12




 ――ゼクスが死ぬ?

 高砂はぼんやりとそう考えた。

 頭の中には通常通りの自分の意見に、少し困ったような緊張した顔で笑みを浮かべる、苛立つこと極まりないゼクスの顔がまず浮かんだ。

 そして自分を遠くから見ている時の、完全に恋していた眼差しを思い出した。
 鬱陶しかったそれだ。
 だが、先ほどの冷静な顔がそこによぎる。

 それは、高砂の知らない顔だった。
 その上ゼクスは満面の笑みを一時浮かべて、これで高砂は自分から解放される、悪いことをしたと口にしていた。

 最初から結婚できないことは分かっていたと言っていた。
 恋人になることを安楽死を決める前から諦めていたと言っていた。
 それでもわがままで許嫁でいたのだと。

 さらに、死ぬ前に冷たい言葉を聞きたくないと言っていた。
 今まで――確かにひどい言葉を吐いて冷たくしてきた自覚があった。
 だがそれは嫌われたかったからだ。

 まさか、嫌われているという自覚をあそこまで強く抱いているとは思ってもいなかった。
 傷ついているだろうことは分かっていたが、楽天的で能天気なプラス思考のバカだからすぐに忘れて立ち直り、また話しかけてくるのだと勝手に思っていた。

 だが、そうではなかったのだ。

 高砂はこれまで、ゼクスはいつか自分に高砂が振り向くことを期待していると勝手に思っていた。けれど、そんなことはなかったのだ。

 最初から、諦めていたらしい。
 どんな気分だったのだろう。

 それでも好きだったと言っていた。
 諦められないと言っていた。

 てっきり許嫁だからという理由で恋焦がれ、さらにOtherの快楽で高砂を好きだと錯覚しているのだとばかり思っていた。

 だが、違うという。

 体を重ねるずっと前から好きだったと言っていた。

 そして、病気のことを自分を気遣い一切言わなかったらしい。
 それだけではなく、そもそも性行為がおそらく嫌だったのだろう。

 またそれさえもゼクスが言ったとおり快楽で染めて無理にほぼ強姦に近く行ってきただけで、ゼクスの言ったとおりSEX的な意味合いなどほぼなかった。

 それでも快楽を感じる体質のゼクスだから別にいいだろうしそれを望んでいると勝手に思っていた。

 だが榎波の話で自分以外の前で隙がないことには気づいていたし、今回の話でそれも違ったらしいとわかった。

 多分――本当に高砂が疲れていると判断して怖いのに提供に応じていたのだろう。
 ゼクスは、許嫁の件が唯一の自分のわがままだと言っていた。
 その通りだ。

 高砂を全肯定してきたゼクス。
 それは負い目だったのかもしれない。
 本当は意見や自己主張だってあったはずだし希望や願望もあっただろう。

 冷たい言葉に傷ついた時は反論して怒りたい場合だってあっただろう。
 だが……性行為を拒まない事同様、高砂だから何も言わなかったのだろうと改めて思った。

 そして高砂は自分がそれに甘えていたこと、それを当然のように思っていたことをふと自覚した。

 さらには――いつも当然嬉しそうな笑顔でいつも自分を出迎えてくれたゼクスの姿を改めて思い出した。

 それはあまりにも当然だった。
 それが嫌いだった。
 けれど。

 今後――それはなくなるのだ。
 今まで、ずっとそれを期待し、願ってきた。
 だが、なぜなのかそれはどこかでありえないと思っていた。

 嫌々ながらも結局結婚しなければならないのだろうと思っていた。
 だが、実はゼクスの側で、既にその選択肢は存在していなかったのだ。

 ゼクスは自分との将来像など思い描いていなかったのだ。
 むしろ思い描いていたのは高砂であり毎日が鬱陶しいだろうなどと思っていた。
 けれど――多分、そうなる未来を確信していた。

 ゼクスは自分にベタ惚れだと理解していて、だから、これでこのまま自分は嫌々ながら受け入れるのだと、漠然とそう思っていた。

 だが、違ったのだ。
 ゼクスは――自分を見ているだけで、満足で、と、そう言ったが、本当は話したくないほど辛いから、間近で顔を見るのも嫌なのかもしれない。

 きっと苦しいのだろう。

 そこまで考えて、深々とため息とともに高砂は煙を吐き出した。
 正直、ゼクスが言ったとおり、いきなり無能になった部分にイライラして嫌悪したというのもある。

 だが一番常に内心をささくれだたせていたのは、箱入りだから、許嫁に恋をすると盲信している上に快楽の虜になっているだけだと思って、そこが本当はいらだちの原因だった。

 そうでなければ周囲が言う通り、ゼクスが自分に惚れるなどありえないと高砂は思っていた。

 だが、そんなことはなかったらしい。

 今、コントロール装置でゼクスのPSYはほぼ無しに等しく周囲のモニター展開にすら気づいていない。

 だから高砂がPSYでゼクスの本心かどうか確認することなど容易かった。
 そして――それはゼクスの本心だったのだ。

 結局は自分に自信がないせいで、勝手にゼクスの恋心を疑い、さらには、八つ当たりじみた対応をし、そしてそれを許してくれるゼクスに甘えていただけだと、これまでにも半分程度自覚していたことをはっきりと意識的に再確認してしまった。

 だからこそこれまでだって盲目的に自分に恋をしている様子のゼクスを見れば見るほど自分が惨めに思えて、顔を見るのも嫌だったのだ。

 それが恋心かはわからないが、自分がゼクスに執着していることは高砂自身、非常に強く理解していた。高砂はゼクス以外に嫌いな人間がいない。

 基本的に興味を喪失する。

 けれどゼクスに対してだけはそうはならなかった。
 ずっとそれが不思議だった。
 だが、今、強く思うのは、自分にとってもゼクスというのは、存在に意味が有る人間だし、いることが当然なのだ。

 それが――いなくなる?

 理由をつけて阻止するのは簡単だ。
 連絡をした時同様、鴉羽卿がいなくなると困るという理由から、配偶者同等の者として安楽死処置の停止を訴えればそれで済む。

 だが、知らなかっただけで、常に峠だった?
 いつ死んでいてもおかしくなかった?
 さらには今も死にそうである?

 時東は時間をかければそれはないといった。
 だが医師としてこちらには冷静に死の可能性を伝えた。
 おそらくこれは事実だ。

 時東はウソをつかない。
 無論医療は時東が完璧になすだろう。

 だが、今日これが露見するまで、ゼクスはほぼ一人でその痛みと恐怖を抱えてきたのだ。
 死をも超える苦痛を、それをごく小数にしか話さなかったのだろう。

 少なくとも自分は打ち解けられるような信頼などされていないとはっきりと認識させられた。

 お人好しで誰にでも心を許すなど、勘違いだったのだ。

 今更失いたくないというこの気持ちを告げたとして、それでそのあとはどうなるのだろう?

 法的に阻止したとして、どうやってゼクスの絶望を支えるのだろう?

 それ以前に、これまであれほど冷たい対応をしてきて、ゼクス自身が高砂に嫌われているのだと口にしていた。

 それが当然だと確信していた。
 そして高砂自身もゼクスが嫌いだと思うのだ。
 なのにごちゃごちゃの感情と、その上の平坦な理性が不協和を生み出している。

 一体今後、ゼクスに対してどう対応すればいい?
 いきなり優しくしても同情だと思われるのはわかりきっている。
 だがそもそも優しく対応する方法すら思いつかない。

 他の他人にはそれができてもこれまでゼクスにだけはそれができなかったことも理解している。ただそれはおそらく自分が惨めだからだったのだろうとも思う。

 まずもってそんな自分にはゼクスを支えるなど不可能だろうし、ゼクスもそれを望んでいない様子だ。

 さらにレクスの声が残響する。

 それがゼクスの選択ならば、話してみたあと尊重するといっていた。
 それが冷静な決断であることは誰よりも良く理解できる。

 だが――ゼクスがいなくなるなど、認めがたい。
 再び高砂が重いため息を吐き出した。

 この執着が仮に愛だとするならば、自分こそよほどゼクスを愛しているのだろう。
 そもそも当初、高砂は面食いではないのにゼクスに一目惚れした。
 顔というより、あの笑顔と雰囲気にだ。

 惹きつけられて目が離せなかった。
 それが初恋だ。

 他に散々遊んで誰かと肉体関係を持ったが、思えばいつだってその相手の痴態にゼクスを重ねていた。

 そしてゼクスとは違い、己は体を確かに求めている。
 だから限界まで快楽を与えて、それに依存するように仕向けてさえいた。

 そしてそんな自分を擁護するように快楽に弱いゼクスを軽蔑するように見てきたのだと思う。

 常に疲労を理由にOtherの吸収から行為に持ち込んできた。
 ゼクスは拒まなかった。
 だが、ゼクスからはキスでさえ一度も求められたことはない。

 本当にただずっと遠くから見つめられてきただけだ。
 その上、その時ですらきっと体中には激痛が走っていたのだろう。

 だが、それでも自分とともに寝ると少し長いあいだ眠れるだなんて照れながら恥ずかしそうに時東に対して話していた。

 もう頭の中がごちゃごちゃでまとまらない。

 普段は論理的で思考統制が完璧な高砂はこんな情動の動きの経験など記憶にほぼなかった。

 過去に何度かあったのは全てゼクスに関連していて無防備に言い寄られているのに気付かなかった時などだ。

 気づけば立て続けに三本もタバコを吸っていた。
 なんなのだろう、この不可解な激情は?

 会議の準備が整ったとのことで、英刻院閣下が声をかけたのはその時だった。
 高砂もタバコを消して無言かつ無表情のまま同席した。
 兵器を用意し終えた橘も一緒だ。
 他には政宗とラクス猊下が医師として、説明は当然時東だ。
 そこに英刻院閣下と青殿下が加わり、会議は始まった。