそこ並ぶ腕前の政宗と、場合によりラクス猊下には治験と称するが、交代制の医師として、この部屋の中で誰か一名には寝泊まりしてもらう。それもまた実験観察の一環であるからお前に拒否権はない。榛名と副――若狭にも医師免許があるから、場合によってそいつらもだ」
「……手間をかけるな」
「いいや、別に良い。三週間の間に実験等を含めて、こちらで勝手にやるだけだ。そして誓ってお前の考えを変える努力はするが、お前の意思が変わらなければ安楽死処置を受けることを邪魔することはない。それは約束するから安心していい。阻止というかそれを行わないのは、あくまでも未成年家族および配偶者筆頭者の反対表明があった場合のみだ。お前の考えにおいてそれらはないそうだから、不安はないだろう?」
「……そうだな」
「あと、さっきお前が言った食事類、俺には理解できない甘い甘い菓子類も含めて王宮の食事の他に全てこちらで、これは俺の勝手な阻止対策のお詫びとして手配しておいてやるから、あとは大人しく点滴をしてそこに座っていろ。あと、ライチジュースはここにガラスのポットを置いておくし、カラになると勝手に満ちるようになっているから好きなだけ飲んでいいし、タバコも置いていってやる」
「ありがとう……」
「また一応精神療法というか雑談的カウンセリングとなるだろうが、俺、そして場合によりラクス猊下に依頼する場合があるから、それもまた終末医療の被験者として受けるように。これもお前が約束した義務だ」
「わかった……けどペットセラピーと家族療法だけはやめてくれ」
「ああ。ただし仮にレクス伯爵が勝手にお前に話しかけてもそれは無関係だから話したければ話せ。かつお前の家族等を呼び出したりしないことは約束するが、ザフィスに関してはお前を診察していたそうだから、きた場合は通す」
「うん。わかった」
「じゃあな。また後で。夕食の時に起こすから、少し睡眠薬を強めるから眠れるか試してみろ。三時間後がちょうど夕食時だ」
「う、うん」
「今からPSYを流す。とりあえずそのソファに横になり、クッションを枕にでもしろ」
「あ、ああ」

 ゼクスが言われた通りにした。
 そこへ時東が出現させた毛布をかけた。

 今はもう初夏だから毛布は暑いだろうが、低体温の改善としては適切だったし、その毛布自体が体温機能の調節用のPSY融合医療繊維で出来ている非常に効果で貴重な品だった。

 知るものは時東がここまでにすることに驚いていた。
 だが、政宗とラクス猊下は時東が久方ぶりに本気で治療する気なのだと悟った。
 そのまま時東がPSYを送ると、少し眠そうな瞳をした後、静かにゼクスが目を伏せた。

 やはり彫刻のような美がそこにあったが言われてみればまだ顔色も、先程よりはましとはいえ、お世辞にも良いとは言えず青い。

 それでも少しすると、小さく寝息が聞こえてきたから、生きているのがわかった。
 そうでなければ、まるで死んでいるように見えたかもしれない。
 長いまつげが端正だった。